第5話 ダンジョンが食材だらけに見える
――あれ、食えるな。
緑葉の洞窟へ入って、まだ十分も経っていない。
俺は通路の端に生えていた植物の前で、ぴたりと足を止めていた。
「ニャル?」
少し先を歩いていた悠真が振り返る。
俺は返事をせず、鼻先をひくひくと動かした。
洞窟の中だというのに、辺りには背の低い草や苔が生えている。
天井や壁のところどころから淡い光が漏れていて、薄暗い森の中みたいだ。
その中に、細長い葉を何本も伸ばした植物があった。
見た目だけなら、ちょっと変わった雑草。
なのに。
それを見た瞬間、頭の中へ妙な知識が流れ込んできた。
妖精ニンジン。
食用部位は地中の根。
表面には弱い魔力毒が付着しているため、流水でよく洗い、薄く皮をむく。
加熱すれば甘みが増す。
煮込み向き。
――なんだこれ。
俺は首を傾げる。
「にゃ?」
「いや、俺が聞きたいんだけど」
悠真が戻ってきて、俺の横へしゃがんだ。
「何か気になるものあった?」
ある。
というか、めちゃくちゃある。
俺は目の前の植物へ前足を伸ばした。
「ちょっ」
悠真が素早く俺を抱き上げる。
身体がふわっと浮いた。
「勝手に触るのダメ」
『なんでだ?』
「なんでって……ダンジョンの植物だから」
俺は悠真の腕の中から、もう一度植物を見る。
『ニンジンだぞ』
「……は?」
『正確には妖精ニンジン』
「いや、名前は知ってるけど」
知ってるのか。
俺の耳がぴくりと動いた。
『じゃあ食えるのも知ってるのか?』
「食えないよ!?」
即答だった。
思ったより大きな声が洞窟へ響いた。
悠真は慌てて周囲を確認してから、少し声を落とす。
「びっくりした……。妖精ニンジンはダンジョン植物だぞ。下手に食べたら腹壊すって」
『皮をむけばいい』
「そういう問題?」
『その前によく洗う。表面に付いてる魔力毒を落とさないと駄目だな』
「…………」
『煮ると甘みが強くなる。シチューとかよさそうだ』
「待って」
悠真が俺の両脇へ手を入れ、正面へ持ち上げた。
顔と顔が向き合う。
「なんでそんなこと知ってんの?」
『分からん』
「分からないの!?」
『見たら分かった』
「もっと分からなくなったんだけど」
それは俺も同じだ。
昨日までの俺なら、これを見てもせいぜい「ニンジンっぽいな」と思う程度だったはず。
それなのに今は違う。
食える場所。
駄目な場所。
下処理。
火の入れ方。
向いている料理。
見ただけで分かる。
説明しろと言われても困る。
知っている。
ただそれだけだ。
俺は悠真の腕からするりと抜け、地面へ降りた。
改めて周囲を見回す。
すると。
『……おお』
「今度は何?」
さっきまでただの洞窟だった景色が、一気に違って見えた。
岩陰。
湿った地面。
朽ちた倒木の根元。
あっちにも。
こっちにも。
ある。
食材が。
俺は小走りで壁際へ向かった。
「ニャル!?」
丸い傘を持った灰色のキノコが、苔の間から何本も生えている。
ケイブマッシュルーム。
傘が食用。
生のままだと軽い中毒を起こす。
石づきを落とし、加熱する。
炒め物。
汁物。
煮込み。
……便利だな、これ。
鼻を近付けると、湿った土の匂いに混じって、ちゃんとキノコらしい香りがした。
俺の尻尾が勝手に上がる。
『これも食える』
「それも!?」
『ケイブマッシュルーム』
「それも名前は知ってるって!」
悠真が頭を抱えた。
「だからダンジョンで見つけたもの何でも食べようとするなよ!」
『何でもじゃない』
「じゃあこれは?」
悠真が近くにあった紫色の苔を指差す。
俺は見る。
何も感じない。
『食えない』
「判断早っ」
『食えないものは食えないだろ』
「その区別ができてるのが怖いんだよ……」
なるほど。
どうやら本当に、何でも食材に見えているわけではないらしい。
食べられるものだけ。
正確には――。
正しく処理すれば食べられるもの。
そこまで考えたところで、俺は少し離れた場所へ視線を向けた。
ぷるん。
透明な何かが揺れた。
スライムだ。
「ニャル、下がって」
悠真がすぐ俺の前へ出た。
腰の剣を抜く。
俺は素直に数歩下がった。
戦うのは悠真。
俺が前へ出ても、体長二十センチの猫に何かできるわけじゃない。
スライムが地面を滑るように近付いてくる。
悠真は焦らない。
剣先を低く構え、飛びかかってきたところを横へかわす。
「よっ」
一閃。
スライムの身体が裂け、形を崩した。
淡い光になって消えていく。
その跡に、小さな魔石。
そして核の周りにあった半透明の物質が、ぷるん、と残った。
俺の目がそこへ吸い寄せられる。
スライムゼリー。
食える。
『悠真』
「ん?」
『それも取っとけ』
「魔石?」
『そっちじゃない。ぷるぷるした方』
「こっち!?」
悠真が露骨に嫌そうな顔をした。
「これ捨てる部分だぞ」
『食えるぞ』
「また!?」
俺は近付いてゼリーを観察する。
半透明で、触れば冷たそうだ。
そのままでは駄目。
軽く湯通しして、余分な成分を抜く必要がある。
でも処理後なら――甘味と合わせるとよさそうだ。
冷やしてもいい。
『デザートにできそうだな』
「俺、今日ダンジョンに来たんだよな?」
『そうだな』
「なんで夕飯の買い物みたいになってるんだろ」
いいことじゃないか。
俺は収納魔法を使い、スライムゼリーをしまった。
「あっ、入れた!」
『持って帰る』
「本当に!?」
悠真の顔が引きつっている。
俺は気にせず歩き出した。
楽しくなってきた。
これはすごい。
ダンジョン。
昨日までは悠真がモンスターを倒したり素材を集めたりする、危険な場所だと思っていた。
もちろん、それは間違っていない。
ゴブリンもいる。
スライムもいる。
油断すれば怪我もする。
でも。
よく見れば、食えるものだらけじゃないか。
俺は少し前を歩きながら、右へ左へと首を動かす。
あそこにキノコ。
向こうにニンジン。
あの草は駄目。
あれも駄目。
こっちは……食える。
なんだここ。
巨大な冷蔵庫か?
「ニャル、あんまり離れるなよ」
「にゃ」
呼ばれて、俺は悠真の足元へ戻る。
ついでにズボンの裾へ身体を擦りつけた。
悠真の手が頭へ降りてくる。
「初ダンジョンだからテンション上がってる?」
撫でられる。
気持ちいい。
思わず喉が鳴りかけた。
……まあ、テンションは上がってる。
理由が悠真の想像とはだいぶ違うが。
撫でる手から離れて、俺はまた前を見る。
もっとないか。
美味そうなもの。
悠真に食わせられそうなもの。
せっかく育てると決めたんだ。
まずは飯だ。
美味い飯を食わせる。
そのくらいはできる。
――たぶん。
まだ実際に料理したわけじゃないけどな。
しばらく進むと、悠真が足を止めた。
「この先、ちょっと注意な」
『何かいるのか?』
「ゴブリンの溜まり場がある」
悠真が声を落とす。
「毎回いるわけじゃないけど、二、三体まとまってることが多い。ニャルは俺から離れないで」
『分かった』
ここは素直に従う。
悠真は弱い。
本人もそれは理解している。
でも、何もできないわけじゃない。
半年間ここへ通っているだけあって、こういう時の動きは慣れていた。
音を立てないよう慎重に進む。
俺も四足になって、その後ろについていく。
……二足で歩けるが、こういう時はこっちの方が速い。
少し進んだ先。
岩壁が広くえぐれた場所に、粗末な木の柵が見えた。
枝。
ぼろ布。
石。
そんなものを組み合わせた簡単な寝床がいくつかある。
ゴブリンの住処らしい。
二体。
いる。
一体は木箱のそば。
もう一体は地面に座り、何かをかじっていた。
「二体か……」
悠真が小さく呟く。
剣へ手をかける。
俺はその横で――。
別のものを見ていた。
『…………』
「ニャル?」
住処の奥。
木の枝で囲われた一角。
そこだけ土が柔らかく耕されている。
低い葉が何列か並び、その横には掘り返された土。
さらに粗末な籠の中に、泥だらけの丸い塊が積まれていた。
見た瞬間。
また分かる。
ゴブリンポテト。
『芋だ』
「え?」
『悠真。あそこ、芋がある』
「今そこ!?」
悠真が小声でツッコむ。
『しかも結構あるぞ』
「その前にゴブリン!」
それもそうだ。
一体がこちらへ気付いた。
「ギャッ!」
「見つかった。ニャル、後ろ!」
悠真が前へ出る。
ゴブリンが棍棒を振り上げて突っ込んできた。
速くはない。
悠真は正面から受けず、半歩ずれてかわした。
棍棒が地面を叩く。
そこへ剣を振るう。
「はっ!」
「ギャッ!」
一体目が倒れる。
だが、もう一体もこちらへ向かっていた。
悠真は追撃せず、一度距離を取る。
慌てて二体を同時に相手にしない。
うん。
派手さはないけど悪くない。
ちゃんと自分のできる範囲で戦ってる。
俺は安全な位置から、その動きをじっと見る。
二体目の棍棒が横へ振られる。
悠真が剣で受け流す。
金属と木がぶつかる鈍い音。
「っ!」
身体を入れ替えるように踏み込み、そのまま斬る。
ゴブリンが倒れ、光の粒へ変わって消えた。
「ふぅ……」
悠真が周囲を確認する。
「もういないな」
『よし』
「よし?」
『芋だ』
「そっちなんだ……」
俺は走った。
「ニャル! まだ安全確認――ああもう!」
土の区画へ到着。
近くで見れば、ますます畑だった。
規則正しく植えられているとは言い難い。
でも明らかに自然に生えたものじゃない。
ゴブリンたちが土を掘り、植えて、育てていたらしい。
籠には収穫済みの芋。
奥には掘るためらしい木の棒まで置かれている。
『ゴブリン、農業するんだな』
「簡単なのはするらしいよ」
追い付いてきた悠真が剣をしまう。
「食料を溜め込んでる住処はたまにある。これもゴブリンポテトって呼ばれてるやつ」
『やっぱり芋じゃないか』
「芋っぽい何か、な」
『芋だ』
「だから食えないって」
俺は籠の中から一つを取り上げた。
普通のジャガイモより少し大きい。
形は不揃い。
皮はくすんだ茶色で、一部に緑がかった芽が出ている。
土の匂い。
その奥に、ほんのり甘い香り。
そして頭の中に知識が流れ込む。
皮。
芽。
そこが危ない。
特に緑色の芽には魔力毒が集まっている。
厚めに皮をむき、芽を深くえぐる。
水にさらしてから、中心までしっかり加熱。
そこまでやれば問題ない。
中身はでんぷん質が多い。
煮崩れしにくい。
肉。
キノコ。
香りの強い根菜。
相性がいい。
……待て。
俺の頭の中に、鍋が浮かんだ。
肉。
ゴブリンポテト。
妖精ニンジン。
ケイブマッシュルーム。
全部まとめて煮る。
とろみのあるスープ。
熱々。
パンがあればなおいい。
『シチュー』
「え?」
『これ、シチューにしたら絶対美味い』
「話聞いてた?」
『聞いてる』
「食えないって」
『いや、食える』
「言い切った!?」
俺は芋を両前足で持ったまま、悠真を見上げる。
『皮と芽に毒がある』
「ほら!」
『だから取る』
「えぇ……」
『そのあと水にさらす。火もしっかり通す。それで食える』
「なんでそんな具体的なの?」
『見れば分かる』
「それ昨日まで使えなかった能力だよな?」
『たぶんな』
俺自身、今気付いたばかりだ。
悠真がしゃがみ込む。
芋。
俺。
芋。
交互に見る。
「……本当に?」
『何が』
「本当に食える?」
『食える』
「絶対?」
『正しく処理すれば』
さすがに生でかじる気はない。
それをやったらたぶん腹を壊す。
下手をすればもっとひどい。
でも、正しくやれば食える。
その確信だけは妙に強かった。
悠真はしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……持って帰るだけだからな」
俺の耳が立つ。
「食べるかどうかは帰ってから考える」
『よし』
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
だって芋だぞ。
しかも無料。
採れたて。
いや、ゴブリンが育てていたから正確には横取りか?
討伐したから戦利品でいいだろう。
俺は収納魔法を開く。
『全部持って帰るか』
「全部!?」
『せっかく育ってる』
「待て待て待て。食べられるかも分からないもの大量に持って帰るな!」
『俺には分かる』
「俺には分からないんだよ!」
結局。
収穫済みの籠から十個。
畑から状態のよさそうなものを数株分。
合計で二十個ほどのゴブリンポテトを確保した。
悠真は最後まで渋い顔をしていた。
「なんで俺、ゴブリン倒したあと芋掘りしてるんだろ……」
『丁寧に掘れよ。傷付くと保存が悪くなる』
「はいはい」
そう言いながらちゃんと掘ってくれる。
いい飼い主だ。
俺は掘り出された芋を一つずつ確認し、収納へ入れていく。
土の中からころころ出てくる。
楽しい。
なんだこれ。
芋掘り、結構好きかもしれない。
最後の一個を収納したところで、俺は満足して尻尾を揺らした。
ゴブリンポテト。
ケイブマッシュルーム。
妖精ニンジン。
スライムゼリー。
今日だけですでに四つ。
今まで人間が危険物くらいにしか思っていなかったものが、俺には食材に見える。
安全な場所。
危険な場所。
処理。
加熱。
料理方法。
全部分かる。
これ。
かなりすごい能力なんじゃないか?
少なくとも俺にとっては、とんでもない当たりだ。
戦えなくてもいい。
悠真が戦える。
俺には俺のできることがある。
食材を見つける。
持って帰る。
料理する。
美味い飯を食わせる。
うん。
いいな。
かなりいい。
「ニャル?」
声をかけられて見上げる。
悠真が手を差し出していた。
「そろそろ行くぞ」
「にゃ」
俺はその手によじ登る。
悠真が慣れた様子で抱き上げた。
高くなる視界。
撫でられる頭。
悪くない。
「……帰ったら母さんにも相談しような」
『なんでだ?』
「高校生が一人で『ダンジョンの毒物食べます』って決めるの怖いだろ」
『毒物じゃない。食材だ』
「その認識からもう違うんだよなぁ……」
悠真が遠い目をする。
俺は腕の中から、さっきまで歩いてきた洞窟を振り返った。
もうただの洞窟には見えない。
あそこに野菜。
向こうにキノコ。
倒したモンスターまで、もしかしたら。
考えるだけで尻尾が動く。
ここ。
本当に食材だらけなんじゃないか?
「じゃ、もう少しだけ進んで帰るか」
『おう』
悠真の腕から降り、再び歩き始める。
今度は俺も足元ばかり見ない。
食材探しに夢中になって、モンスターに襲われたら笑えないからな。
――そう思った直後だった。
茂みが揺れる。
「ニャル、止まれ」
悠真の声が変わった。
俺はぴたりと止まる。
草の奥から飛び出してきたのは、白茶色の毛をしたウサギだった。
ただし額には、短い角が一本。
ホーンラビット。
「来るぞ!」
悠真が剣を抜く。
ホーンラビットが地面を蹴った。
速い。
真正面から角を突き出して突進してくる。
悠真がぎりぎりで身体をずらす。
通り過ぎたホーンラビットが地面を蹴って向きを変える。
二度目。
今度は悠真も待っていた。
「そこ!」
踏み込む。
剣が振られる。
ホーンラビットの身体が地面へ転がった。
そして。
俺は。
倒れたホーンラビットを見た。
見てしまった。
毛皮。
角。
脚。
その向こう。
どこが食べられる。
どこを処理する。
どの部位が柔らかい。
どこを焼く。
どこを煮る。
知識が、一気に頭の中へ入ってくる。
『…………』
「ニャル?」
悠真が俺を見る。
俺はホーンラビットから目を離せなかった。
植物だけじゃない。
キノコだけでもない。
スライムだけでもない。
モンスターも。
『……肉もいけるな』
「え?」
今日一番、悠真の嫌そうな声が聞こえた。
──────────────
【ダンジョン食材辞典】
No.001
■名称
ゴブリンポテト
■危険度
★★☆☆☆
■ニャル評価
★★★★☆
■見た目
ゴブリンの住処で育てられている、ジャガイモに似た芋。
握りこぶしくらいの大きさで、皮は茶色。緑色の芽が出ることがある。
土っぽい匂いの奥に、ほんのり甘い香りがする。
■おすすめ調理法
○ 蒸し焼き
◎ 肉やキノコと一緒にシチュー
○ 揚げ物
■調理のコツ
皮と緑色の芽には魔力毒がある。
皮は少し厚めにむいて、芽は周りごとしっかり取る。
そのあと水にさらして、中心まで十分に火を通すこと。
生でかじるのは禁止にゃ。
■一人前
約150g/大きめ1個程度
■メモ
まだ食べてない。
でも芋で、煮崩れしにくくて、肉とキノコに合う。
これはもうシチューにしろってことだと思うにゃ。
ゴブリンはちゃんと畑で育ててた。
芋作りは上手かった。ありがたくいただくにゃ。
──────────────




