第4話 猫も探索者ギルドへ行くらしい
俺は今、悠真の腕の中にいる。
自分で歩けないわけじゃない。
むしろ二足歩行だってできる。
だが、全長二十センチの猫が人間と同じ速度で街を歩こうとすると、どうしても問題があるらしい。
「ニャル、落ちるなよ」
『落ちないって』
そう返しながら、俺は悠真の腕から肩へ移った。
こっちの方が見晴らしがいい。
……うん。
高いところは悪くないな。
猫になってからまだ大して時間は経っていないというのに、こういう場所へ乗ると妙に落ち着く。
前世で高い棚の上に座りたいと思ったことなど一度もなかったはずなんだが。
「そこ好き?」
「にゃ」
「そっか」
悠真がちょっと嬉しそうに笑った。
なんでお前が嬉しそうなんだ。
まあ、撫でようとしてこないだけいい。
今は外だし、俺だって一応これからダンジョンへ行く身だからな。
昨日、悠真の探索についていくと決めた。
そのために向かっているのが探索者ギルドらしい。
『そのままダンジョンに行くんじゃないのか?』
「ニャルを連れてくなら、先にギルドで手続きしといた方がいいんだよ。テイムモンスターとして一緒に行くわけだし」
『なるほど』
ちゃんとしてるな。
俺としても、勝手についていって入口で止められるよりはいい。
しばらくして、悠真が一つの建物へ入っていく。
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
金属。
革。
土。
知らない人間の匂い。
装備を背負った探索者たちが行き来し、受付では何人もの職員が対応している。
昨日まで家の中しか知らなかった俺にとっては、これだけでもかなり新鮮だ。
思わず耳があちこちへ向く。
「気になる?」
『まあな』
「初めてだもんな」
悠真は慣れた様子で中を進んでいく。
半年も探索者をやっていると言っていたし、ここには何度も来ているんだろう。
途中、何人かの視線が俺へ向いた。
そりゃそうか。
二足歩行できる二十センチの猫なんて、俺だって前世で見たら二度見する。
ただ、声をかけてくる者はいない。
探索者ギルドならテイムモンスター自体は珍しくないらしいし、いちいち他人の連れへ構っているほど暇でもないようだ。
悠真は並んでいる受付の一つへ向かった。
「こんにちは、岩城さん」
「ん」
返事、短っ。
受付の向こうにいたのは、四十歳前後くらいの男だった。
硬い表情。
落ち着いた雰囲気。
愛想が悪いというより、本当に必要なことだけ話す人間に見える。
悠真が慣れているあたり、いつもこんな感じなんだろう。
「今日はテイムモンスターのことで――」
悠真が言いかける。
男――岩城さんの視線が、その肩にいる俺へ移った。
ぴたり。
一瞬、止まった。
「……こいつが孵ったのか」
「あ、はい」
「そうか」
ん?
今のやり取りだけなら普通だ。
だが岩城さんは、俺から目を離さない。
「名前は」
「ニャルです」
「ニャルか」
「はい」
「そうか」
……喋るな、この人。
いや、一言一言は短い。
短いんだが、さっきの「ん」だけだった時と比べると明らかに増えている。
悠真も同じことを思ったらしい。
「岩城さん、ニャル相手だとよく喋りますよね」
「そうか?」
「そうですよ」
「気のせいだ」
岩城さんは真顔だった。
その間も視線は俺に向いたままだ。
気のせいではない気がする。
「種族は」
「あ、それが……ヌッコって出ました」
「ヌッコ?」
岩城さんの眉が、ほんの少しだけ動いた。
これまでで一番大きな反応だ。
「俺も知らなくて調べたんですけど、全然情報がなくて」
「そうか」
「珍しいですよね?」
「聞いたことはない」
そこで終わった。
もっと聞かれるかと思ったが、岩城さんは端末へ視線を落とし、必要な項目を淡々と確認し始めた。
「孵化したのは昨日か」
「はい」
「契約は成立してるな?」
「してます」
「体調は」
「元気です。……昨日ちょっと魔法を使いすぎてぐったりしましたけど、寝たら戻りました」
おい。
そこまで言う必要あるか?
岩城さんの視線がまた俺へ戻ってくる。
「使いすぎたのか」
「にゃ……」
なんとなく目を逸らした。
別に怒られる筋合いはない。
ないんだが。
「何が使える」
「えっと、収納と念動力と、火とか水とかの生活魔法。それから念話です」
「念話」
また眉が動く。
「珍しいな」
『俺もそう思う』
試しに岩城さんへ念話を飛ばしてみる。
岩城さんが黙った。
悠真も黙った。
俺は首を傾げた。
『どうした?』
「……本当に喋るのか」
『喋るぞ』
「そうか」
そして、それ以上は聞かなかった。
前世がどうだとか。
どうしてそんな能力を持っているのかとか。
そういう話にはならない。
俺としては助かる。
今の俺は猫。
悠真のテイムモンスター。
それで十分だ。
岩城さんは何事もなかったように手続きを続ける。
「戦闘は?」
「させないです」
悠真の返事は早かった。
俺が口を挟むより先だった。
「ニャル、小さいし。魔法も生活用っぽいんで。探索の手伝いをしてもらえたらって」
「分かった」
岩城さんが短く頷く。
「浅い階層でもモンスターは出る。戦わせないなら、お前が位置を見ろ」
「はい」
「危ないと思ったら抱えて戻れ」
「はい」
また返事が早い。
こいつ、俺のことになると妙に素直だな。
『俺も自分で逃げるぞ』
「分かってる。でもニャル、ちっちゃいからなあ」
『二十センチを舐めるな』
「舐めてないって」
「無理はさせるな」
「もちろんです」
俺と悠真の会話を聞きながら、岩城さんが端末を操作する。
しばらくして、その手が止まった。
「登録はこれでいい」
「ありがとうございます」
「次からは一緒に入れる」
よし。
これで俺も正式に悠真とダンジョンへ行けるらしい。
俺は受付台の上へ飛び移った。
高い場所があれば乗りたくなるのは、仕方ない。
猫だからな。
「こら、ニャル。受付の上は――」
「いい」
岩城さんが言った。
悠真が止まる。
俺も止まる。
「え、いいんですか?」
「邪魔にならなければな」
そう言いながら、岩城さんの手が俺の前へ差し出された。
いきなり触ってこない。
まず手を出して、こっちがどうするか待っている。
……ほう。
俺は少しだけ鼻を近づけた。
変な匂いはしない。
指先へ額を寄せる。
その瞬間。
耳の後ろを、ちょうどいい強さで撫でられた。
「……にゃ」
上手い。
こいつ、上手いぞ。
力が強すぎない。
かといって遠慮しすぎてもいない。
耳の付け根から頭の後ろへ、迷いのない手つきで撫でてくる。
まずい。
これは気持ちいい。
俺の尻尾が勝手にゆらりと動いた。
くそ。
身体が正直すぎる。
「岩城さん」
「なんだ」
「めちゃくちゃ手慣れてません?」
「そうか?」
「さっきからそればっかりじゃないですか」
「気のせいだ」
絶対に気のせいじゃない。
しかも岩城さん、ほんの少しだけ顔が柔らかくなっている。
俺は確信した。
この人。
猫が好きだ。
「ニャル、そろそろ行くぞ」
『……もう少し』
「え?」
『いや。なんでもない』
危ない。
撫でられることを優先してダンジョンへ行くのを遅らせるところだった。
猫、恐るべし。
俺は受付台から悠真の肩へ戻った。
すると岩城さんの視線も自然に俺を追う。
本当に分かりやすいな、この人。
『岩城さんって、ずっと受付をやってる人なのか?』
「ん? いや、昔は探索者だったって聞いたことあるよ」
『へえ』
なるほど。
さっきから悠真の剣や防具へ視線を向けていたのは、そのせいか。
「今日は緑葉か」
「はい。いつもの浅いところだけです」
「そうか」
岩城さんはもう一度、悠真の装備へ目を走らせた。
剣。
防具。
荷物。
それを確認してから、いつもの硬い表情に戻る。
「朝倉」
「はい」
「無事に帰ってこい」
「……はい!」
悠真が笑って答えた。
どうやら、初めて言われた言葉ではないらしい。
たったそれだけ。
頑張れとも。
絶対に勝てとも。
強くなれとも言わない。
ただ、帰ってこい。
俺は岩城さんを見る。
口数は少ない。
でも、悠真のことはちゃんと見ている。
たぶん、悪い人じゃない。
『岩城さん』
「ん?」
『行ってくる』
岩城さんは少しだけ目を細めた。
「ああ」
一拍置いて。
「お前も無事に帰ってこい」
『もちろんだ』
俺は尻尾を一度振った。
うん。
この人は信用してよさそうだ。
――――――
緑葉の洞窟。
悠真の家から一番近く、半年ほど前から何度も通っているダンジョンらしい。
入口を抜け、俺たちは中へ入った。
最初に感じたのは、湿った空気だった。
洞窟なのに暗いだけじゃない。
岩壁の隙間から草が伸び、少し進めば低い木まで生えている。
入口に近い浅い場所だからか、足元が見えなくなるほど暗くもない。
洞窟と森を無理やり一緒にしたような場所だ。
『変なところだな』
「初めて来るとそう思うよな。俺はもう慣れたけど」
悠真は剣の位置を確かめながら歩く。
さっきまで俺を抱いたり撫でたりしていた時とは、少し雰囲気が違う。
視線が前へ向いている。
足音も静かだ。
なるほど。
弱いとは聞いたが、半年続けてきただけはある。
少なくとも、何も考えずに歩いているわけじゃない。
育て甲斐がある。
俺は悠真の肩の上で前を見る。
「ニャル」
『ん?』
「俺より前には出るなよ」
『分かってる』
「変なの触るなよ」
『子供扱いするな』
「いや、昨日生まれたばっかだろ」
『ぐっ』
現世年齢で言われると反論しづらい。
「あと、疲れたらすぐ言えよ。昨日みたいになる前に」
『分かったって』
「ほんとに?」
『しつこいぞ、飼い主』
「はいはい」
そう言いながら、悠真はどこか楽しそうだ。
こいつも一人で潜るより、俺がいる方がいいらしい。
なら、ついてきた甲斐はある。
まずは今日、悠真がどう戦うのか見ておこう。
どこが弱い。
何が足りない。
どう伸ばせる。
せっかく育てると決めたんだ。
ちゃんと観察しないとな。
そう考えながら、何気なく横へ目を向けた。
岩壁の近く。
大きな葉が何枚も広がっている。
悠真は気にも留めず、その横を通り過ぎようとしていた。
俺も最初は、ただのダンジョンの植物だと思った。
だが。
「……にゃ?」
足が止まる。
いや、正確には悠真の肩に乗っているから、止まったのは俺の視線だ。
妙な感じがする。
知らない植物だ。
前世で見たこともない。
なのに、見た瞬間に。
なぜか分かった。
あれは――。
『……あれ、食えるな』
「え?」
悠真が振り返る。
俺は植物を見つめたまま、尻尾をぴんと立てた。




