第41話 猫を先生と呼ぶ料理人
人間の料理人に会いに行くことになった。
名前は橘修司。
食彩堂って店をやっていて、ダンジョン食材をずっと研究しているらしい。
この前、俺たちの配信を見ていた人だ。
『どんな料理を作るんだろうな』
「ニャル、楽しそうだね」
『そりゃそうだろ。料理の話ができるんだぞ』
ユウマは俺を抱き上げながら笑った。
「そうだね。でも、あんまりはしゃぎすぎないでよ?」
『分かってるって』
……たぶん。
食彩堂から連絡が来たのは、昨日のことだった。
橘という料理人が、ぜひ一度会って話をしたいと言ってきたらしい。
しかも、ダンジョン食材について相談したいことがあるという。
それを聞いた瞬間、俺は行くと決めた。
だって、俺の知らない食材があるかもしれないからな。
ユウマは最初、少し緊張していた。
でも、マコトとも相談して、昼間に店へお邪魔することになった。
今日は営業前の時間を使ってくれるらしい。
どんな店なんだろう。
どんな食材があるんだろう。
尻尾が勝手に動く。
「ニャル、もう着くよ」
『おう!』
ユウマの腕の中から顔を出すと、落ち着いた雰囲気の店が見えてきた。
木の扉の横に、小さな看板がある。
食彩堂。
ここか。
ユウマが扉を開けると、からん、と小さなベルが鳴った。
「いらっしゃい!」
奥から明るい声がした。
出てきたのは、背の高い男の人だった。
きれいな白い料理服を着ていて、にこにこと笑っている。
「朝倉悠真くんだね? 来てくれてありがとう。橘修司です」
「あ、はい! 朝倉悠真です。今日はよろしくお願いします!」
ユウマが頭を下げる。
俺も前足を上げた。
「にゃ!」
「おお……!」
橘は俺を見たまま、ぴたりと止まった。
……何だ?
俺の顔に何かついてるのか?
橘はゆっくり近づいてくると、真剣な顔で言った。
「先生」
『誰?』
「えっ?」
ユウマが目を丸くした。
「先生って、ニャルのことですか?」
「もちろん!」
橘は嬉しそうに頷いた。
「配信、見ましたよ。ホーンラビットの話、すごく勉強になりました」
『ああ、あれか』
橘はますます嬉しそうになった。
「やっぱり! あの知識はニャル先生のものなんですね!」
『だから先生って誰だよ』
「ニャルのことだってば」
ユウマが笑っている。
……何だか変な人だな。
でも、悪い人ではなさそうだ。
「さあ、どうぞ。今日はぜひ見てもらいたいものがあるんです」
橘に案内され、俺たちは店の奥へ進んだ。
厨房は広くて、ぴかぴかに磨かれていた。
大きなコンロ。
きれいに並んだ包丁。
いろんな大きさの鍋やフライパン。
壁には見たことのない調理器具も掛かっている。
『おお……!』
思わず声が出た。
すごい。
家の台所とは全然違う。
「ニャル、目がきらきらしてるよ」
『だって、あのフライパン見ろよ。でっかいぞ!』
「ほんとだね」
橘が笑った。
「気になるものがあったら、後で何でも聞いてください」
『おう!』
……この人、いい人だな。
俺はもう一度、厨房を見回した。
早く料理が見たい。
そんな俺たちを、橘は厨房の奥にある作業台へ案内した。
「実は、今日のために特別な食材を用意したんです」
そう言って、大きな保冷設備の扉を開ける。
中にあったものを見て、ユウマが息を呑んだ。
「うわっ……!」
そこには、巨大な猪みたいな魔物が横たわっていた。
もちろん、もう動かない。
背中から肩にかけて、岩みたいな硬そうな甲殻がついている。
普通の猪よりずっと大きい。
……おお。
こんな魔物もいるんだな。
『ちょっと見てみるか』
俺は目の前の魔物を鑑定した。
……ふむふむ。
名前は岩甲猪。
危険度は星二つ。
なるほど。肉は食べられるみたいだな。
『岩甲猪っていうのか』
「知ってるの?」
『いや、初めて見た。今、鑑定したんだ』
「そうなんだ。何か分かった?」
『ああ。食えるぞ、これ』
橘の目が大きく開いた。
「食べられるんですね!」
その声が、さっきよりずっと弾んでいる。
「これは岩甲猪という魔物です。ダンジョンの少し深い階層で討伐されたもので、探索者の知り合いに頼んで、解体前の状態で譲ってもらいました」
「こんな大きい魔物がいるんですね……」
「ええ。ただ、特別に危険な魔物というわけではありません。今の悠真くんにはまだ大変かもしれませんが、これから強くなれば十分に狙える相手ですよ」
ユウマがじっと岩甲猪を見た。
「……俺も、いつか倒せるかな」
『倒せるようになるぞ』
「うん。頑張る!」
ユウマの声には力が入っていた。
俺も嬉しくなって、尻尾を揺らす。
いつかユウマが自分で岩甲猪を倒して、俺が料理する。
それも楽しそうだな。
……でも。
今は目の前の食材だ。
『橘、これを料理したことあるのか?』
橘は頷いた。
「何度か挑戦しました。でも、どうにもうまくいかなくて」
橘は岩甲猪の背中を指さした。
「肉は悪くないんです。むしろ、旨みが強くて面白い。ただ、焼くと妙な苦味が出たり、肉がひどく硬くなったりすることがあって」
『ふうん』
「熟成も試しましたし、焼き方も変えました。でも、結果が安定しないんです」
橘は少し困ったように笑った。
「ホーンラビットの時と同じで、何か見落としている気がして」
……なるほど。
だから解体前の状態で用意したのか。
俺は岩甲猪に近づいた。
硬そうな甲殻。
その下にある皮。
そして、肉。
さっきの鑑定結果を、もう一度詳しく確かめる。
……ああ。
そういうことか。
『分かったぞ』
「えっ、もう?」
ユウマが驚いた。
橘も目を丸くしている。
「本当ですか?」
『ああ。甲殻の内側にある膜が問題なんだ』
「甲殻の内側……ですか?」
橘が真剣な顔になった。
『甲殻を外すときに、薄い膜が肉の方に残るんだ。それを一緒に焼くと苦くなるし、硬くなる』
「……なるほど」
橘は岩甲猪の背中を見つめた。
「俺はずっと、肉そのものが硬いんだと思っていました」
『肉はうまいぞ。ちゃんと膜を取ればな』
「先生、それを実際に見せてもらってもいいですか?」
『もちろん』
橘は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」
……そんなに頭を下げなくてもいいのにな。
俺はただ、うまい肉を食べたいだけなんだけど。
でも、橘の目は真剣だった。
きっと、ずっと悩んでいたんだろう。
それなら、ちゃんと教えてやろう。
俺は念動力で包丁を持ち上げた。
まずは甲殻のつき方を確認する。
硬い部分と、その下にある柔らかい部分。
境目に沿って、少しずつ刃を入れていく。
橘が横からじっと見ていた。
「……そこから入れるんですね」
『ああ。無理に剥がすと、膜が肉に残りやすいからな』
橘は何度も頷いた。
甲殻の一部を外すと、その下に薄い膜が見えた。
肉にぴったり張りついていて、ぱっと見ただけでは分かりにくい。
「これですか……」
『そうだぞ』
俺は膜の端を持ち上げ、肉を傷つけないように切り離していった。
するり。
膜が剥がれると、下からきれいな赤身が現れた。
脂も適度についている。
……うん。
いい肉だ。
「……すごい」
橘が小さく呟いた。
「こんなところに原因があったなんて」
『これならうまく食えるぞ』
橘は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、先生!」
『だから先生って……まあ、いいか』
もう好きに呼べばいい。
俺は肉の状態を確かめた。
うん。
これなら大丈夫だ。
ただし、今日は全部を料理する必要はない。
安全に処理できた部分から、三人で食べる分だけ切り出すことにした。
残りは橘が適切に保管して、後で調べるらしい。
俺が肉を切り分けていると、橘が横から声をかけてきた。
「先生、よかったら今日は一緒に料理しませんか?」
『……一緒に?』
「はい。せっかくこんないい肉があるんです。俺も腕を振るいたくなりまして」
橘は楽しそうに笑った。
「先生に食べてもらいたい料理もあるんです」
……ほう。
俺に食べさせたい料理。
それは気になる。
『やる』
「返事早っ!」
ユウマが笑った。
だって、そんなの断る理由がないだろ。
料理人が俺のために料理してくれるんだぞ。
楽しみに決まってる。
橘は手を洗い、作業台に材料を並べ始めた。
タマネギ、ニンニク、ハーブ、赤ワイン。
それから、バター。
……ふむ。
何を作るんだ?
「岩甲猪のローストに、香草赤ワインソースを合わせようと思います」
『ローストか!』
「ええ。肉の旨みをしっかり引き出して、ソースで香りを重ねます」
俺は尻尾をぴんと立てた。
いいな。
すごくいい。
橘は肉の厚みを確かめ、包丁を入れた。
すっ、と刃が動く。
……おお。
きれいだ。
俺も包丁は使える。
でも、橘の動きは何だか違う。
無駄な力が入っていない。
肉の筋を見ながら、必要なところだけを切っている。
『うまいな』
思わず呟く。
橘は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。でも、まだまだですよ」
……いや。
これは相当うまいぞ。
橘は肉に塩を振り、少し置いた。
その間にフライパンを温める。
バターを少し。
ニンニクとハーブも加える。
じゅわっ。
いい匂いが広がった。
『おお……!』
俺は思わず鼻をひくひくさせた。
ニンニクの香り。
ハーブの爽やかな匂い。
そこへバターの甘い香りが重なる。
……もううまそうだ。
橘は肉をフライパンへ入れた。
じゅううっ!
勢いのいい音が響く。
肉の表面が、少しずつ色を変えていく。
橘はすぐには動かさなかった。
焼き色がつくのを待ち、頃合いを見てひっくり返す。
……いい色だな。
俺が感心していると、橘はスプーンでフライパンのバターをすくい、肉の上へ何度もかけ始めた。
『何してるんだ?』
橘は手を止めずに答えた。
「香りのついたバターを肉にかけているんです。表面を乾かしすぎず、香りも移せますから」
『へえ……!』
なるほど。
そういうやり方もあるのか。
俺はじっと手元を見た。
橘は肉の厚みを確かめながら、火加減を細かく変えている。
そして、まだ中まで完全に火が通っていないように見えるところで、肉をフライパンから取り出した。
『あれ? もういいのか?』
「ここから休ませるんです」
『休ませる?』
「余熱で中まで火を入れます。ずっと強く焼いていると、外側が硬くなりすぎますから」
……なるほど。
肉の大きさと厚みに合わせて、火を入れる時間を変えるのか。
俺も加熱の加減は考えているけど、こういう細かいやり方は面白い。
橘は肉の状態を確認しながら、次の作業に移った。
フライパンに残った旨みを使って、ソースを作るらしい。
刻んだタマネギを炒め、赤ワインを注ぐ。
じゅわあっ!
香りが一気に広がった。
橘は火を調整しながら、ワインを煮詰めていく。
そこへ肉から出た旨みと、少量のバターを加えた。
木べらがゆっくり動く。
赤紫色だったソースが、少しずつ深い色へ変わっていった。
……いい匂いだ。
俺は思わず尻尾を揺らした。
『これ、すごいな』
「気に入りました?」
『うん。香りがどんどん変わる』
橘は嬉しそうに頷いた。
「ソースは、肉をもっとおいしく食べるためのものですからね」
……なるほど。
肉だけでもうまい。
でも、ソースを合わせると、もっと違う味になる。
そういうことか。
俺は橘の手元から目が離せなかった。
やがて、肉の休ませ具合を確かめた橘が、包丁を入れた。
すっ。
切り口には、しっとりした赤身が見える。
表面は香ばしく焼けているのに、中は柔らかそうだ。
橘は薄く切った肉を皿へ並べ、ソースをかけた。
最後に、香りのいいハーブを添える。
……おお。
きれいだ。
肉の色。
ソースの艶。
ハーブの緑。
全部が、ちゃんと一皿に収まっている。
「完成です。岩甲猪のロースト、香草赤ワインソース」
橘が皿を差し出した。
俺は思わず身を乗り出す。
『食っていいか?』
「もちろん!」
ユウマが笑った。
「ニャル、すごい勢いだね」
『だって、うまそうなんだもん』
……あ。
そうだ。
俺が食べやすいように、橘が小さく切り分けてくれた。
赤ワインのアルコールはしっかり飛ばしてあるらしい。
俺は念動力でひと切れ持ち上げ、口へ運んだ。
……ん。
んんっ!?
『……美味い!』
思わず声が出た。
すごい。
肉が柔らかい。
噛むと、じゅわっと旨みが広がる。
岩甲猪の肉は、味が濃い。
普通の肉より少し力強い風味がある。
でも、嫌な苦味は全然ない。
香ばしい焼き目の味と、しっとりした赤身の旨みが一緒に広がってくる。
そこへソースだ。
赤ワインの深い香り。
バターのまろやかさ。
ハーブの爽やかな風味。
全部が肉の味を引き立てている。
……何だこれ。
うまい。
すごくうまい。
『これ、どうやった?』
俺は橘を見上げた。
橘は一瞬きょとんとした。
「そこ気になる?」
『気になる!』
橘が声を上げて笑った。
「もちろん教えますよ!」
……よし。
いい人だ。
いや、すごくいい人だ。
俺はもう一切れ食べた。
やっぱりうまい。
ユウマも肉を口へ運んでいた。
「……うまっ!」
目を丸くしている。
「えっ、何これ。すごい……!」
橘が嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
「お肉がすごく柔らかいです! あと、ソースが……何て言えばいいんだろう。すごくおいしい!」
ユウマは少し困ったように笑った。
「うまく説明できないですけど、食べた瞬間にびっくりしました」
「それが一番嬉しいですよ」
橘は本当に嬉しそうだった。
……ああ。
分かる。
俺も、ユウマがうまいって言ってくれると嬉しい。
自分が作った料理を食べて、誰かが笑ってくれる。
それが一番だよな。
俺は橘を見た。
『なあ、橘』
「はい?」
『俺にも、その焼き方教えてくれ』
橘は少し驚いた顔をした。
「先生が、俺に?」
『うん。俺、あんなふうに焼いたことない』
橘は一瞬黙った。
それから、ふっと笑った。
「もちろんです。俺でよければ、いくらでも」
『やった!』
尻尾がぴんと立つ。
嬉しい。
すごく嬉しい。
だって、料理の話ができるんだぞ。
しかも、俺の知らないやり方を教えてくれる。
こんなに楽しいこと、なかなかない。
橘は俺を見つめながら、少し真剣な顔になった。
「俺も、先生に教えてほしいことがたくさんあります」
『いいぞ』
「ダンジョン食材のこと、まだ分からないことだらけなんです」
『俺も料理のこと、もっと知りたい』
橘は嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、お互いに教え合いましょう」
『おう!』
俺は前足を上げた。
橘も笑って、そっと手を差し出してくる。
ぺちっ。
前足と手のひらが触れた。
……何だか、仲間ができたみたいだ。
料理の仲間。
そう思うと、胸の奥がぽかぽかした。
「それにしても、今日は本当に助かりました」
橘が岩甲猪の残りを見ながら言った。
「ずっと分からなかった原因が、やっと見えましたから」
『ちゃんと処理すれば、うまい肉だからな』
「ええ。今日食べて、よく分かりました」
橘は満足そうに頷いた。
「これなら、もっといろんな料理が作れそうです」
『だろ?』
俺も嬉しくなった。
岩甲猪の肉は、焼いてもうまい。
煮込んでもいい。
香草を合わせても合いそうだし、ほかの野菜と一緒に料理するのも楽しそうだ。
……ああ。
考えているだけで腹が減ってきた。
「ニャル、さっき食べたばっかりだよ?」
『まだ食えるぞ』
「そういう問題じゃないって」
ユウマが笑う。
橘もつられて笑った。
厨房に、明るい声が響いた。
……いいな。
こういうの。
料理の話をして、おいしいものを食べて、また次の料理を考える。
俺は、こういう時間が大好きだ。
橘が作業台を片づけながら、ふと思いついたように言った。
「先生。今度は、最初から一緒に作りません?」
『やる』
「返事早」
ユウマが即座に突っ込んだ。
橘が大きな声で笑う。
俺は尻尾をぴんと立てた。
だって、決まってるだろ。
こんなに楽しいこと、断るわけないじゃないか。
──────────────
【猫のレシピ帳】
Recipe.009
■料理名
岩甲猪のロースト・香草赤ワインソース
■使用食材(1人前)
・岩甲猪の肉(適切に下処理したもの) …… 150g
・タマネギ …… 1/4個
・ニンニク …… 1/2片
・赤ワイン …… 50ml
・バター …… 10g
・好みの香草 …… 適量
・塩 …… 適量
・油 …… 少量
■作り方
① 岩甲猪の甲殻を外し、内側に残る特殊な膜を丁寧に取り除く。安全に処理した肉を、焼きやすい厚さに切る。
② 肉に塩を振り、温めたフライパンで表面を香ばしく焼く。途中でバター、ニンニク、香草を加え、香りのついたバターを肉にかけながら火を入れる。
③ 肉を取り出し、余熱を利用して中心まで適切に加熱する。肉の厚さに応じて加熱状態を確認する。
④ 同じフライパンでタマネギを炒め、赤ワインを加えて煮詰める。アルコールを十分に飛ばし、バターを加えてソースを仕上げる。
⑤ 肉を食べやすく切って皿に盛り、香草赤ワインソースをかける。
■味の評価
★★★★★
肉の味が濃くて、すごくうまい!
でも、一番びっくりしたのは焼き方だ。
同じ肉でも、こんなに変わるんだな。
■ワンポイント
岩甲猪は、甲殻の内側にある特殊な膜を残さず取り除くこと。
膜が残ると、加熱した時に苦味や硬さが出る。
肉は焼きすぎず、余熱も使って適切に火を通すと、柔らかく仕上がる。
■悠真の感想
「お肉がすごく柔らかい! ソースもおいしくて、びっくりしたよ!」
■橘修司の感想
「長年分からなかった食材の扱い方が、ようやく見えてきました。これは、もっと料理の幅が広がりそうですね」
─ 今日のひとこと ─
料理の話ができる仲間ができた。
橘はすごく料理がうまい。
今度、あの焼き方をもっと教えてもらおう。
──────────────




