第39話 猫同士、だいたい言葉はいらない
猫という生き物は、どうしてこうも箱が好きなのだろう。
目の前に置かれた段ボール箱を見つめながら、俺はそんなことを考えていた。
大きさは、俺が一匹で入るのにちょうどいいくらい。高さもそれほどなく、少し頑張れば縁から顔を出せそうだ。
中には何も入っていない。ただの空き箱だ。
なのに、妙に気になる。
『……よし』
俺は前足を箱の縁にかけ、ひょいっと中へ入った。
すとん。
四方を壁に囲まれた、ほどよい狭さ。底に敷かれた段ボールの感触も悪くない。
……うん。これはいい箱だ。
俺はくるりと一回転してから、箱の底に腰を下ろした。
「ニャル、また箱に入ってる」
ユウマが笑いながら声をかけてきた。
『ちょうどいい箱があったからな』
「さっきまで普通に遊んでたのに」
『箱を見つけたら入るだろ』
「そういうもの?」
『そういうものだ』
少なくとも、今の俺にとってはそうだ。
前世では段ボール箱を見つけても、中に入ろうなんて思わなかった。それが今では、空き箱を見るとつい大きさを確かめたくなる。
猫の体というのは、なかなか不思議なものだ。
まあ、居心地がいいんだから仕方ない。
俺は箱の縁に顎を乗せた。
今日は、この箱で昼寝をするのも悪くないな。
そんなことを考えていたところで、玄関のチャイムが鳴った。
「あっ、来た!」
ユウマが立ち上がる。
そうだった。今日は小春ときなこが遊びに来る日だ。
この前、一緒に飯を食ってから、また遊ぼうという話になっていた。
俺も迎えに行こうかと思ったが、せっかく箱に入ったところだ。
……もう少しだけ、このままでいいか。
――――――
「こんにちは! お邪魔しまーす!」
しばらくして、小春の元気な声が聞こえてきた。
「いらっしゃい、小春さん!」
「今日もきなこ連れてきたよ!」
「やった!」
廊下から楽しそうな会話が近づいてくる。
俺は箱の中から顔を上げた。
居間に入ってきた小春の腕には、淡いきなこ色の猫が抱かれていた。
小さな翼を背中にたたんだケットシー、きなこだ。
「にゃあ」
『おう、きなこ』
俺が声をかけると、きなこがこちらを見た。
ゆっくり瞬きをして、小さく鳴く。
「んにゃ」
相変わらず、落ち着いたやつだ。
小春は俺を見つけると、ぱっと笑顔になった。
「あっ、ニャル!」
『おう』
「……箱に入ってる!」
『見れば分かるだろ』
「かわいい!」
……まあ、そうなるよな。
小春はきなこを床へ下ろし、俺の前にしゃがみ込んだ。
「ねえ、悠真くん。こうして見ると、ニャルって本当にちっちゃいね」
「そこがかわいいんだよ」
「分かる」
『俺の話してる?』
「もちろん!」
ユウマが即答した。
「ニャルのかわいさについて話してるんだよ」
『本人の目の前でする話か?』
「だって、かわいいんだもん」
……反論になってないぞ。
小春はきなこと俺を見比べていた。
「きなこも小さい方だと思ってたけど、ニャルと並ぶと大きく見えるね」
「ニャル、二十センチくらいしかないからね」
「きなこは三十センチくらいだもんね」
たった十センチの差。
人間からすれば大したことがないように聞こえるかもしれないが、俺たちの体格では結構な違いだ。
実際、きなこが隣に立つと、俺の小ささがよく分かる。
……いや、俺が小さいんじゃなくて、きなこが大きいということにしておこう。
「でも、どっちもかわいい!」
小春が嬉しそうに言った。
「うん。でもニャルが一番だよ」
「きなこも負けてないよ?」
「いやいや、ニャルは世界一だから」
「きなこだって世界一だもん」
『また始まった……』
俺は箱の中でため息をついた。
この二人、顔を合わせるたびに同じ話をしてないか?
もっとも、きなこはまったく気にしていない。
俺の入っている箱を、じっと見つめていた。
『ん?』
「にゃ」
きなこが一歩近づく。
そして、箱の縁へ鼻先を寄せた。
くんくん。
どうやら、俺より箱の方が気になるらしい。
……お前もか。
俺は思わず尻尾を揺らした。
――――――
『入りたいのか?』
「にゃあ」
きなこは箱の縁を見つめたまま、小さく鳴いた。
言葉が通じているのかどうかは分からない。
ただ、その視線には覚えがある。
俺もさっき、同じようにこの箱を見ていたからだ。
『……まあ、入ってみるか?』
俺は少し横へずれた。
きなこが箱の中を覗き込む。
小さな翼が、ぴくりと動いた。
次の瞬間、きなこの体がふわりと浮き上がった。
『おっ』
足元から数センチ浮いたきなこは、箱の縁を越えて、そのまま中へ降りてきた。
すとん。
……おお。
そうやって入るのか。
翼で浮けるのは知っていたけど、こうして目の前で見ると、やっぱり便利そうだな。
俺も念動力を使えば似たようなことはできるが、きなこは実に自然に浮いている。
……なんて感心している場合じゃなかった。
『お、おい』
箱の中が、急に狭くなった。
そりゃそうだ。
もともと俺一匹にちょうどいい箱へ、俺より大きなきなこが入ってきたんだから。
きなこはゆっくり腰を下ろそうとしている。
だが、そこには俺の尻尾がある。
『ちょっと待て。尻尾、尻尾!』
「にゃ?」
きなこが首を傾げた。
俺は慌てて尻尾を引っ込める。
すると今度は、きなこのふわふわした毛が俺の顔に当たった。
『ぶふっ』
……近い!
いや、別に嫌じゃないんだけどな。
柔らかいし、いい匂いもする。
ただ、近い。
きなこはそんな俺の苦労など知らない様子で、もう一度座り直した。
ぐいっ。
『おっと』
今度は俺の体が箱の壁に押しつけられた。
……お前、意外と遠慮がないな。
俺は前足で踏ん張り、少し押し返す。
ぐい。
きなこがこちらを見る。
「んにゃ」
『いや、そこ俺の場所だから』
「にゃあ」
『そう言われてもな』
きなこは一度立ち上がり、くるりと向きを変えた。
その拍子に、小さな翼が俺の耳をくすぐる。
『ひゃっ』
思わず耳が動いた。
……くすぐったい!
きなこは何事もなかったように、また座ろうとする。
俺も場所を確保しようと体をずらした。
ぐいぐい。
もぞもぞ。
箱の中で、二匹の猫が押し合う。
何だこれ。
俺たち、何をやってるんだ?
「……ねえ、悠真くん」
「うん」
「すごいことになってない?」
「なってるね」
箱の外から、二人の声が聞こえた。
「二匹で一つの箱に入ってる……!」
「かわいい……!」
……見てないで助けろよ。
いや、別に困っているわけじゃないけど。
ちょっと狭いだけだ。
俺はきなこの体を見た。
きなこも俺を見ている。
しばらく見つめ合ってから、俺は一つのことに気づいた。
……俺が丸くなればいいんじゃないか?
俺は箱の隅で体を丸めてみた。
前足を引っ込め、尻尾を体に沿わせる。
すると、思ったより場所が空いた。
きなこはその隙間へゆっくり体を収めた。
小さな翼をきれいにたたみ、俺の隣に腰を下ろす。
……おっ。
入った。
俺の背中には、きなこの柔らかい毛が触れている。
少し窮屈だが、さっきほどではない。
むしろ、隣が温かくて悪くない。
『……これならいけるな』
「にゃ」
きなこがゆっくり瞬きをした。
俺も目を細める。
……うん。
いい箱だ。
二匹でも、何とかなるもんだな。
――――――
「……撮るよ」
「うん」
箱の外で、ひそひそ声がした。
何だ?
俺が顔を上げると、ユウマと小春が同時にスマートフォンを構えていた。
……お前ら。
「ちょっと待って、かわいすぎる……」
「分かる……」
「きなこがニャルにくっついてる……!」
「ニャルも嫌がってない……!」
小声で騒ぐという、器用なことをしている。
ぱしゃり。
ぱしゃり。
控えめなシャッター音が続いた。
『……そんなに撮ってどうするんだ?』
「記念だよ!」
ユウマが答えた。
「ニャルときなこちゃんが仲良くしてるところ、残しておきたいから」
「私も! あとで見返したい!」
小春も嬉しそうに頷く。
……まあ、そういうことならいいか。
俺は箱の縁に顎を乗せ直した。
隣では、きなこが目を細めている。
どうやら、撮影されていること自体は気にしていないらしい。
「ねえ、悠真くん。これ、すごくいい写真じゃない?」
「うわ、本当だ。二匹ともかわいい!」
「でしょ!」
小春が画面を見せると、ユウマも自分のスマートフォンを差し出した。
「こっちも見て!」
「わあ! ニャルの前足ちっちゃい!」
「そうなんだよ!」
……また俺の小ささの話か。
俺は自分の前足を見た。
確かに小さい。
でも、これで包丁だって使えるし、料理もできる。
大きさだけがすべてじゃないんだぞ。
……包丁は念動力で動かしてるけどな。
ユウマが画面を眺めながら、ふと呟いた。
「これ、配信で見せたらみんな喜びそうだなあ」
俺は耳を動かした。
確かに、俺ときなこが箱に詰まっている光景は、視聴者には受けそうだ。
料理とは関係ないけど、猫の動画は人気があるしな。
すると、小春が少し首を傾げた。
「……でも、今日は普通に遊びに来ただけだよね?」
「あ、うん」
「だったら、これは私たちだけの写真でもいいんじゃない?」
小春はそう言って、箱の中の俺たちを見た。
「きなこもニャルも、のんびりしてるし」
ユウマは少し考えてから、笑った。
「そうだね。今日は配信しないでおこう」
『そうしてくれると助かる』
「ニャルもそう思う?」
『ああ。たまには、ただ遊ぶだけでいいだろ』
「うん!」
ユウマが頷いた。
「じゃあ、この写真は小春さんと交換するだけにしよう」
「やった! あとで送るね!」
……よし。
これで安心して箱に入っていられる。
配信が嫌いなわけじゃない。
俺の料理を見てもらうのは楽しいし、食材に興味を持ってもらえるのも嬉しい。
でも、何でもかんでも見せる必要はないだろう。
今は、きなこと遊んでいる時間だ。
それだけで十分だと思う。
俺は隣を見た。
きなこは、すでにうとうとしていた。
……お前、本当にマイペースだな。
まあ、そこがいいんだけど。
――――――
しばらくして、俺たちは箱から出た。
正確には、俺が先に出て、きなこが後から出てきた。
ずっと同じ姿勢でいると、さすがに体が固まるからな。
俺はぐーっと背中を伸ばした。
前足を前へ出し、腰を持ち上げる。
……んんっ。
気持ちいい。
その横で、きなこもゆっくり伸びをしていた。
小さな翼が左右に広がる。
ふわり。
きなこの体が少し浮いた。
『……便利だな、それ』
「にゃ?」
『翼だよ。浮けるやつ』
きなこは俺を見つめた。
それから、何でもないことのように、もう少し高く浮き上がった。
床から離れた前足が、ゆらゆら揺れている。
『おお』
やっぱり面白い。
きなこはそのまま、窓際の低い棚へふわりと移動した。
着地も静かだ。
……いいなあ。
俺もあそこへ行こう。
念動力を使えば、届かない場所じゃない。
俺は自分の体を浮かせ、棚の上へ移動した。
すとん。
『よっと』
「にゃあ」
きなこがこちらを見た。
『おう、来たぞ』
並んで座ると、窓の外がよく見える。
庭の植木が風に揺れていた。
遠くから鳥の声も聞こえてくる。
きなこはじっと外を眺めている。
俺もその隣で、しばらく景色を楽しんだ。
……平和だな。
ダンジョンに潜っている時は、周囲の気配に注意しなきゃいけない。
料理をしている時は、火加減や食材の状態を考えている。
でも、こうして窓の外を眺めているだけなら、何も考えなくていい。
たまには、こんな時間も必要だ。
きなこが小さく首を動かした。
俺の方へ鼻先を寄せてくる。
『ん?』
くんくん。
俺も鼻を近づけた。
くん。
……うん。
この前と同じ匂いだ。
俺がそう思っていると、きなこが俺の耳の辺りをぺろりと舐めた。
『……おっ?』
突然のことで、少し驚いた。
きなこは何事もなかったように、もう一度ぺろり。
……毛づくろいか?
そういえば、猫同士で仲がいいと、こういうことをするんだったな。
俺は少し考えた。
別に嫌じゃない。
むしろ、何だか落ち着く。
……じゃあ、お返しするか。
俺はきなこの頬の辺りへ顔を近づけ、毛並みを少し舐めてみた。
ぺろ。
ふわふわだ。
きなこは目を細めた。
「んにゃ」
『……こんな感じか?』
「にゃあ」
どうやら、悪くなかったらしい。
俺は少し嬉しくなった。
猫同士の付き合い方なんて、まだ分からないことも多い。
でも、きなこは急かしてこないし、俺も無理に何かをする必要がない。
それが、ちょうどいい。
「……あっ」
下から小春の声が聞こえた。
「今、毛づくろいしてなかった?」
「してた!」
ユウマが嬉しそうに答える。
「ニャルがきなこちゃんを舐めてた!」
「きなこもニャルを舐めてたよ!」
「えっ、ほんと!?」
「うん!」
……聞こえてるぞ。
俺は二人を見下ろした。
『そんなに珍しいのか?』
「だって、仲良しってことじゃん!」
ユウマが笑った。
「ニャルに猫のお友達ができたんだなって思って」
……猫の友達、か。
俺は隣のきなこを見た。
きなこは、また窓の外を眺めている。
小さな翼が、時々ぴくりと動いた。
『……まあ、そうだな』
俺は小さく頷いた。
友達。
うん。
そう呼んでいい気がする。
――――――
それから少しして、台所の方から母さんの声がした。
「悠真、お茶にしましょうか」
「はーい!」
ユウマが返事をする。
その直後、俺の鼻がぴくりと動いた。
……ん?
何か、いい匂いがする。
俺は顔を上げた。
これは……魚?
焼いた魚のような、香ばしい匂いだ。
台所の方から漂ってくる。
『……魚か?』
思わず呟いた、その時。
「にゃ」
隣のきなこも顔を上げた。
鼻をひくひくさせている。
……おっ。
お前も気づいたか。
俺たちは同時に台所の方を見た。
しばらくして、ユウマがこちらへ戻ってきた。
「ニャル、どうしたの?」
『魚の匂いがする』
「えっ?」
『台所から』
「ああ、母さんが魚のおやつを用意してるのかな」
『魚!』
俺は思わず身を乗り出した。
隣で、きなこの翼がぴくりと動く。
「にゃあ」
『お前も気になるよな』
「にゃ」
きなこが頷いたように見えた。
……よし。
これは確認しに行くしかない。
俺は棚から降りた。
きなこもふわりと浮いて、隣へ降りてくる。
二匹並んで、台所の方へ向かった。
「……ねえ、悠真くん」
後ろから小春の声がした。
「今、二匹とも同時に動いたよね?」
「うん」
「魚の匂いで?」
「たぶん」
ユウマが笑った。
「ニャル、魚が大好きだから」
「きなこも好きだよ!」
……なるほど。
そこも一緒か。
台所へ着くと、母さんが小皿を用意していた。
「あら、二匹とも来たの?」
『魚の匂いがした』
「ふふ。鼻がいいのね」
母さんが笑う。
皿には、魚を使ったおやつが少しだけ載っていた。
どうやら、俺たちが食べられるように用意してくれていたらしい。
もちろん、きなこの分は小春に確認してからだ。
「きなこちゃん、これ食べられる?」
母さんが尋ねると、小春が皿を覗き込んだ。
「はい。これなら大丈夫です。でも、少しだけにしておきますね」
「そうね。さっきご飯も食べてきたんでしょう?」
「はい!」
……なるほど。
少量か。
まあ、仕方ない。
俺だって、食べすぎて夕飯が入らなくなるのは困るしな。
小春がきなこの前に小さく取り分けた魚を置く。
俺にも、母さんが少し分けてくれた。
『いただきます』
「にゃ」
二匹で、ほぼ同時に口をつける。
……うまっ。
魚の旨みが口いっぱいに広がった。
やっぱり魚はいい。
俺は尻尾をぴんと立てた。
隣を見ると、きなこも嬉しそうに食べていた。
ゆっくり。
でも、確実に。
……お前、本当に何を食べても落ち着いてるな。
俺は自分の皿を見た。
もう空だ。
きなこの皿には、まだ少し残っている。
……。
……いや。
別に欲しいわけじゃないぞ。
ただ、食べるのが遅いなと思っただけだ。
きなこがこちらを見た。
「にゃ?」
『……ゆっくり食えよ』
「んにゃ」
きなこはまた、ゆっくり魚を食べ始めた。
俺はその横に座って、食べ終わるのを待った。
……まあ、こういうのも悪くないな。
――――――
午後になると、居間に柔らかい日差しが差し込んできた。
窓際の床が、ぽかぽかと温まっている。
俺はそこへ移動した。
箱もいいけど、日向ぼっこも捨てがたい。
特に、魚を食べた後ならなおさらだ。
『……ふう』
俺は前足を伸ばし、ゆっくり腰を下ろした。
日差しが毛並みに当たって、じんわり温かい。
……ああ、これはいい。
目を閉じようとしたところで、隣に気配がした。
「にゃ」
『おう』
きなこだった。
俺の横へ来ると、同じように腰を下ろす。
小さな翼をたたみ、前足を揃えた。
……また隣か。
この前も、飯を食った後に並んで寝たんだったな。
俺は少しだけ体をずらした。
きなこが座りやすいように。
すると、きなこもこちらへ少し寄ってきた。
ふわりと毛が触れる。
……うん。
ちょうどいい。
俺は前足の上に顎を乗せた。
きなこも目を細める。
しばらく、何も話さなかった。
窓の外では、風が木の葉を揺らしている。
部屋の向こうからは、ユウマと小春の楽しそうな声が聞こえていた。
「ねえ、きなこって普段どこで寝るの?」
「お気に入りのクッションがあるんだよ。あと、たまに私のベッドにも来る」
「ニャルも俺のベッドに来るよ!」
「いいなあ。ニャルって小さいから、布団に入ってきても気づかなさそう」
「いや、ちゃんと分かるよ。かわいいから!」
……どういう理由だ。
俺は片耳だけ動かした。
でも、わざわざ口を挟むほどでもない。
今は眠い。
きなこの体が、俺の背中に少しだけ触れた。
見ると、きなこはもう目を閉じている。
呼吸に合わせて、小さな翼がわずかに上下していた。
……早いな。
俺も目を閉じた。
しばらくすると、すぐ近くから小さな喉の音が聞こえてきた。
ごろごろ。
……きなこか。
気持ちよさそうだな。
俺もつられて、喉を鳴らした。
ごろごろ。
二匹分の音が、静かな部屋に重なる。
「……ねえ、悠真くん」
小春の声が、少し小さくなった。
「二匹とも寝ちゃった?」
「うん。気持ちよさそう」
「かわいいね」
「うん」
ぱしゃり。
控えめな音がした。
……また写真か。
まあ、いい。
今日はもう、何もする気が起きない。
日差しは温かいし、隣にはきなこがいる。
それだけで十分だ。
俺は少しだけ体を丸めた。
きなこの毛が、頬に触れる。
ふわふわだ。
……ああ。
眠い。
俺はそのまま、ゆっくり眠りに落ちた。
――――――
目を覚ました時には、窓から差し込む光の向きが少し変わっていた。
……ん。
どれくらい寝てたんだ?
俺はゆっくり顔を上げた。
隣には、まだきなこがいる。
ただ、向こうも目を覚ましていたらしく、静かに俺を見ていた。
『……おはよう』
「にゃ」
『よく寝たな』
「んにゃ」
きなこがゆっくり瞬きをする。
俺も同じように瞬きを返した。
……何だか、こういう挨拶にも慣れてきたな。
人間相手なら、もう少し言葉を交わすところだ。
でも、きなことはこれで十分な気がする。
隣に座る。
匂いを確かめる。
一緒に箱へ入る。
魚の匂いに反応する。
眠くなったら並んで寝る。
……うん。
なかなかいい付き合い方だ。
「ニャル、起きた?」
ユウマが近づいてきた。
『おう』
「よく寝てたね」
『日向が気持ちよかったからな』
「きなこちゃんもずっと隣にいたよ」
『知ってる』
俺が答えると、ユウマは嬉しそうに笑った。
「仲良くなったね」
『まあな』
「ニャルに猫のお友達ができて、俺も嬉しいよ」
……そんなに嬉しいものか?
俺はユウマを見上げた。
ユウマは本当に嬉しそうな顔をしている。
……まあ、そうだよな。
俺だって、ユウマに新しい友達ができたら嬉しい。
それと同じか。
『俺も楽しいぞ』
「そっか!」
ユウマが笑顔になった。
その後ろから、小春もやってくる。
「そろそろ帰ろうか、きなこ」
「にゃあ」
きなこが立ち上がった。
小さな翼を広げ、ふわりと浮き上がる。
俺はそれを見上げた。
『もう帰るのか』
「んにゃ」
『そっか。またな』
きなこは俺の前へ降りてきた。
鼻先を近づける。
くん。
俺も鼻を寄せた。
くんくん。
……よし。
また会おうな。
きなこが小さく鳴いた。
「にゃ」
それから、ふわりと浮いて小春の腕へ収まった。
「今日はありがとう、悠真くん!」
「こちらこそ! また遊びに来てね!」
「うん! きなこも楽しそうだったし、また来たい!」
小春が俺を見た。
「ニャルも、またきなこと遊んでね」
『おう。いつでも来い』
「ふふっ、ありがとう!」
小春は嬉しそうに笑った。
玄関まで見送りに行くと、きなこが小春の腕の中からこちらを見ていた。
俺は前足を少し上げる。
『またな』
「にゃあ」
扉が閉まるまで、きなこは俺の方を見ていた。
……うん。
いい一日だった。
俺は尻尾を揺らしながら、居間へ戻った。
――――――
「楽しかったね、ニャル」
『ああ』
小春たちが帰った後、ユウマはソファに座り、スマートフォンを手に取った。
俺はその隣へ飛び乗る。
さっきまできなこと遊んでいたせいか、いつものソファが少し広く感じた。
……いや、もともと広いんだけどな。
「写真、いっぱい撮れたなあ」
ユウマが画面を見ながら笑っている。
覗き込むと、俺ときなこが一つの箱に収まっている写真が表示されていた。
……改めて見ると、確かに狭そうだ。
俺の体は箱の隅で丸くなっているし、きなこの毛は俺の顔にかかっている。
よくあれで落ち着けたな。
「これ、すごくかわいいよね」
『……そうか?』
「うん! 今日の一番のお気に入り!」
ユウマが嬉しそうに画面を眺めた。
それから、写真を閉じて別の画面を開く。
見覚えのある表示だ。
『配信のやつか?』
「うん。『ニャルの台所』のコメント、ちょっと見ておこうと思って」
『何か来てるのか?』
「最近、前の動画にも新しいコメントが増えてるんだよ」
へえ。
配信した後も、見てくれる人がいるんだな。
ユウマが画面をスクロールする。
料理についての感想が、いくつも並んでいた。
「『この調理、本当に理にかなってるらしい』」
『ほう』
「『料理人が反応してる』だって」
『料理人?』
「うん。プロの人も見てるのかな?」
……へえ。
それはちょっと嬉しいな。
料理を仕事にしている人が、俺の調理を見てくれているのか。
どんなところが気になったんだろう。
火加減か?
下処理か?
それとも、ダンジョン食材の扱い方か?
……ちょっと話を聞いてみたい気もする。
俺がそんなことを考えていると、ユウマの指が止まった。
「……ん?」
『どうした?』
「これ、何だろう」
ユウマが画面を少し近づけた。
そこには、こんなコメントが表示されていた。
『食彩堂の橘さんが、この配信の話してた』
……食彩堂?
聞いたことがあるような、ないような。
橘さんというのも、俺には分からない名前だ。
ユウマも首を傾げている。
「食彩堂って何だ?」
『飯屋?』




