第37話 世界一かわいい猫が二匹いる
「……ニャル?」
知らない声が、俺の名前を呼んだ。
『ん?』
振り向くと、店の入口に女の子が立っていた。
高校生くらいだろうか。片腕に淡い茶色の猫を抱えて、こちらをじっと見つめている。
いや、猫……だよな?
その背中には、小さな翼が二枚生えていた。
俺が翼に気を取られていると、隣にいたユウマも顔を上げた。
「はい?」
女の子はユウマを見て、それから俺を見た。
もう一度ユウマを見て、また俺を見る。
「……本物……」
何だ?
俺たち、知り合いだったか?
少なくとも、俺には見覚えがない。
女の子は口元を両手で押さえかけて、慌てて片手を戻した。腕の中の猫がずり落ちないように抱え直したらしい。
「あっ、ごめんなさい! いきなり名前呼んじゃって!」
「いえ、大丈夫ですけど……」
「あの、『ニャルの台所』のニャルですよね?」
「あ、はい! そうです!」
ユウマが嬉しそうに答えた。
なるほど。
配信を見てくれている人か。
最近、こうして声をかけられることが少しずつ増えてきた。
料理の話をしてくれる人もいるし、俺の動きが面白いと言う人もいる。
この女の子は、どっちだろう。
「やっぱり! うわあ……本当にいる……!」
女の子が目を輝かせた。
「ちっちゃい……! 動画で見るよりちっちゃい! 耳も尻尾もちゃんと動いてる……!」
『そりゃ動くぞ』
「えっ」
女の子が固まった。
しまった。
つい普通に返事をしてしまった。
いや、別に隠しているわけじゃないんだけどな。
ユウマが慣れた様子で説明する。
「ニャルは念話で話せるんです。動画だと声は聞こえないんですけど」
「ね、念話……!」
女の子は俺を見下ろした。
「じゃあ、今のって……」
『俺だぞ』
「しゃべった……!」
目がさらに丸くなる。
そして。
「かわいい……!」
……しゃべることと、かわいさは関係あるのか?
まあ、喜んでくれているならいいけど。
女の子は俺の前でしゃがみ込んだ。
その動きはゆっくりしていて、急に手を伸ばしてくることもない。
「あの、ニャル。触ってもいい?」
『ん?』
「嫌だったら、もちろんいいの。ちょっとだけ、撫でてみたくて」
なるほど。
ちゃんと聞いてくれるんだな。
俺は女の子の顔を見た。
期待でいっぱいの目をしているけど、手は膝の上に置いたままだ。
悪い人ではなさそうだ。
『いいぞ』
「……ほんと?」
『うん』
「ありがとう……!」
女の子はそっと手を伸ばした。
俺の頭に、指先が触れる。
耳の間をゆっくり撫でられた。
……おお。
上手い。
力加減がちょうどいい。
ぐいぐい押してこないし、毛並みに逆らわない。
猫を撫で慣れている手だ。
「……ふわふわ……」
女の子が小さく呟いた。
「ちっちゃいのに、ちゃんと温かい……」
『生きてるからな』
「うん……そうだよね……」
なぜか感動している。
俺は少し首を傾げた。
その瞬間。
「っ……!」
女の子が息を呑んだ。
『どうした?』
「首……傾げた……」
『うん?』
「かわいい……!」
……忙しいな、この子。
ユウマが横で笑っている。
「ニャル、よかったね」
『何がだ?』
「すごく気に入ってもらえたみたい」
それは分かる。
でも、ちょっと不思議だ。
俺はただ立って、首を傾げただけなんだけどな。
女の子はもう一度だけ俺の頭を撫でると、名残惜しそうに手を離した。
「ありがとう、ニャル。すっごく嬉しい」
『どういたしまして』
すると、女の子の腕の中から小さな声がした。
「にゃあ」
あ。
そうだった。
俺は、さっきから気になっていた猫へ目を向けた。
……翼。
やっぱり、翼がある。
――――――
「あっ、自己紹介がまだだった!」
女の子が姿勢を正した。
「私、白石小春。高校二年生です。こっちは、うちのきなこ」
「にゃ」
腕の中の猫が、のんびりと返事をした。
「俺は朝倉悠真です。こっちがニャル。……って、もう知ってるか」
「はい! 配信、見てます!」
小春は嬉しそうに頷いた。
「この前の猫専用鍋の動画で初めて知って、それから過去の動画もいっぱい見ちゃって」
「えっ、あの鍋の動画から?」
「そうなんです! 鍋を見つめてるニャルがかわいくて!」
『鍋を?』
料理じゃなくて?
いや、料理も見てくれたんだろうけど。
「もちろん料理もすごかったよ! あんなに大きなお鍋を浮かせて、ちゃんと煮込みを作ってるんだもん」
『おお』
「でも、鍋を動かした後の満足そうな顔が、もう……!」
小春が胸の前で手を握った。
「かわいすぎて、何回も見ちゃった」
『……そうか』
俺、そんな顔をしていたのか。
ユウマが笑う。
「分かります。ニャル、新しい道具が来るとすごく嬉しそうなんですよ」
「ですよね! 耳がぴんって立って、尻尾がゆらゆらして!」
「そうそう!」
……おい。
何だか俺の知らないところで、俺の話が盛り上がっているぞ。
小春は俺を見て、にこにこと笑った。
「本物のニャル、やっぱりかわいいなあ」
「ですよね!」
ユウマが即答した。
「ニャル、世界一かわいいんですよ」
……ん?
小春の笑顔が、ぴたりと止まった。
「……世界一?」
「はい!」
「……それは違うかな」
小春が真剣な顔になった。
ユウマも目を瞬かせる。
「え?」
「ニャルはすっごくかわいい。これは間違いないの」
「はい」
「でも、世界一かわいいのは、うちのきなこだから」
小春は腕の中の猫を少し持ち上げた。
「ね、きなこ」
「にゃあ」
きなこは眠そうに目を細めた。
……いや、本人はあんまり気にしてなさそうだな。
ユウマはきなこを見た。
「確かに、きなこちゃんもかわいいですね」
「でしょ!」
「でも、世界一はニャルです」
「ええっ?」
小春が目を丸くした。
「それ飼い主補正じゃない?」
「そっちもでしょ」
「違うよ。きなこは客観的に見ても世界一かわいいもん」
「ニャルだって客観的に見ても世界一かわいいよ」
「きなこのこの毛並み、見て? ふわっふわなんだよ?」
「ニャルの毛並みだってふわふわだよ。しかも、こんなにちっちゃいんだよ?」
「きなこは翼もあるんだよ!」
「ニャルは料理できるよ!」
「かわいさの話でしょ!?」
……何をやってるんだ、こいつら。
『何を争ってるんだ』
二人が同時に俺を見た。
「世界一かわいい猫の話!」
「そう、世界一かわいい猫の話!」
『……二匹ともかわいいでいいだろ』
「それはそうだけど!」
「でも世界一は決めないと!」
『何でだよ』
俺は呆れて尻尾を揺らした。
すると、小春がまた小さく声を上げた。
「あっ、今の尻尾もかわいい……」
ユウマが満足そうに頷く。
「でしょ?」
「うん……でも、きなこが世界一だから」
「ニャルだよ」
……駄目だ。
終わらない。
俺は二人を放っておくことにした。
それより、気になることがある。
俺はきなこの方へ向き直った。
――――――
『なあ』
「にゃ?」
きなこが俺を見た。
淡いきなこ色の毛並み。
丸い耳。
ふわふわした尻尾。
そして、背中の小さな翼。
大きさは俺よりずっと上だ。
でも、動きはゆっくりしている。
小春の腕の中でも、落ち着いた様子だ。
『その翼、飛べるのか?』
「にゃあ」
きなこは短く鳴いた。
次の瞬間。
ふわり。
小春の腕から体が浮き上がった。
『おおっ!』
翼が小さく動いている。
ばさばさと激しく羽ばたくわけじゃない。
ゆっくり、ふわふわ。
まるで、柔らかい風に乗っているみたいだ。
きなこは小春の肩の高さまで浮き上がると、そこでぴたりと止まった。
『浮いてる!』
「そこ気になるんだ」
ユウマが笑った。
『気になるだろ!』
俺だって念動力で物を浮かせられる。
自分の体を動かすこともできる。
でも、翼で浮く猫なんて初めて見た。
しかも、あんなに自然に。
小春が嬉しそうに説明してくれる。
「きなこはケットシーなの。こうやってふわふわ浮くのが得意なんだよ」
『ケットシー……』
聞いたことはある。
猫型のモンスターで、普通の猫とは違う能力を持つ種族だ。
でも、実物を見るのは初めてだ。
きなこは空中でゆっくり向きを変えた。
そして、俺の近くへ降りてくる。
すとん。
床に着地した。
「にゃ」
『おお……』
すごい。
音もほとんどしなかった。
俺が感心していると、きなこがこちらを見つめた。
大きな目が、ゆっくり瞬く。
俺も見返した。
……さて。
どうしたものか。
相手は初対面の猫だ。
しかも、俺より大きい。
レオとは違って、いきなり飛びついてくるような様子はないけど。
まずは挨拶だな。
俺は一歩近づいた。
きなこは動かない。
もう一歩。
きなこが鼻をひくひくさせた。
俺も鼻を近づける。
くん。
くんくん。
……知らない匂いだ。
でも、嫌な匂いじゃない。
柔らかい毛の匂いと、ほんの少し外の風の匂い。
それから、何だか落ち着く匂いがする。
きなこも俺の匂いを確かめているらしい。
鼻先が、ちょんと触れた。
「にゃ」
『よろしくな』
きなこはゆっくり瞬きをした。
それから、少しだけ横へ移動して座った。
俺もその隣に座る。
……うん。
悪くない。
特に何かをするわけじゃない。
ただ、隣にいるだけだ。
きなこは尻尾を体の横へ置き、のんびりと店内を眺めている。
俺も同じ方向を見た。
棚にはブラシや寝床、おもちゃなんかが並んでいる。
その一角に、小さなクッションが積まれていた。
……あれ、ちょっと気持ちよさそうだな。
俺がそちらを見ていると、きなこも顔を向けた。
「にゃあ」
『あれ、いいよな』
「んにゃ」
……同意してくれたのか?
たぶん。
まあ、そういうことにしておこう。
小春が小さな声を上げた。
「……ねえ、悠真くん」
「はい?」
「二匹、並んでる……」
「ですね」
「かわいい……」
「かわいいですね……」
さっきまで世界一を争っていた二人が、今度は揃って同じ顔をしていた。
……分かりやすいな。
――――――
「写真、撮ってもいい?」
小春がスマートフォンを構えながら聞いてきた。
『いいぞ』
「ありがとう!」
ぱしゃり。
小さな音がした。
俺ときなこが並んで座っているところを撮ったらしい。
小春は画面を見て、口元を押さえた。
「……すごい」
「どうですか?」
「見て」
ユウマが覗き込む。
「うわ、いい写真!」
「でしょ!?」
小春は嬉しそうに画面を見せてくれた。
そこには、俺ときなこが並んで座っている姿が写っていた。
淡いきなこ色の大きな猫と、その隣にいる小さな俺。
……なるほど。
こうして見ると、体格差がすごいな。
俺が小さいのは分かっていたけど、並ぶと余計に目立つ。
「ニャル、ちっちゃいねえ……」
『今さらだろ』
「うん。でも、並ぶとまたかわいい」
小春が嬉しそうに言った。
ユウマも頷く。
「きなこちゃん、すごく落ち着いてますね」
「そうなの。昔からのんびりした子で」
「いいなあ。ニャルは料理してる時、すごく忙しそうだから」
『料理中は忙しいんだよ』
「知ってるよ」
ユウマが笑う。
小春はきなこの頭を撫でながら言った。
「きなこはね、日向ぼっこが大好きなの。窓際で寝てると、何時間でもそのまま」
「へえ。ニャルも日向ぼっこ好きだよ」
『好きだぞ』
「でも、料理の準備を始めるとすぐ起きるんだよね」
『飯は大事だからな』
「ふふっ、かわいい」
小春が笑った。
「きなこは、ご飯の時間になっても寝てることがあるよ」
「えっ、そうなんですか?」
「うん。声をかけると、ゆっくり起きてくるの」
「うわ、それ見てみたい」
「写真あるよ!」
小春がスマートフォンを操作した。
画面には、クッションの上で丸くなっているきなこが映っている。
翼をたたみ、尻尾を鼻先に寄せて、気持ちよさそうに眠っていた。
「かわいい!」
ユウマが声を上げる。
「でしょ!」
「寝顔、すごいかわいいですね!」
「そうなの! 特に、この耳の角度が!」
……耳の角度?
俺は画面を覗き込んだ。
確かに、少しだけ横へ倒れている。
でも、そこまで大きな違いがあるのか?
俺が首を傾げている間にも、二人の会話は続く。
「ニャルの寝顔もありますよ」
「見たい!」
「ちょっと待ってくださいね。えーっと……あった!」
今度はユウマのスマートフォンだ。
画面には、クッションの上で丸くなっている俺がいた。
……おい。
いつ撮ったんだ、それ。
俺、全然気づいてないぞ。
「……かわいい!」
小春が声を上げた。
「この前足! 顔の下にしまってる!」
「そうなんですよ。ニャル、たまにこうやって寝るんです」
「うわあ……いいなあ……」
『……なあ、ユウマ』
「ん?」
『俺の寝顔、何枚あるんだ?』
「え?」
ユウマが少し考えた。
「……いっぱい?」
『いっぱいって何だ』
「数えたことないなあ」
……そうか。
数えたことがないくらいあるのか。
小春がすかさず言った。
「分かる! 私もきなこの寝顔、いっぱい撮っちゃう!」
「ですよね!」
「だって、毎回ちょっとずつ違うんだもん!」
「そうそう! 寝返り打っただけでも撮りたくなる!」
……似た者同士だな。
俺は隣のきなこを見た。
きなこは、そんな会話など気にしていない様子で、ゆっくり欠伸をしている。
『お前も大変だな』
「にゃあ」
何だか、分かってくれた気がした。
――――――
そもそも、俺たちは買い物に来ていたんだった。
ユウマと一緒に、使いやすそうな猫用品を見に来たのだ。
新しい鍋も手に入ったし、料理以外の道具も少し見ておこうと思っていた。
……まあ、鍋を使って料理する方が楽しみなのは間違いないけど。
「あ、そうだ。私、ブラシを買いに来たんだった」
小春が思い出したように言った。
「きなこのブラシ、そろそろ替えようと思って」
「じゃあ、一緒に見ます?」
「いいの?」
「もちろん!」
そうして、俺たちはブラシの並ぶ棚へ移動した。
小春はきなこを抱き上げ、一本ずつブラシを見比べている。
「これ、柔らかそうだね」
「にゃ」
「こっちは毛が少し硬いかなあ」
小春が指先でブラシの感触を確かめる。
きなこは腕の中で大人しくしていた。
ユウマも隣から覗き込む。
「きなこちゃん、ブラッシング好きなんですか?」
「うん。特に首の後ろを撫でるみたいに梳かすと、すごく気持ちよさそうにするよ」
「ニャルも耳の後ろを撫でると喜ぶんですよ」
『……おい』
「そうなの? かわいい!」
小春が俺を見る。
……嫌な予感がする。
「ニャル、耳の後ろ、撫でてもいい?」
『……少しだけな』
「ありがとう!」
小春の指が、俺の耳の後ろへ伸びた。
ゆっくり、優しく。
……あ。
そこ。
そこ、いい。
思わず目が細くなる。
喉の奥から、小さな音が漏れた。
ごろごろ。
「…………」
小春の手が止まった。
『ん?』
「……喉、鳴った……」
『……鳴ったな』
「かわいい……!」
……またか。
でも、撫で方は上手い。
もう少し撫でてもらってもいいかもしれない。
俺が頭を少し寄せると、小春が息を呑んだ。
「自分から……!」
ユウマが笑う。
「ニャル、気持ちよさそうだね」
『……悪くない』
「それ、かなり気に入ってる時の反応だ」
『うるさいぞ』
小春が嬉しそうに笑った。
「よかったあ。嫌がられなくて」
俺は顔を上げた。
『小春は猫を撫でるのが上手いな』
「えっ、ほんと?」
『うん』
「やった!」
小春が満面の笑みになった。
そして、腕の中のきなこを見下ろす。
「きなこ、褒められちゃった」
「にゃあ」
きなこはのんびり返事をした。
……お前が褒められたわけじゃないぞ。
まあ、いいか。
その後、小春は柔らかいブラシを一本選んだ。
きなこの毛並みに合いそうなものらしい。
寝床に敷く布も、肌触りを確かめながら選んでいる。
ユウマはその横で、俺の寝床について話していた。
「ニャル、柔らかいクッション好きなんですよ」
「きなこも! でも、買ってきたクッションより、たまに私の服の上で寝ちゃうんだよね」
「あー、分かります! ニャルも変なところで寝る時あります!」
『変なところって何だ』
「この前、畳んだタオルの上で寝てたじゃん」
『あれは気持ちよかったんだ』
「ほらね」
小春が笑った。
「きなこも洗濯物の上、好きだよ」
「やっぱり猫ってそうなんだなあ」
……まあ、気持ちいい場所は見逃せないからな。
そこは仕方ない。
俺はきなこの方を見た。
きなこも俺を見ている。
何となく、気が合いそうだ。
――――――
買い物を終える頃には、ユウマと小春はすっかり打ち解けていた。
最初はニャルの配信の話ばかりだったのに、今はお互いの猫の話が止まらない。
「きなこって、寝る時は小春さんの近くにいるんですか?」
「うん。だいたい私のベッドか、窓際のクッションかな」
「ニャルも近くで寝ることありますよ」
『ユウマの寝相が悪い時は離れるけどな』
「えっ、俺そんなに寝相悪い?」
『たまにな』
「うそー」
小春がくすくす笑う。
「きなこはね、私が寝返り打っても全然動かない時があるよ」
「すごいなあ」
「でも、朝起きたら顔のすぐ横にいることもあって」
「うわ、最高ですね!」
「でしょ!」
……また始まった。
さっきから、こんな調子だ。
でも、二人とも楽しそうだし、いいか。
俺は店の隅に置かれた小さなマットの上に座った。
きなこも近くへやってきて、少し離れたところに腰を下ろす。
しばらく、何も起こらない。
きなこは毛づくろいを始めた。
前足を舐めて、顔を撫でる。
俺も何となく前足を舐めた。
ぺろ。
ぺろぺろ。
……落ち着くな。
きなこは毛づくろいを終えると、俺の方を見た。
「にゃ」
『ん?』
きなこがゆっくり瞬きをする。
俺も瞬きを返した。
それだけだ。
でも、不思議と居心地が悪くない。
レオと一緒にいる時は、もっと賑やかだ。
あいつは元気いっぱいで、こっちまで体を動かしたくなる。
それはそれで楽しい。
でも、きなこは違う。
静かで、のんびりしていて。
隣にいても、何かをしなきゃいけない感じがしない。
こういうのも、悪くないな。
きなこが小さく翼を動かした。
ふわりと体が浮き、少しだけ場所を変える。
そして、俺の隣に降りてきた。
『おっ』
「にゃあ」
さっきより、少し近い。
俺はそのまま座っていた。
きなこも動かない。
しばらくすると、きなこは前足を揃えて目を細めた。
……眠いのか?
まあ、昼寝にはいい時間かもしれない。
俺も少しだけ目を細めた。
店の中には、柔らかい日差しが差し込んでいる。
床もほんのり温かい。
……うん。
いい場所だ。
「……見て、悠真くん」
小春の声がした。
「二匹、すごく落ち着いてる」
「ほんとだ」
ユウマも小さな声で答えた。
「仲良くなれそうですね」
「うん……!」
小春が嬉しそうに頷く。
俺は片耳だけ動かした。
仲良く、か。
まだ会ったばかりだ。
きなこの好きな食べ物も、遊び方も、よく知らない。
でも。
こうして隣にいて、嫌じゃない。
それなら、いい始まりなんじゃないか。
『また会えるといいな』
俺が小さく呟くと、きなこが顔を上げた。
「にゃあ」
……分かったのか?
分からないけど。
俺は尻尾をひと振りした。
――――――
「それじゃ、そろそろ帰ろっか」
小春が買い物袋を持ち上げた。
中には新しいブラシと、きなこ用の柔らかい布が入っている。
「きなこ、帰るよ」
「にゃ」
きなこが立ち上がった。
小さな翼を広げ、ふわりと浮く。
そのまま小春の腕へ戻っていった。
『おお……』
何度見ても不思議だな。
翼で浮く猫。
俺もあんなふうに飛べたら、料理中に便利だろうか。
……いや、俺には念動力があるから、そこまで困らないか。
でも、ちょっと羨ましい。
ユウマが小春へ笑いかけた。
「今日は会えてよかったです」
「私も! まさか本物のニャルに会えるなんて思わなかった!」
小春は俺を見下ろした。
「ニャル、今日はありがとうね」
『うん』
「触らせてくれて嬉しかった。きなことも仲良くしてくれてありがとう」
『きなこはいいやつだな』
「でしょ!」
小春が嬉しそうに笑った。
「すっごくいい子なの!」
「分かります。落ち着いてて、かわいいですよね」
「そうなの! しかも、寝顔がね……!」
……おい。
また始まるぞ。
俺がユウマを見上げると、ユウマも気づいたらしい。
「あ、そろそろ行かないとですね」
「そうだね!」
二人は顔を見合わせて笑った。
小春がスマートフォンを取り出す。
「あの、よかったら連絡先交換しない? きなこの写真も送れるし」
「いいですよ! 俺もニャルの写真送ります!」
……なるほど。
写真交換か。
こいつら、絶対に何十枚も送り合うぞ。
俺は何となく、そんな未来が見えた。
二人が連絡先を交換している間、きなこは小春の腕の中でのんびりしていた。
俺はその顔を見上げる。
『きなこ』
「にゃ?」
『またな』
「にゃあ」
きなこが小さく鳴いた。
そして、ゆっくり瞬きをする。
俺も同じように瞬きを返した。
小春が俺の前にしゃがんだ。
「またニャルの配信見るね。きなこと一緒に」
『おう』
「次は何作るの?」
『まだ決めてないぞ』
「そっか。楽しみにしてる!」
小春はにこっと笑った。
きなこも腕の中から顔を出す。
「にゃ」
俺は尻尾を立てた。
『またな』
「うん、またね!」
小春が手を振る。
きなこも小さな翼を動かした。
二人が店を出ていくのを、俺とユウマは並んで見送った。
扉が閉まる。
店内が、少しだけ静かになった。
「……いい子だったね、小春さん」
『そうだな』
「きなこちゃんもかわいかったなあ」
『うん。翼で浮くの、すごかったぞ』
「ニャル、ずっとそこ気にしてたね」
『だってすごいだろ』
「ははっ。そうだね」
ユウマが俺を抱き上げた。
いつもの高さまで持ち上がる。
俺はユウマの腕の中で、さっきまできなこがいた場所を思い出した。
静かで、のんびりしていて。
隣に座っているだけで、何だか落ち着く猫だった。
レオとはまた違う友達になれそうだ。
「ニャル」
『ん?』
「また会えるといいね」
『うん』
俺は素直に頷いた。
ユウマも嬉しそうに笑う。
「俺も、小春さんとまた猫の話したいな」
『……世界一の話か?』
「もちろん、世界一はニャルだけどね」
『まだ言うのか』
「だって本当だし」
ユウマは当たり前のように答えた。
……やれやれ。
どうやら、あの勝負はまだ終わっていないらしい。
まあ、いいか。
小春にはきなこがいて。
ユウマには俺がいる。
どっちも、自分の猫が一番かわいいと思っている。
それだけ大切にされているってことだ。
俺はユウマの腕に顎を乗せた。
『帰ったら、何か美味いもの作るか』
「おっ、いいね!」
『新しい鍋も使いたいしな』
「また煮込み?」
『それもいいな』
ユウマが笑った。
俺も尻尾を揺らす。
新しい道具があって。
美味い飯があって。
それから、新しい知り合いもできた。
今日はなかなかいい日だった。
……それにしても。
世界一かわいい猫が二匹、か。
俺には、どっちが一番かなんて決められない。
でも、あの二人に言わせれば、きっと答えは一つずつあるんだろう。
俺は小さく喉を鳴らした。
まあ、世界一が二匹いたって、別に困らないよな。




