第34話 猫用の鍋、お願いします
黒鉄堂の扉を開けると、鉄と油の匂いがした。
奥からは金属を叩く音が聞こえてくる。かん、かん、と一定の間隔で響くその音は、前に来た時と変わらない。
俺はユウマの足元を抜けて、店の中へ入った。
『宮本ー』
「ニャル、まだ奥で仕事してるかもしれないだろ」
『聞こえてると思うぞ』
「そういう問題じゃなくて……」
ユウマが苦笑する。
しばらくすると、奥から足音が近づいてきた。
作業着姿の宮本が、手に持っていた布で指先を拭きながら顔を出す。
「おう」
『持ってきたぞ』
「早かったな」
「こんにちは。岩鉄坑道、行ってきました」
「そうか」
宮本はそれだけ言うと、作業台の方へ顎を向けた。
「素材」
『うん』
俺は作業台の上に、収納魔法から鉱石を取り出した。
最初は均熱晶鉄。明るい灰色の塊を、念動力で静かに並べていく。
次に柔鋼石。青黒い帯の入った鉱石を、その隣へ置いた。
最後に、途中で見つけた品質の低そうな欠片も出す。
「おお、こうして並べると結構あるな」
『五キロと二キロだぞ』
「ちゃんと採れたもんな」
ユウマが嬉しそうに言う。
俺も嬉しい。
前に来た時は包丁の材料だった。
今度は鍋だ。
しかも、いっぱい料理を作れる鍋。
宮本は作業台の前に立つと、まず均熱晶鉄を一つ手に取った。
表面を見て、角度を変え、割れた断面を確かめる。
「……ほう」
小さく声を漏らした。
『どうだ?』
「悪くねぇ」
『いいやつ探したぞ』
「見りゃ分かる」
宮本は別の塊を手に取り、指先で銀色の結晶模様をなぞった。
「模様が細けぇ。偏りも少ねぇな」
『黒い筋が少ないのを選んだ』
「正解だ」
よし。
宮本が頷いた。
それだけで、岩鉄坑道まで行った甲斐があった気がする。
宮本は小さな工具を取り出し、鉱石の端を軽く叩いた。音を聞き、断面を確かめてから、別の塊にも同じことをする。
「こっちは少し混ざり物があるな」
『駄目か?』
「使えねぇほどじゃない。精錬すりゃ落とせる」
そう言って、良い塊とそうでない塊を分けていく。
次は柔鋼石だ。
宮本は青黒い鉱石を持ち上げ、帯状の部分へ光を当てた。
鈍い青色が浮かぶ。
「こっちも良いな」
『粘るやつを選んだぞ』
「ちゃんと確かめたのか」
『小さい欠片で試した』
「そうか」
宮本は一つの欠片を工具で挟み、少しずつ力をかけた。
ぱきっと割れるのではなく、端がわずかに変形してから亀裂が入る。
岩鉄坑道で見たのと同じだ。
「余計なもんも少ねぇ。これなら使える」
「よかったあ」
ユウマが息を吐いた。
俺も尻尾を揺らす。
ただ、まだ一つ気になることがある。
『量は?』
「今見てる」
宮本は鉱石を計量し、断面や混ざり物の位置を確認していった。
原鉱が五キロあっても、全部が鍋になるわけじゃない。
柔鋼石も同じだ。
使えない部分を取り除いたら、足りなくなるかもしれない。
それは困る。
また岩鉄坑道へ行くのは別にいいけど、早く鍋が欲しい。
宮本はしばらく考え込んでから、二種類の鉱石を作業台の上に戻した。
「足りる」
『本当か?』
「ああ」
『やった!』
思わず前足が浮いた。
「よかったな、ニャル!」
『うん!』
ユウマと顔を見合わせる。
宮本は俺たちをちらりと見てから、鉱石を作業台の端へ寄せた。
「で、鍋だな」
『鍋だ!』
「分かったから落ち着け」
落ち着いているぞ。
ちょっと尻尾が動いているだけだ。
――――――
宮本は作業台に大きな紙を広げた。
前に包丁を作ってもらった時も、こんなふうに使い方を聞かれた。
ただ形を決めるんじゃない。
どう使うか。
何を切るか。
どんなふうに動かすか。
それを一つずつ確認して、俺に合う道具を考えてくれた。
今回も同じらしい。
「まず容量だ」
『いっぱい』
「それじゃ分からん」
『悠真が食うから、いっぱい作れるやつ』
「俺基準なの?」
『育ち盛り』
「いや、間違ってないけどさ」
宮本がユウマを見る。
「普段、どれくらい食う」
「ええと……普通の一人前じゃ、ちょっと足りないくらいです」
『ちょっとじゃないぞ』
「ニャル!」
『おかわりするだろ』
「するけど!」
『二回する時もある』
「具体的に言わなくていいから!」
宮本は笑いもせず、紙に何かを書き込んでいる。
「三人分だったな」
『うん。ユウマとマコトと俺』
「それにこいつのおかわり分か」
『そう』
「……お前の分は?」
『俺も食うぞ』
「どれくらい」
『美味かったらいっぱい』
「お前も同じじゃねぇか」
む。
そう言われると否定できない。
でも、美味いものはたくさん食いたいだろう。
猫だって同じだ。
宮本は紙に丸を描き、その周囲に寸法の目安を書き込んだ。
「家庭用の小鍋じゃ足りねぇな。かといって、でかくしすぎりゃ動かせなくなる」
『大きいのがいい』
「大きけりゃいいってもんじゃねぇ」
『でも、煮込みはいっぱい作りたい』
「何を煮る」
『肉。野菜。魚。キノコ』
「全部一緒にか?」
『料理による』
「そりゃそうだ」
宮本は少し考えてから、鍋の断面図らしいものを描き始めた。
底があって、側面が緩やかに立ち上がっている。
俺は紙の上を覗き込んだ。
『もっと深い方がいいか?』
「煮込みを中心にするなら、ある程度はな。ただ深くしすぎると底の様子が見にくくなる」
『混ぜにくいのも嫌だ』
「だろうな」
そう。
鍋の底に肉や野菜が張りついていないか、ちゃんと確認したい。
念動力で混ぜるにしても、鍋の中が見えないと困る。
「深さと口の広さは、この辺が落としどころだな」
『うん』
「煮込みだけじゃなく、スープや下茹でにも使える形にする」
『それがいい』
宮本が紙に描いた鍋は、普通のものに見えた。
でも、少し違う。
底の形。
側面の角度。
縁の厚さ。
一つずつ理由があるらしい。
「均熱晶鉄は本体に使う。底だけ厚くしても意味がねぇから、熱の回り方を考えて厚みを変える」
『全部同じ厚さじゃないのか?』
「同じにすりゃ簡単だが、それが一番いいとは限らねぇ」
宮本は底の部分を指で叩いた。
「ここは熱を受ける。側面にも回す。だが重くしすぎりゃ、浮かせる時に邪魔になる」
『軽い方がいい』
「そうだろうな」
『でも丈夫なのがいい』
「分かってる」
今度は鍋の縁を指さす。
「ここに柔鋼石を使う。底の負荷がかかるところにも補強を入れる」
『青黒いやつだな』
「ああ。軽くて粘る。こういう用途には向いてる」
岩鉄坑道で頑張って探した鉱石が、鍋のどこになるのか。
少しずつ分かってきた。
ただの石だったものが、料理道具の形になっていく。
まだ紙の上だけど、もう楽しい。
――――――
「次は動かし方だ」
『念動力だぞ』
「それは知ってる」
宮本が俺を見る。
「空で動かせても意味ねぇぞ。中身入った状態でどれだけ動かせる」
『いっぱい』
「だから、それじゃ分からん」
さっきも言われた。
いっぱいじゃ駄目らしい。
「ちょっと試すぞ」
『うん』
宮本は店の奥から、金属製の容器をいくつか持ってきた。
大きさの違うものが並ぶ。
そのうちの一つを作業台へ置き、中に重りを入れた。
「これ、浮かせてみろ」
『分かった』
念動力を伸ばす。
容器の底と側面を包み込むように意識して、ゆっくり持ち上げた。
ふわり。
容器が作業台から離れる。
「そのまま少し動かせ」
『うん』
右へ。
左へ。
少し上げて、下げる。
傾けて、戻す。
問題ない。
「じゃあ、もう少し重くする」
宮本が重りを追加した。
もう一度浮かせる。
さっきより少し重い。
でも、まだ動かせる。
「今度は傾けた状態で止めろ」
『こうか?』
「そうだ。そのまま」
容器を斜めにして、空中で止める。
中の重りが片側へ寄る。
重心が変わった。
なるほど。
空っぽの時とは違う。
念動力で支える位置を少し変えないと、容器が傾きすぎる。
「分かったか」
『うん。中身が動くと違うな』
「料理中はもっと面倒だぞ。汁も具も動く」
『そうだな』
煮込みを作る時、鍋の中には肉も野菜もスープも入る。
混ぜれば動く。
傾ければ片側へ寄る。
それを全部考えて鍋を動かさなきゃいけない。
包丁とは違う難しさがある。
「今度は少し回してみろ」
『うん』
容器をゆっくり回転させる。
重りが中で動く。
少しだけ、操作に余計な力が必要になった。
『こっちはちょっと動かしにくい』
「重心が高いからな」
宮本が頷いた。
「鍋は、なるべく姿勢が分かりやすい重心にする。傾けた時に変な方向へ引っ張られねぇようにな」
『できるのか?』
「そのために試してんだ」
なるほど。
やっぱり宮本はすごい。
俺が使っているところを見て、何が必要か考えている。
前に包丁を作ってもらった時と同じだ。
いや。
鍋の方が難しそうだ。
切る道具と、煮る道具。
形も使い方も全然違う。
それでも、宮本は面倒くさそうにしない。
「無理に大きくするより、料理中に安定して動かせる大きさにした方がいい」
『うん』
「三人分とおかわりを考えても、さっきの容量なら問題ねぇだろ」
『それならいい』
「鍋そのものの重さも抑える。素材の使い方はこっちで考える」
『頼むぞ』
「おう」
宮本は試した時の様子を紙に書き込んでいく。
俺はその手元をじっと見ていた。
線が増える。
数字が増える。
鍋の形が、少しずつ決まっていく。
早く使いたい。
まだ作ってもらってもいないけど。
――――――
「蓋はどうする」
『いる』
「即答か」
『煮込みに使うからな』
「だろうな」
宮本は鍋の上に、蓋の形を描き加えた。
「蓋も念動力で動かすんだろ」
『うん』
「だったら、重くしすぎねぇ方がいい」
『軽いのがいい』
「ただ、軽すぎて蒸気で浮くようじゃ困る」
『それは嫌だ』
煮込みの途中で蓋が勝手に浮いたら、せっかくの熱が逃げてしまう。
水分も減りやすくなる。
料理によっては、蓋を少しずらして蒸気を逃がしたい時もある。
『少しずらして置けるのがいい』
「蒸気を逃がすためか」
『うん』
「なら、縁の合わせ方も考えとく」
宮本は蓋の端に線を引いた。
「つまみは?」
『小さいのでいい』
「念動力で掴みやすい形にはする。人間が持てるようにもな」
『人間?』
「悠真も真琴も使うかもしれねぇだろ」
そう言われて、俺は少し考えた。
確かに。
俺が料理する時は念動力を使う。
でも、ユウマが手伝うこともある。
マコトだって、台所に立つことはある。
俺専用だからって、二人が触れない鍋にする必要はない。
『それがいい』
「本体にも短い持ち手を左右につける」
『長いのはいらないぞ』
「分かってる。邪魔にならねぇ程度にする」
宮本は鍋の左右へ、小さな持ち手を描いた。
長い柄じゃない。
両側に、少しだけ出っ張った形だ。
『それなら邪魔じゃなさそうだ』
「人間が使えなくする必要もねぇ」
宮本が当たり前のように言った。
俺は紙の上の鍋を見る。
俺が使いやすい。
でも、ユウマもマコトも使える。
そういう鍋だ。
『宮本』
「何だ」
『いいな、それ』
「そうか」
宮本は短く答えて、また紙に向き直った。
何でもないことみたいに。
でも、俺には大事なことだった。
この鍋は、俺だけのものになる。
それでも、朝倉家の台所で使う道具なんだ。
ユウマがいて。
マコトがいて。
俺がいる。
みんなの飯を作るための鍋。
そう考えると、さっきよりもっと欲しくなった。
「ニャル、なんか嬉しそうだな」
『嬉しいぞ』
「まだ完成してないけど?」
『いい鍋になりそうだ』
「それはそうだな」
ユウマも設計図を覗き込む。
「俺も使えるなら、手伝えること増えそうだし」
『ユウマは食う係だぞ』
「作る方も手伝わせてよ!」
『皿は並べていい』
「それ、今もやってる!」
宮本が小さく鼻を鳴らした。
笑ったのかもしれない。
顔を上げた時には、いつもの表情に戻っていたけど。
――――――
それからも、細かな確認が続いた。
鍋をどの高さで使うか。
火から外す時は、どんな動きをするか。
中身を別の器へ移す時、どれくらい傾けるか。
底に残った具材を集める時、鍋をどう動かすか。
宮本が聞いて、俺が答える。
必要なら、さっきの容器を使って実際に動かしてみせた。
『こうやって傾ける』
「もう少しゆっくり」
『こうか?』
「そうだ。そこで止めろ」
容器を傾けたまま、空中で止める。
宮本は横から眺め、今度は少し離れた位置へ移動した。
「戻してみろ」
『うん』
ゆっくり元の角度へ戻す。
「……なるほどな」
『何が分かった?』
「お前、傾ける時に底だけじゃなく側面も支えてるな」
『そうしないと動かしにくいぞ』
「なら、そこに無駄な出っ張りは作らねぇ方がいい」
そう言って、設計図の一部を消した。
俺が何気なくやっている動きにも、理由があるらしい。
宮本はそれを見逃さない。
すごい。
俺も料理している時は、食材の小さな変化を見ている。
肉の表面の色。
鍋から上がる泡。
香りが変わる瞬間。
それを見て、火加減や調味料を変える。
宮本も同じなのかもしれない。
俺の動きを見て、道具の形を変えている。
料理と鍛冶。
全然違う仕事なのに、少し似ている気がした。
『宮本』
「何だ」
『料理も、使うやつに合わせるぞ』
「……そうか」
『食うやつにもな』
「なら、道具も同じだ」
宮本は短く答えた。
俺は頷く。
やっぱり、この人に頼んでよかった。
宮本は最後に設計図を見直し、いくつかの線を書き足した。
底は熱が均一に回りやすい形。
急な温度変化にも耐えられる素材の使い方。
変形しにくい縁の補強。
念動力で動かしやすい重心。
取り外しやすい蓋。
短い左右の持ち手。
そして、朝倉家の三人分と、ユウマのおかわりを一度に作れる容量。
全部、俺が欲しかったものだ。
「……こんなもんだな」
『決まった?』
「ああ」
宮本が紙をこちらへ向けた。
そこには、最初よりずっと細かく描かれた鍋があった。
飾りはない。
派手な形でもない。
でも、俺には分かる。
これは普通の鍋じゃない。
俺のために考えられた鍋だ。
『いいな』
「まだ絵だぞ」
『分かってる』
「完成してから文句言え」
『文句ないと思うぞ』
「使ってみなきゃ分からん」
それもそうだ。
料理道具は、実際に使ってみて初めて分かることがある。
包丁だって、初めて食材を切った時に、その違いがはっきり分かった。
鍋もきっと同じだ。
水を入れて。
火にかけて。
肉や野菜を煮込んで。
蓋を開けた時、どんな匂いがするだろう。
考えただけで腹が減ってきた。
「ニャル」
『何?』
「今、料理のこと考えてるだろ」
『うん』
「やっぱり」
ユウマが笑う。
仕方ないだろ。
鍋の話をしているんだぞ。
料理のことを考えない方がおかしい。
――――――
宮本は設計図をまとめ、作業台の端へ置いた。
その隣には、俺たちが採ってきた鉱石が並んでいる。
明るい灰色の均熱晶鉄。
青黒い帯の入った柔鋼石。
岩鉄坑道では、ただの鉱石だった。
それが今、鍋になるための材料として、宮本の前にある。
『宮本』
「何だ」
『できる?』
宮本は設計図を一度見て、それから俺を見た。
「作れる」
『本当か!』
「作れねぇもんの設計に、こんな時間かけるか」
『そうだな!』
思わず尻尾が大きく動いた。
ユウマが隣で笑っている。
「よかったな、ニャル」
『うん!』
やっとだ。
新しい鍋を作ってもらえる。
俺が使いやすくて、いっぱい料理が作れて、丈夫で、熱が均一に回る鍋。
早く使いたい。
早く煮込みを作りたい。
ユウマに腹いっぱい食わせたい。
マコトにも、温かい料理を食べてもらいたい。
俺も食いたい。
……最後のも大事だ。
「宮本さん、お願いします」
「おう」
ユウマが頭を下げる。
俺も作業台の上から宮本を見上げた。
『頼んだぞ』
「任せとけ」
宮本は鉱石を一つ持ち上げ、もう一度断面を眺めた。
その目は、さっきまでとは少し違う。
材料を調べている目じゃない。
これから何を作るか、考えている目だ。
俺はその横顔を見ながら、完成した鍋を想像する。
きっと、いい鍋になる。
だって宮本は、俺がどう料理するかをちゃんと聞いてくれた。
何を作りたいか。
誰に食べさせたいか。
どんなふうに動かしたいか。
全部聞いて、考えてくれた。
だから、楽しみだ。
「ニャル、そろそろ帰ろうか」
『うん』
ユウマが声をかける。
俺は作業台から降りて、その足元へ向かった。
扉の前で、もう一度振り返る。
『宮本』
「何だ」
『楽しみにしてるぞ』
宮本は設計図から顔を上げずに答えた。
「できたら呼ぶ」
『うん!』
よし。
次にここへ来る時は、新しい鍋ができている。
俺は尻尾を立てて、ユウマと一緒に黒鉄堂を出た。
帰ったら、何を作ろう。
いや。
新しい鍋ができたら、何を作ろう。
大きな肉の煮込み。
野菜たっぷりのスープ。
それとも、まだ食べたことのないダンジョン食材を使った料理。
どれもいい。
全部作りたい。
「ニャル、そんなに尻尾振ってると疲れない?」
『疲れないぞ』
「そっか」
『鍋ができるんだからな』
「まだちょっと先だけどな」
『待てるぞ』
「本当に?」
『……たぶん』
ユウマが吹き出した。
失礼な。
俺だって待つくらいできる。
でも、できれば早い方がいい。
新しい鍋で作る最初の料理。
それを考えながら歩く帰り道は、いつもより少し楽しかった。




