第33話 今度は鍋の素材を取りに行く
岩鉄坑道に来るのは、これで二度目だ。
入口の前に立つと、ひんやりした空気が鼻先を撫でた。湿った岩と土の匂い。奥から吹いてくる風には、鉄みたいな匂いも混じっている。
前に来た時と、あまり変わらない。
でも、今日の目的は違う。
『ユウマ。忘れ物ないか?』
「大丈夫。採掘道具も持ったし、水も食料もある」
『五キロと二キロ』
「それも覚えてるって」
ユウマが笑う。
そう。今日の目的は鉱石だ。
均熱晶鉄が五キロ。柔鋼石が二キロ。
宮本に鍋を作ってもらうための材料である。
武器でも防具でもない。
鍋だ。
しかも、俺が念動力で使うための特注品。
前に作ってもらった包丁は、今も毎日使っている。切れ味もいいし、何より動かしやすい。
あれと同じくらい使いやすい鍋があったら、どんな料理が作れるだろう。
大きな肉をじっくり煮込むのもいい。野菜をたっぷり入れたスープもいい。魚のあらで出汁を取るのも楽しそうだ。
考えただけで尻尾が動く。
「ニャル、楽しそうだな」
『楽しみだぞ』
「まだ鍋もないのに?」
『鍋を作るために来たんだろ』
「そうだけどさ」
ユウマは俺の頭を撫でようとして、途中で手を止めた。
何だ。
撫でないのか。
「……いや、ダンジョン入る前だからな」
『そうだな』
分かってる。
分かってるけど。
ちょっとだけ、耳がそっちを向いた。
ユウマが笑いを堪えている。
何がおかしい。
「帰ったらいっぱい撫でるから」
『別に待ってないぞ』
「はいはい」
……本当だぞ。
俺は尻尾をぴんと立てて、坑道の入口へ向かった。
――――――
岩鉄坑道の中は、相変わらず薄暗かった。
壁のところどころに埋まった鉱物が、ぼんやりと光を反射している。足元には細かな石が転がり、歩くたびに乾いた音が響いた。
俺はユウマの少し後ろを歩きながら、周囲の気配を探る。
岩陰。
天井。
曲がり角の先。
こういう場所では、見える範囲だけを気にしていると危ない。
『右の壁、何かいる』
「了解」
ユウマが足を止めた。
少し先の岩陰で、小さな影が動く。
岩の色に似た甲殻を持つモンスターだ。前にも見たことがある。
こいつは食えない。
少なくとも、今の俺は食材として扱う気がない。
だから今日のところは、邪魔者である。
影が飛び出した。
ユウマが半歩横へ動き、振り下ろされた前脚を避ける。そのまま相手の側面へ回り込み、武器を振るった。
硬い音が響く。
モンスターが体勢を崩したところへ、もう一撃。
それで終わった。
「ふう」
『早かったな』
「そう?」
『前はもう少しかかってた』
「……言われてみれば、そうかも」
ユウマは倒した相手を確認してから、武器を収めた。
無駄に追いかけなかった。
攻撃を受け止めようともせず、ちゃんと避けていた。
前より動きがいい。
『強くなったな』
「ニャルにそう言われると、ちょっと嬉しいな」
『ちゃんと飯食ってるからな』
「結局そこ!?」
『それだけじゃないぞ。ユウマも頑張ってる』
俺がそう言うと、ユウマは少し目を丸くした。
それから、照れたように笑った。
「……ありがとな」
『うん』
まあ、飯も大事だけどな。
ちゃんと食って、ちゃんと動いて、ちゃんと休む。
それが一番だ。
ユウマが強くなれば、もっといろんな場所へ行ける。
もっといろんな食材を見つけられる。
そして、もっと美味いものが作れる。
実にいいことだ。
――――――
しばらく進むと、見覚えのある分かれ道に出た。
左へ曲がれば、前に魔晶岩塩を見つけた辺りだ。
あの塩はよかった。
普通の塩とは少し違う、すっきりした旨味がある。肉にも魚にも合うし、野菜の甘みも引き立ててくれる。
今度また採りに来てもいい。
……いや。
今日は鍋だ。
『ユウマ。こっち』
「右?」
『うん』
右側の通路は、前回あまり奥まで進まなかった方だ。
宮本が言っていたのは、たぶんこの先だろう。
量と品質を揃えるなら、前より少し奥。
そう聞いている。
「前はこの辺で戻ったよな」
『そうだな』
「結構慎重に進んでた気がする」
『今も慎重に行くぞ』
「もちろん」
ユウマが頷いた。
その返事が、前より頼もしく聞こえる。
通路は少しずつ狭くなり、壁の色も変わってきた。
灰色だった岩肌に、黒い筋が増えている。天井からは細い結晶が垂れ下がり、足元には砕けた鉱石が混じり始めた。
俺は一つの石に目を留めた。
『待って』
「どうした?」
『あれ』
壁の下の方に、少し明るい灰色の部分がある。
普通の岩よりも、わずかに銀色がかって見えた。
俺は近づいて、鼻先を寄せる。
匂いは……岩だ。
当たり前か。
前足で軽く触れてみる。
ひんやりしている。
周りの岩と大きな違いは分からない。
『均熱晶鉄かもしれない』
「本当?」
『割れたところを見たい』
「分かった。周り確認してからな」
ユウマが通路の前後を見回す。
俺も気配を探った。
近くに動くものはいない。
『大丈夫そうだ』
「じゃあ、ちょっとだけ」
ユウマが採掘道具を取り出し、岩の端を慎重に削った。
こつん。
こつん。
何度か音が響いたあと、小さな欠片が落ちる。
俺は念動力でそれを拾い上げた。
断面を見る。
細かな銀色の模様がある。
『おお』
「どう?」
『銀色の結晶があるぞ』
「じゃあ当たり?」
『まだ分からない』
宮本は言っていた。
良い均熱晶鉄ほど、結晶模様が細かく均一だと。
目の前の欠片には、確かに銀色の模様がある。
でも、一部に黒い筋も混じっていた。
『不純物が多そうだ』
「そっか」
『もう少し奥を探そう』
「了解」
欠片は一応収納しておく。
宮本に見せれば、何か分かるかもしれない。
ただ、これを五キロ集めるつもりはない。
せっかく鍋を作ってもらうんだ。
良い材料を持っていきたい。
――――――
さらに進むと、通路が少し広くなった。
天井が高くなり、壁にはいくつもの鉱脈が走っている。
灰色。
黒。
赤茶色。
場所によっては、青みがかった光沢も見えた。
『いっぱいあるな』
「鉱石だらけだな」
『宝の山だ』
「ニャルが言うと、全部鍋になりそう」
『鍋以外にも使えるぞ』
「例えば?」
『フライパン』
「やっぱり料理道具!」
当たり前だろう。
良い材料があるなら、良い道具を作りたい。
俺が壁を眺めていると、奥から低い音が聞こえた。
ごり。
ごりごり。
石を擦り合わせるような音。
耳がぴくりと動く。
『ユウマ』
「うん。聞こえた」
ユウマが武器を構えた。
岩の陰から、大きな影が現れる。
さっきのモンスターより一回り大きい。厚い甲殻が背中を覆い、前脚は岩を砕けそうなほど太かった。
あれに正面からぶつかられたら危ない。
『硬そうだぞ』
「だな」
『正面は避けろ』
「分かってる」
モンスターがこちらを向いた。
前脚を持ち上げる。
次の瞬間、勢いよく地面を蹴った。
ユウマは横へ飛ぶ。
太い前脚が、さっきまで立っていた場所を叩いた。
岩の欠片が散る。
俺は念動力で飛んできた小石を弾き、ユウマの動きを追った。
ユウマはすぐには攻撃しない。
相手が向きを変えるのを待ち、もう一度前脚を振り下ろしたところで側面へ回った。
甲殻の隙間へ武器を差し込む。
モンスターが暴れた。
ユウマは深追いせず、すぐに距離を取る。
『いいぞ』
「まだ!」
相手がこちらを追おうとした瞬間、ユウマが一歩踏み込んだ。
今度は前脚の付け根。
狙いを定めた一撃が入り、巨体が傾いた。
続けてもう一撃。
重い音を立てて、モンスターが倒れる。
少しの間、動かないことを確認する。
「……よし」
『大丈夫か?』
「うん。怪我はない」
ユウマが息を整えながら答えた。
俺は念のため、体のあちこちを確認する。
血の匂いはしない。
動きもおかしくない。
『よし』
「ニャル、なんかお母さんみたいだな」
『俺は猫だぞ』
「知ってる」
『ヌッコだ』
「はいはい、ヌッコね」
ユウマが笑う。
その顔には、まだ余裕があった。
前なら、今の相手を倒したあとにもう少し疲れていたかもしれない。
でも今日は違う。
呼吸は少し速いものの、足取りはしっかりしている。
『ユウマ』
「ん?」
『前より強いぞ』
「……うん」
今度は、ユウマも素直に頷いた。
「俺も、ちょっとそう思う」
『いいことだ』
「ニャルの飯のおかげかな」
『ユウマが頑張ったからだ』
「飯もあるだろ?」
『もちろん』
「そこは譲らないんだな」
譲る必要がない。
俺の料理は美味い。
それを食べてユウマが元気になる。
そしてユウマ自身も頑張っている。
両方だ。
『帰ったら美味いもの作るぞ』
「楽しみにしてる」
よし。
これで帰る理由が一つ増えた。
でも、その前に。
『鉱石探そう』
「おう」
鍋の材料を忘れてはいけない。
――――――
最初に良い鉱石を見つけたのは、ユウマだった。
「ニャル、これどう?」
壁の一角を指さしている。
そこには、少し明るい灰色の鉱脈が広がっていた。
さっき見つけたものより、色が均一だ。
『見てみる』
近づいて、岩肌をじっと眺める。
表面には細かな傷があり、その奥に銀色の光が見えた。
俺は前足を伸ばす。
触れてみると、ひんやりした感触が伝わってきた。
周囲の岩と比べてみる。
……なるほど。
さっきは分からなかったけど、少し違う。
この部分は、触れる場所を変えても冷たさがあまり変わらない。
『これ、いいかもしれない』
「じゃあ削ってみる?」
『うん。少しだけ』
ユウマが周囲を確認してから、採掘道具を振るった。
岩の表面が欠ける。
現れた断面に、細かな銀色の結晶模様が広がった。
『おおっ』
「どう?」
『きれいだぞ!』
銀色の模様が、細かく均一に並んでいる。
黒い筋もほとんどない。
宮本が言っていた特徴と一致する。
『均熱晶鉄だ。しかも良いやつ』
「やった!」
ユウマが嬉しそうに笑う。
俺も嬉しい。
これは鍋になる。
まだ岩壁に埋まっているけど、俺にはもう鍋に見える。
『五キロ』
「結構いるな」
『鍋だからな』
「前は包丁だったもんな」
『今度はいっぱい作る』
「食べる方も頑張らないとな」
『頼むぞ』
「任せろ」
ユウマは笑いながら採掘を始めた。
俺は周囲を警戒する。
採掘の音は、坑道の奥まで響いていく。
長居しすぎるのはよくない。
だから、必要なところだけを慎重に掘り出す。
大きな塊が外れると、俺が念動力で受け止めて収納した。
小さな欠片も拾う。
ただし、黒い筋が多いものは分けておく。
宮本に渡すのは、なるべく良い部分だ。
「これでどれくらい?」
『もう少し』
「了解」
ユウマは無理に一気に掘ろうとしない。
岩の割れ目を見て、道具を当てる場所を変えている。
前より手際がいい。
しばらくして、必要な量を確保できた。
『五キロ、いけたぞ』
「よし!」
『次は柔鋼石だ』
「青黒いやつだな」
『うん』
均熱晶鉄は見つかった。
あと一種類。
俺の尻尾が、自然と上を向いた。
――――――
柔鋼石は、思ったより見つからなかった。
黒っぽい岩はたくさんある。
青みがかった鉱物もある。
でも、宮本が言っていたような、青黒い帯状の鉱脈がなかなか見つからない。
『違う』
「これも?」
『青いけど、光り方が違う』
「難しいなあ」
ユウマが壁を見上げる。
俺も同じ方向を見る。
天井近くに青い筋があるけど、あれは少し違う気がする。
鈍い光沢じゃない。
もっときらきらしている。
『あれも違うな』
「じゃあ、もう少し先?」
『うん。でも無理はしないぞ』
「分かってる」
俺たちは慎重に進んだ。
通路の奥には、さっきより暗い場所が続いている。
空気も少し冷たくなった。
岩壁に触れると、細かな水滴がついている。
足元も滑りやすい。
『ユウマ、そこ気をつけろ』
「おっと」
ユウマが足を止める。
すぐ先の地面に、薄い水の膜が広がっていた。
「助かった」
『転ぶと痛いぞ』
「そりゃそうだ」
俺は小さいから、転んでも人間ほど大きな音はしない。
……いや、転びたくはないけど。
少し進んだところで、俺は足を止めた。
壁の一部が、妙に暗い。
ただの黒じゃない。
青みがある。
近づいてみると、岩の中に細い帯が走っていた。
『ユウマ』
「ん?」
『これ』
ユウマが灯りを向ける。
青黒い帯が、鈍く光った。
「……おお」
『それっぽいぞ』
「柔鋼石?」
『たぶん』
宮本の説明と同じだ。
黒っぽい母岩。
青黒い帯状の鉱脈。
光を当てると、鈍い青色の光沢。
あとは割れ方だ。
「少し削ってみる?」
『うん。周り見てから』
俺たちは周囲を確認した。
今のところ、近くにモンスターの気配はない。
ユウマが慎重に道具を当てる。
こつん。
こつん。
小さな欠片が落ちた。
俺はそれを拾い上げる。
『……おお』
「どうした?」
『変だぞ』
「変?」
欠片の端を念動力で軽く押してみる。
普通の石なら、ぱきっと割れそうな力をかけても、すぐには砕けない。
少しだけ、しなるような抵抗があった。
『粘る』
「本当に?」
『うん。石なのに』
宮本が言っていた通りだ。
硬いだけじゃない。
割れにくい。
衝撃を受けても、すぐには砕けない。
『柔鋼石だ!』
「やった!」
ユウマが拳を握る。
俺も前足を上げた。
……そのまま二本足で立っていたら、ユウマがこっちを見て笑った。
「ニャル、ばんざいしてる」
『してないぞ』
「してたって」
『鉱石が見つかっただけだ』
「うんうん」
何だ、その顔は。
俺は前足を下ろした。
尻尾は動いたままだったけど。
採掘は慎重に進めた。
柔鋼石は均熱晶鉄とは違って、簡単には割れない。
無理に叩くより、周囲の母岩を削って塊ごと取り出した方がよさそうだ。
ユウマが道具を当てる場所を考え、少しずつ岩を崩していく。
俺は落ちてくる欠片を受け止め、良さそうな部分を分けて収納した。
青黒い帯が途切れずに続いている部分。
余計な鉱物が少ない部分。
できるだけ大きな塊。
宮本の言葉を思い出しながら選んでいく。
『あと少し』
「よし、これでどうだ!」
最後の塊が外れた。
俺は念動力で受け止め、重さを確かめる。
『……うん』
「足りた?」
『二キロ、いけたぞ』
「よっしゃ!」
ユウマが両手を上げた。
今度は俺も前足を上げた。
「ほら、またばんざいしてる」
『してない』
「してるって」
『これは確認だ』
「何の?」
『鍋の』
「絶対違うだろ!」
ユウマが笑う。
俺も、ちょっとだけ喉が鳴った。
――――――
必要な鉱石は揃った。
均熱晶鉄、五キロ。
柔鋼石、二キロ。
どちらも、宮本に教わった特徴を持つ良質なものだ。
収納の中には、念のために取っておいた小さな欠片もある。
これなら、きっと良い鍋を作ってもらえる。
「じゃあ、帰ろうか」
『うん』
ユウマが採掘道具を片づける。
俺はもう一度、周囲を確認した。
奥へ続く通路は、まだまだ暗い。
この先にも、いろんな鉱石があるんだろう。
食材もあるかもしれない。
でも今日は、もう十分だ。
『ユウマ』
「ん?」
『帰ったら飯だな』
「そうだな。腹減った」
『何食いたい?』
「うーん……肉!」
『肉か』
「いっぱい動いたし」
『じゃあ肉だな』
何を作ろう。
焼くか。
煮るか。
今ある鍋でも、煮込みは作れる。
でも新しい鍋ができたら、もっとたくさん作れる。
ユウマが腹いっぱい食べられる量。
マコトの分も。
俺の分も。
温かいスープをたっぷり作って、大きな肉を柔らかく煮込んで。
ああ。
早く作りたい。
「ニャル、また料理のこと考えてる?」
『うん』
「分かりやすいなあ」
『いいだろ』
「もちろん」
ユウマが笑った。
俺も尻尾を揺らす。
帰り道は、来た時より少しだけ短く感じた。
途中で何度かモンスターの気配を感じたけど、無理に戦わず、通れる場所を選んで進んだ。
必要なものはもう揃っている。
余計な危険を冒す理由はない。
やがて、坑道の出口から外の光が見えてきた。
明るい。
風が気持ちいい。
俺は外へ出ると、大きく伸びをした。
前足を伸ばして。
背中を丸めて。
尻尾をぴんと立てる。
「お疲れ、ニャル」
『ユウマもな』
ユウマがしゃがんで、俺の頭を撫でた。
今度は止めなかった。
耳の後ろを指先で撫でられる。
……うん。
悪くない。
「頑張ったな」
『ユウマが掘ったんだぞ』
「ニャルが見つけたんだろ」
『一緒だな』
「そうだな」
ユウマの手が、もう一度頭を撫でる。
俺は少しだけ目を細めた。
収納の中には、二種類の鉱石がある。
まだただの石だ。
でも、宮本のところへ持っていけば。
俺の鍋になる。
熱が均一に伝わって、丈夫で、念動力でも動かしやすい。
たくさん料理が作れる鍋。
想像すると、また尻尾が動いた。
『よし。鍋作ってもらおう』
「おう。黒鉄堂だな」
ユウマが立ち上がる。
俺も、その隣へ並んだ。
次は宮本のところだ。
良い材料を持っていく。
良い鍋を作ってもらう。
そして。
その鍋で、ユウマに腹いっぱい美味いものを食わせるんだ。




