第31話 うちの猫、ちょっと知られてきた?
朝起きて最初に見たのは、ニャルだった。
正確には、俺の枕元で座っているニャルだった。
「……おはよう」
『おはよう』
「何してんの?」
『待ってた』
「何を?」
『ユウマが起きるの』
そう言われると、ちょっと嬉しい。
俺が身体を起こすと、ニャルも立ち上がった。
『今日の飯どうする?』
「そっちか」
『朝だからな』
「俺じゃなくて朝飯を待ってたの?」
『ユウマも待ってたぞ』
「……ならいいか」
いい。
むしろかなりいい。
ベッドから降りようとして、枕元のスマホが光っているのに気づいた。
通知が来ている。
昨日の配信関係だ。
開いてみる。
「……あれ?」
『どうした?』
「昨日より増えてる」
『何が?』
「再生数とか。あと登録者」
『そうか』
ニャルは一瞬だけこっちを見て、そのまま部屋の出口へ向かった。
『朝飯』
「待って待って。ちょっと見ようよ」
『何を?』
「ニャルの動画」
『俺ここにいるぞ』
「それ前も言ってたな」
俺はスマホを見る。
昨日の魚料理配信。
銀鱗マスを捌いて、水晶クラゲを処理して、最後には魚を三回味見した配信だ。
そのアーカイブ自体も、今までより見られている。
でも、それだけじゃなかった。
「切り抜かれてる」
『切り抜き?』
「昨日の配信の一部分だけ、短くしたやつ」
『短くしてどうするんだ?』
「見やすいんだよ。ほら」
ニャルにも見えるようにスマホを下げる。
画面の中では、小さなニャルが銀鱗マスを見つめていた。
焼ける音に耳を向ける。
鼻が動く。
尻尾が揺れる。
そして味見。
もう一回。
さらにもう一回。
俺の声が入る。
『ニャル、それ三回目』
画面のニャルが鳴く。
その時、本物のニャルが言った。
『確認だぞ』
「動画の中でも同じこと言ってる」
『必要だからな』
「いや、配信には『にゃ』しか入ってないけど」
『じゃあ伝わってないじゃないか』
「俺が説明してるから大丈夫」
短い動画には、魚を前にして露骨に耳と尻尾が動いているところから、三回目の味見までがまとまっている。
別の切り抜きでは、水晶クラゲの触手を取り除くところ。
さらに別のものでは、銀鱗マスの腹から黒い膜を除去している。
同じ配信なのに、切り取る場所で全然違って見える。
一つは、魚に夢中になる小さな猫。
一つは、ダンジョン食材を普通に料理する不思議な猫。
一つは、包丁を浮かせて魚を捌く料理人。
「……すご」
『何が?』
「前より見てる人多い」
『そうなのか?』
「うん。ほら、この魚のやつとか」
数字を見せても、ニャルは首を傾げただけだった。
『昨日の魚、美味かったぞ』
「そこ?」
『また取りに行こう』
「動画の話してるんだけど」
『魚の動画だろ?』
「そうだけどさあ」
まあ、ニャルはこうだ。
でも俺は違う。
知らない人がニャルを見ている。
昨日の配信を最初から見た人だけじゃない。
短い動画で初めて知った人もいる。
そこから『ニャルの台所』を見に来ている。
「……ちょっと知られてきたんじゃない?」
『誰が?』
「ニャルが」
『そうか』
「嬉しくない?」
『ユウマは嬉しい?』
「めちゃくちゃ嬉しい」
『じゃあよかったな』
「何で他人事なの?」
ニャルの尻尾がゆっくり揺れた。
『それより朝飯』
「はいはい」
俺はスマホを置いた。
でも、朝飯を食べている間にも何度か気になって、結局また見た。
ニャルには『飯食え』と怒られた。
――――――
「お前ら、なんかちょっと有名になってない?」
学校。
昼休みになってすぐ、蓮がそんなことを言った。
「ニャルがな」
「お前、嬉しそうすぎだろ」
「だってニャルかわいいし」
「知ってる。まあレオもかわいいけど」
「いや、ニャルの方がかわいい」
「そこは譲れよ」
「何で?」
「俺だって譲ってないけど」
ならお互い様だ。
蓮がスマホを見せてくる。
そこには昨日の配信を短くした動画が映っていた。
ニャルが魚を焼いている。
鼻が動く。
耳が前を向く。
尻尾が揺れる。
そして味見する。
「これ、俺のところにも流れてきたぞ」
「マジ?」
「マジ。最初ニャルだって気づかなかった」
「何でだよ」
「いや、俺が知ってるニャルが勝手に動画で流れてくると思わないだろ」
「それは……まあ、そうか」
でも。
蓮のところにも来た。
俺たちの配信を最初から知っていたわけじゃなく、普通に見ていて流れてきたらしい。
それはちょっとすごい。
「コメントも増えてるじゃん」
「うん」
「『料理する猫』で見てるやつと、『ダンジョン食材』で見てるやつと、分かれてるな」
「そうなんだよ」
俺も朝から見ていて思った。
ニャルを見て、かわいいと言っている人。
魚を三回味見したところを面白がっている人。
銀鱗マスや水晶クラゲの処理を真面目に見ている人。
ダンジョンのものが本当に食べられるのか気にしている人。
同じ動画を見ているのに、気になるところが違う。
「お前、最初はニャルがかわいいのを見せたいだけだったよな」
「今もそうだけど?」
「即答だな」
「世界一かわいいし」
「はいはい」
「でも料理もすごいだろ」
「それは否定しない」
蓮が画面を止める。
ちょうどニャルが包丁を浮かせているところだった。
「これも結構言われてるぞ」
「何が?」
「包丁」
「包丁?」
コメントを見る。
『その包丁どこの?』
『猫用?』
『サイズぴったりじゃない?』
『メーカー教えて』
『これ普通の包丁じゃないよな』
『念動力で使う前提なの?』
確かに多い。
「ニャルばっか見てたから気づかなかった」
「お前、配信してる側だろ」
「だってニャル映ってるし」
「駄目だこいつ」
仕方ないだろ。
ニャルを見るために始めた配信なんだから。
でも言われてみれば、あの包丁は普通じゃない。
ニャルの身体に合わせた大きさ。
念動力で使うことを前提に作られた形。
ニャルが毎日使っているから、今では見慣れている。
俺にとっても、もういつもの包丁だ。
「これ市販じゃないんだろ?」
「うん。宮本さんに作ってもらった」
「黒鉄堂だっけ?」
「そう」
「普通の鍛冶屋に猫用の包丁頼んだんだよな」
「猫じゃなくてヌッコ用」
「そこニャルみたいな訂正するなよ」
でも大事だ。
ニャルなら絶対訂正する。
「これ店の名前言っていいの?」
「……どうだろ」
「聞いてないのか?」
「作ってもらった時は配信なんてしてなかったし」
「そりゃそうか」
勝手に店の名前を出すのは違う気がする。
黒鉄堂は普通の店だ。
宮本さんだって、配信に出たいと言ったわけじゃない。
ニャルの包丁を作ってくれた。
それだけだ。
「一回聞いた方がいいか」
「そうだな」
「包丁も結構使ってるし、点検してもらいたいし」
「毎日料理してるもんな」
「うん」
そう考えると、ちょうどいい。
しばらく黒鉄堂にも行っていない。
ニャルの包丁は問題なく使えているけど、俺たちだけで判断するより、作った本人に見てもらった方が安心だ。
「しかし、包丁まで見られるようになるとはな」
「ニャルの料理がちゃんと見られてるってことだろ」
「嬉しそうだな」
「嬉しい」
「かわいいって言われるのと、どっちが?」
「両方」
「欲張りだな」
「だって両方ニャルだし」
蓮が呆れた顔をした。
でも笑っている。
「まあ、分かるけどな」
「だろ?」
「レオが配信したら俺もそうなると思う」
「でもニャルの方がかわいい」
「そこに戻るな」
――――――
家に帰ると、ニャルはいつもの場所にいた。
『おかえり』
「ただいま」
鞄を置くより先に近づく。
頭を撫でる。
耳の後ろも撫でる。
ニャルが目を細めた。
尻尾がゆっくり揺れる。
「ニャル」
『何?』
「ちょっと有名になってきたかも」
『朝も言ってたぞ』
「学校で蓮にも言われた」
『レンに?』
「うん。ニャルの切り抜き、普通に流れてきたって」
『魚の?』
「やっぱそこなんだ」
『美味かったからな』
ニャルは本当に変わらない。
俺はスマホを取り出して、昨日の配信のコメントを開く。
「それでさ。これ」
『何?』
「包丁について聞かれてる」
ニャルが俺の手元ではなく、台所の方を見る。
そこにいつもの包丁がある。
『包丁?』
「『その包丁どこの?』って」
『宮本のだ』
「うん。俺たちは知ってるけど、見てる人は知らないから」
『言えばいいだろ?』
「勝手に店の名前出していいのかなって」
『駄目なのか?』
「分かんない。だから聞こうかなって」
ニャルが包丁を見る。
念動力でふわっと浮かせた。
手元へ寄せる。
刃を見る。
柄を見る。
何度も使っている。
ホーンラビットも。
ゴブリンポテトも。
妖精ニンジンも。
ケイブマッシュルームも。
月光リンゴも。
昨日は銀鱗マスも、水晶クラゲも切った。
『よく切れるぞ』
「知ってる」
『使いやすい』
「それも知ってる」
『宮本、上手い』
「本人に言ったら喜ぶんじゃない?」
『言う』
そういえば、作ってもらってからずっと使っているけど、最近は見せに行っていない。
包丁に問題がなくても、使っている本人から感想を言うのはいいかもしれない。
「久しぶりに黒鉄堂行く?」
『行く』
「包丁も見てもらおうか」
『うん』
話が決まった。
ニャルが包丁をいつもの場所へ戻す。
それから少し考えるように、首を傾げた。
『ユウマ』
「何?」
『次、鍋ほしい』
「鍋?」
『うん』
「今のじゃ駄目?」
『使えるぞ』
「じゃあ何で?」
『もっと使いやすいのほしい』
なるほど。
包丁と同じか。
ニャルは今の鍋も普通に使っている。
念動力で浮かせて、火にかけて、傾けて。
でも、あれは人間用だ。
ニャルのために作られたものじゃない。
「宮本さんに作ってもらうってこと?」
『できるか聞く』
「どんなの欲しいの?」
『いっぱい作れるやつ』
「ニャル、小さいのに?」
『ユウマが食うから』
「俺基準!?」
『いっぱい食え』
「いや、食うけど」
ニャルの中では当然らしい。
自分の身体に合わせて小さい鍋が欲しいんじゃない。
俺たちが食べる分を一度に作れて、それでいてニャルが扱いやすい鍋。
言われてみれば、普通には売ってなさそうだ。
「また変な注文することになりそうだな」
『包丁作れたから鍋も作れるだろ?』
「同じなのかなあ」
『聞けば分かる』
「それもそうか」
ニャルの尻尾が揺れる。
もう鍋で何を作るか考えているのかもしれない。
「じゃあ、黒鉄堂行く時に相談してみるか」
『うん』
「包丁も見てもらって」
『うん』
「店の名前出していいかも聞いて」
『うん』
「鍋も頼めるか聞く」
『うん』
「目的増えたな」
『大丈夫だ』
「何が?」
『収納はいっぱい空いてる』
「まだ何も持って帰るって決まってないから」
ニャルは不思議そうな顔をした。
たぶん、もう何か持って帰る気でいる。
俺はスマホを見る。
画面には、まだコメントが増えていた。
『包丁どこの?』
『猫専用の調理器具とかあるの?』
『これ欲しい』
最初は、ただニャルを見てほしかった。
世界一かわいいヌッコが、料理をしている。
それをもっといろんな人に知ってほしかった。
今もそこは変わらない。
でも、見ている人は少しずつ別のところにも気づき始めている。
ニャルが作る料理。
ダンジョン食材。
安全な処理。
そして、ニャルが使っている道具。
「ニャル」
『何?』
「次の配信でも包丁使う?」
『料理するなら使うぞ』
「だよな」
『何作る?』
「もう次の飯の話?」
『大事だぞ』
「知ってる」
有名になるとか。
登録者が増えるとか。
切り抜きが広がるとか。
ニャルにとっては、たぶん全部その次だ。
今日何を作るか。
それを俺たちが美味しく食べるか。
そっちの方が大事。
だからこそ、見ている人も面白いのかもしれない。
「じゃあ近いうちに行こう。黒鉄堂」
『うん』
ニャルは一度頷いてから、包丁を見る。
『包丁も見てもらう。あと、次は鍋ほしい』
「了解」
今度は包丁じゃなくて、鍋。
ニャルの料理道具が、また一つ増えるかもしれない。
――――――
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【ダンジョン食材辞典】
No.015
■名称
銀鱗マス
■危険度
★☆☆☆☆
■ニャル評価
★★★★★
■見た目
銀色の鱗が光を反射してきらきら輝く、マスに似た淡水魚。
身は淡い桃色で、脂は比較的控えめ。
加熱するとふっくらとやわらかく仕上がる。
■食用部位
身、皮
■危険な部位
腹腔内の黒い膜
■おすすめ調理法
◎ 香草バター焼き
○ 塩焼き
○ ホイル焼き
■調理のコツ
内臓を取り除いたあと、腹腔内に残る黒い膜をきれいにこそげ取り、よく水洗いする。
黒い膜には弱い刺激性があり、残したまま食べると舌や喉がぴりぴりすることがある。
脂が多い魚ではないため、焼きすぎない方が身のふっくらした食感を楽しめる。
■一人前
切り身 約120g
■メモ
『きらきらしてる。泳いでる時から美味そうだった。焼いても美味かった。次に見つけたらまた取る』
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