第23話 世界一かわいいヌッコを見せたい
「……配信?」
「にゃ?」
母さんの言葉に、俺とニャルの声が重なった。
夕食を作り終えたばかりのキッチンで、母さんはスマホを片手に「うん」と頷く。
「配信。ニャルちゃんが料理してるところ、配信したら人気出るんじゃない?」
『はいしん……』
ニャルは聞き慣れない言葉を確かめるように繰り返した。
小さな三角耳がぴくりと動く。
『それは、何をするんだ?』
「ニャルが料理してるところを、他の人にも見てもらうんだよ」
『見てもらう?』
「そうそう。今撮ったみたいな感じで」
母さんがスマホの画面をニャルへ向ける。
さっきまで料理をしていたニャルは、椅子の上に立って画面を覗き込んだ。二十センチほどしかない身体をぐっと前へ傾け、両手を椅子の背にかけている。
俺も横から覗き込む。
画面の中では、ニャルが真剣な顔で料理をしていた。
宙に浮いているのは、宮本さんに作ってもらったニャル専用の包丁。
念動力で操られた包丁が食材を切り分け、その隣では鍋がふわりと持ち上がって位置を変える。
ニャル自身もじっとしているわけじゃない。
鍋の中を覗き込み、鼻をひくひくさせ、火加減を確かめる。
味見をすれば耳がぴんと立ち、納得したように尻尾が揺れる。
料理をしている本人――本猫は、もちろん大真面目だ。
ただ。
「……これ普通にめちゃくちゃかわいくない?」
「今気付いたの?」
母さんに呆れた顔をされた。
「いや、ニャルがかわいいのは知ってるよ。知ってるけどさ」
『何の話だ?』
「ニャルがかわいいって話」
『そうか』
興味なさそうだな。
ニャルはすぐにスマホへ視線を戻した。
たぶんこいつ、自分がかわいいって言われてる意味をあんまり分かってない。
画面の中では、鍋の蓋がふわりと持ち上がっている。
立ち上った湯気にニャルの顔が一瞬隠れ、次の瞬間にはそこから小さな顔だけがひょこっと出てきた。
「…………」
俺は無言で再生位置を少し戻した。
湯気が上がる。
ニャルが隠れる。
ひょこっ。
もう一度戻す。
湯気。
隠れる。
ひょこっ。
「悠真」
「何?」
「そこ何回見るの?」
「いや、かわいいなって」
「そうね」
母さんの声が若干冷たい。
でもかわいいものはかわいいんだから仕方ない。
今まで俺は、ニャルが料理しているところなんて何度も見てきた。
初めて見た時は驚いたけど、今じゃニャルが包丁を浮かせて料理しているのも、鍋を念動力で動かしているのも、うちではすっかり普通の光景になっている。
だけど、こうして画面越しに見ると印象が違う。
二十センチくらいの猫が、真剣な顔をして料理している。
包丁が浮く。
鍋も浮く。
その真ん中を小さなニャルがちょこちょこ動き回っている。
料理が気になれば耳が動くし、匂いを嗅ぐ時には鼻がひくつく。何かに集中すると尻尾の先までぴたりと止まる。
これを俺たちだけで見ているのって、もったいなくないか?
「母さん」
「何?」
「配信って、誰でもできるの?」
「できるんじゃない? 機材とかはいると思うけど」
「へえ……」
もう一度、画面を見る。
ニャルが包丁を操っている。
その顔は真剣そのものだ。
かわいい。
めちゃくちゃかわいい。
しかも料理が上手い。
俺は毎日見てるから分かってるけど、初めて見る人は絶対驚くと思う。
「……やってみてもいいかも」
「あら」
母さんが笑う。
「私より悠真の方が乗り気になってない?」
「だってさ」
俺は椅子の上のニャルを見る。
本人は俺たちの話より、さっきの料理動画の方が気になるらしい。画面に映っている自分の手元を見ながら、時々耳を動かしている。
たぶん、切り方とか鍋の動かし方とかを確認してるんだろう。
そういうところも含めて、こいつらしい。
「世界一かわいいヌッコなんだから、もっとみんなに知ってもらってもよくない?」
「親バカねえ」
「飼い主だからな」
『ユウマ』
「ん?」
ニャルが顔を上げた。
『配信して、どうするんだ?』
「どうするって?」
『さっきから、俺が料理してるところを他の奴に見せるって言ってるだろ』
「うん」
『それで、どうするんだ?』
言われて、俺は少し考えた。
どうする。
ニャルが料理しているところを配信する。
たくさんの人に見てもらう。
その先は――。
「みんなにニャルを見てもらう」
『それだけか?』
「それだけ」
別に俺が有名になりたいわけじゃない。
配信で金を稼ぎたいとか、そういうことを考えていたわけでもない。
ダンジョンのことを教えたいわけでも、ニャルの料理を世の中に広めたいわけでもない。
ただ。
うちのニャルが、かわいい。
料理をしている時は特にかわいい。
だったら、見てもらいたい。
それだけだ。
ニャルはしばらく俺を見上げていた。
やがて、首を傾げる。
『飯は?』
「俺が食う」
『ならいい』
「いいんだ」
『ユウマがやりたいんだろ?』
「まあ、うん」
『じゃあやればいい』
ニャルはあっさり言うと、椅子の上でくるりと身体の向きを変えた。
そして座面の端まで歩いていき、そのまま腰を下ろす。
尻尾が足元にくるんと巻きついた。
たぶん、本当に配信そのものには興味がないんだろう。
ニャルにとって大事なのは、料理を作ることと、それを俺たちが食べることだ。
その途中を誰かに見られるくらいなら別に構わない。
そんな感じらしい。
「ニャルちゃんらしいわねえ」
「だな」
『何がだ?』
「何でもない」
ニャルが不思議そうに耳を傾ける。
母さんがその姿を見て笑った。
「じゃあ、やってみる?」
「うん。ちょっと調べてみたい」
『俺はいつも通り料理すればいいのか?』
「そうしてくれた方がいい」
むしろ変に配信を意識されると困る。
俺が見たいのは、いつものニャルだ。
料理をしながら真剣に鍋を覗き込んだり、いい匂いがすると鼻をひくつかせたり、完成した料理を前に満足そうに尻尾を立てたりする、いつものニャル。
それをそのまま見てもらえばいい。
「でも、やるなら決めておいた方がいいこともあるわね」
母さんがスマホをテーブルへ置く。
「たとえば、ダンジョンの中でも撮るの?」
「あー……」
言われて想像してみる。
ダンジョンへ入る。
カメラを回す。
ニャルを撮る。
魔物が出る。
「それはやらない」
答えはすぐに出た。
「戦う時はちゃんと戦いたいし、ニャルもいるから」
今の俺なら、昔よりずっと戦える。
ニャルの料理を食べ続けたおかげで、身体能力も上がった。
だけど、だからってダンジョンが安全になったわけじゃない。
魔物は出るし、何が起きるか分からない場所なのは変わらない。
まして、俺には守るものがいる。
足元を見る。
ニャルは椅子の上から俺を見返していた。
こいつを連れて探索してるのに、カメラのことまで気にして戦うなんて嫌だ。
「食材を探しに行く時は、今まで通り普通に探索する。撮るのは家だけでいい」
「そうね。その方が私も安心だわ」
『俺もそれでいいぞ』
ニャルもあっさり同意する。
『ダンジョンでは飯のことを考えたい』
「そこ?」
『大事だろ』
「大事だけど」
魔物を見て「どう倒すか」より先に「どう食うか」を考える猫だからな。
いつものことだった。
「じゃあ、撮るのは料理してるところだけ?」
「それがいいかな」
俺が頷くと、ニャルがまた耳を動かした。
『食うところは?』
「撮らない」
これも、考えるまでもなかった。
「料理ができたら配信終わり。そっからは普通に食おう」
『そうなのか?』
「うん。飯くらいゆっくり食いたいし」
せっかくニャルが作ってくれた料理だ。
カメラの向こうにいる誰かのことを気にしながら食べるより、いつも通り食べたい。
美味かったら美味いって言いたいし、ニャルがこっちを見ていたらちゃんと伝えたい。
それに、配信なんてしたことがない俺が、飯を食いながら知らない人に向かって何か喋れる気もしない。
『ならいい』
ニャルは満足そうに頷いた。
『飯冷めるしな』
「結局そこなんだな」
『温かいものは温かいうちに食った方が美味いぞ』
「それはそう」
正論なので何も言えない。
母さんがくすくす笑っている。
「じゃあ決まりね。ダンジョンでは撮らない。家でニャルちゃんが料理してるところだけ。料理が完成したら終わり」
「うん」
『分かった』
三人で決めたにしては、ずいぶん簡単だった。
でも、これくらいでいいのかもしれない。
俺たちは配信者になりたいわけじゃない。
ニャルも、配信のために料理するわけじゃない。
いつも通りニャルが料理をする。
それをちょっとだけ、他の人にも見てもらう。
そして料理が完成したら、配信はおしまい。
そこから先は俺たちの時間だ。
「で、配信って何がいるんだ?」
「スマホだけでもできるんじゃない?」
「でも料理撮るなら、ずっと母さんが持ってるわけにもいかないだろ」
「それは嫌ね」
「カメラとかあった方がいいのかな。マイクとかもいる?」
「どうかしら。私も詳しくないわよ」
『まいく?』
「声を拾うやつ」
『俺の声も入るのか?』
「……あ」
そういえばどうなるんだ?
ニャルの念話は、俺には普通に言葉として聞こえる。
母さんとも会話できている。
でも、機械に念話が入るのかは分からない。
「試してみるか」
母さんのスマホで、今度は動画じゃなく録音をしてみる。
「ニャル、何か喋って」
『何かって何だ?』
「何でもいい」
『今日の飯は美味かったか?』
「美味かった」
「悠真、会話しないの」
「あ、そっか」
録音を止めて、すぐに再生する。
スマホから俺の声が流れた。
『何かって何だ?』
……とは流れない。
代わりに。
『にゃ』
小さな鳴き声。
少し間が空いて、
『にゃあ』
また鳴き声。
そして俺の「美味かった」だけが返ってきた。
「……ニャルの声、入ってないな」
「鳴き声は入ってるわね」
『俺はちゃんと喋ったぞ』
「うん。俺たちには聞こえてるんだけど、スマホには入らないみたい」
『そうなのか』
ニャルはスマホに顔を近づけ、鼻先がつきそうな距離でじっと見つめる。
それから、ちょっと不満そうに。
『使えないな』
「スマホに厳しいな」
まあ、これも別に問題ないか。
「ニャルが何か言った時は、必要なら俺が伝えるよ」
『そうか』
「普段は普通に料理してればいい」
『分かった』
話がまとまったところで、ニャルが大きなあくびをした。
小さな口が限界まで開き、目が細くなる。
さっきまでずっと料理していたし、腹もいっぱいだ。
眠くなってきたらしい。
あくびを終えたニャルは椅子の上で一度伸びをすると、そのまま丸くなろうとする。
「いや、そこで寝るなよ」
『眠い』
「寝るならいつものところ行こう」
『ん』
返事はしたものの、動く気はないらしい。
仕方なく両手で持ち上げる。
手のひらに収まるくらいの小さな身体は、ほんのり温かい。
ニャルは抵抗することもなく俺の腕に収まり、そのまま目を細めた。
……こういうのも配信したら絶対かわいいと思うんだけどな。
いや、でも料理してるところだけって決めたばっかりか。
それに、寝てるところまで知らない人に見せる必要はない。
これは俺が見ればいい。
「悠真」
「何?」
「顔」
「何だよ」
「すごく嬉しそう」
「そりゃニャル抱いてるからな」
「はいはい」
母さんが呆れたように笑う。
俺はニャルを抱いたままリビングへ移動し、ソファに座った。
ニャルは俺の膝の上へ移ると、すぐに身体を丸める。
尻尾が鼻先を隠した。
数秒もしないうちに寝息が聞こえてくる。
俺はなるべく起こさないようにスマホを取り出した。
配信。
さっきまでは、母さんが何か言い出したくらいにしか思っていなかった。
でも、今はちょっと楽しみになっている。
料理をするニャルを見た人は、どんな反応をするんだろう。
かわいいって言うだろうか。
驚くだろうか。
包丁が浮いてるって騒ぐかもしれない。
まあ、何でもいい。
とりあえず見てほしい。
世界一かわいいヌッコが、うちにいるってことを。
検索画面を開く。
配信。
料理。
カメラ。
必要そうな言葉をいくつか入れて調べてみると、予想以上の数の商品が出てきた。
小さいもの。
大きいもの。
やたら高いもの。
聞いたこともない機能が山ほど書いてあるもの。
「……カメラ、思ったより種類あるな」
膝の上で、ニャルがふわぁ、ともう一度あくびをした。
「悠真の方がやる気になってない?」
キッチンから母さんの声が飛んでくる。
俺は画面から目を離さないまま答えた。
「だって、世界一かわいいからな」
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【ダンジョン食材辞典】
No.011
■名称
月光リンゴ
■危険度
★☆☆☆☆
■ニャル評価
★★★★★
■見た目
月光を思わせる特徴を持つリンゴ。
花蜜の森で見つけた果物系のダンジョン食材。
■食用部位
果肉。
■おすすめ調理
そのまま果物として楽しむほか、加熱調理にも向いている。
魔蜂ハチミツやバターとの相性もよく、焼けば立派なデザートになる。
■ニャルのメモ
焼いたリンゴに蜂蜜とバター。
美味くならないわけがなかった。
俺は身体が小さいから、いっぱい食べられないのだけが残念だ。
でもマコトが一切れくれた。あれは嬉しかった。
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