第19話 猫専用包丁、完成
『できた?』
「ああ」
『本当に?』
「呼んだだろ」
『見せて』
「落ち着け」
無理だ。
黒鉄堂の作業台。その上に置かれた細長い布包みから、俺はさっきから目を離せない。
宮本から「できた」と連絡が来たのは昨日のことだった。悠真が学校から帰ってきてそれを教えてくれた瞬間から、俺はずっと今日を待っていた。
魚を前にした時ほどではない。
たぶん。
「ニャル、尻尾すごいぞ」
『包丁だからな』
「それ理由になってる?」
なる。
俺専用の包丁だぞ。
――――――
宮本が布を開く。
中から出てきた包丁は、今まで家で使っていた物より一回り小ぶりだった。
ただ、人間用の包丁をそのまま縮めたような形ではない。柄は短く、刃との境目もすっきりしている。全体的に余計な部分が少なく、刃は鈍い銀色に光っていた。
『おお……』
「持ってみろ」
『うむ』
念動力を使う。
包丁が、ふわりと浮いた。
『……あれ?』
「どうした?」
『軽い』
実際の重量がどれくらい違うのかは分からない。でも、念動力で持ち上げた瞬間に感じる負担が明らかに少なかった。
俺は少し持ち上げ、左右へ動かす。
すっ。
止める。
ぴたり。
『おお』
もう一度。
前へ出して、引く。少し角度を変えて、刃先を下へ。そこから斜めに動かして、もう一度止める。
思った場所で止まる。
『おおお』
「何かすごい?」
悠真には違いが分からないらしい。
『全然違う』
「そんなに?」
『うむ』
今までの包丁だって念動力で動かせていた。でも、こっちは動かし始めた時も、止めた時も、妙な引っかかりが少ない。
何というか。
俺の考えた通りに動く。
嬉しくなって、もう一度くるりと回す。
「店ん中で遊ぶな」
『遊んでない。確認だ』
「同じだ」
宮本に怒られたので止める。
でも、尻尾は止まらない。
「重心を変えてある。手で握る道具じゃないからな」
宮本は俺が浮かせている包丁を見ながら説明する。
「人間が使うなら柄を握った時のバランスを見る。お前は刃ごと浮かせる。だったら、その使い方に合わせた方がいい」
『なるほど』
「刃も長くしすぎてない。細かく動かすなら、その方が楽だろ」
『楽』
「ならいい」
短い。
でも十分だ。
前に来た時、宮本は俺がどう包丁を使うのかを細かく確認していた。
何を切るのか。
何本使うのか。
手では持たないこと。
念動力でどう動かすのか。
あの時は、ずいぶん細かいところまで聞くんだなと思った。でも、完成した物を使ってみると、その意味が分かる。
これは猫用の小さい包丁じゃない。
俺が使うための包丁だ。
『宮本』
「何だ」
『これ、好き』
「そうか」
反応は薄い。
もうちょっと喜んでもいいと思う。
俺はかなり喜んでるぞ。
「ニャル、顔すごいよ」
『普通だ』
「店来てからずっとにやにやしてる」
『猫はにやにやしない』
「じゃあ何か嬉しそう」
それは否定しない。
俺はもう一度包丁を見る。
『切っていい?』
「何をだ」
『何か』
「店の商品切るなよ」
『分かってる』
俺だってそこまでしない。
たぶん。
宮本は少し考えると、作業台の端に置いてあった細い木片を一本持ってきた。
「これならいい」
『木?』
「切れ味を見るだけだ」
料理じゃない。
少し残念だが、今は仕方ない。
俺は包丁を浮かせる。
狙いをつけ、そのまま刃を下ろした。
すっ。
『……にゃ?』
手応えがほとんどなかった。
木片が二つに分かれ、作業台の上へ転がる。
俺は包丁を見る。
木を見る。
もう一度包丁を見る。
『すごい』
「今までの包丁でそれ切ったことないだろ」
悠真のツッコミが入る。
『でもすごい』
「まあ、それは分かるけど」
「本番は食材で試せ」
宮本が言った。
『今から?』
「家でだ」
『ここに食材ない?』
「鍛冶屋だぞ」
ないらしい。
仕方ない。
『帰ろう、悠真』
「切り替え早っ」
『早く料理する』
「せめて宮本さんの話最後まで聞こうな?」
まだあったのか。
俺は包丁を浮かせたまま宮本を見る。
「違和感があったら持ってこい。使ってみないと分からんところもある」
『分かった』
「あと、刃物だからな。浮かせてるからって雑に扱うな」
『うむ』
「使ったら手入れしろ」
『それは今までもやってる』
「ならいい」
宮本が頷く。
俺は少し考えてから聞いた。
『また料理道具欲しくなったら作ってくれる?』
「素材と用途次第だ」
『鍋』
「気が早い」
『フライパン』
「まずその包丁使え」
『骨用の――』
「帰れ」
「ニャル、帰るぞ」
悠真に抱き上げられた。
『まだ話の途中』
「絶対注文増えるだけだから」
『料理道具は大事だぞ』
「分かったから」
俺は悠真の腕の中から宮本を見る。
『また来る』
「ああ」
『次は鍋かもしれない』
「素材持ってから言え」
断られなかった。
いい店だ。
――――――
家へ戻ると、俺はすぐキッチンへ向かった。
「やっぱり今から料理するの?」
『当然』
「まだ夕飯にはちょっと早いぞ」
『下ごしらえする』
「待てなかっただけでは?」
『違う』
半分くらい違う。
冷蔵庫と収納を確認する。
今日は、新しい食材を使わない。
試したいのは包丁だ。だったら、何度も扱ったことのある食材の方が違いが分かりやすい。
ホーンラビットの肉。
ケイブマッシュルーム。
それから普通の野菜を少し。
前にも作ったことのある炒め物にする。
「珍しいな。同じ料理?」
『比較する』
「ああ、なるほど」
ちなみに、岩鉄坑道で採ってきた香辛料鉱物――紅香晶も収納には入っている。
赤褐色の結晶を砕けば香辛料として使えるらしいが、今日は使わない。味まで変えたら、新しい包丁でどれくらい違うのか分かりにくくなる。
『まず肉』
「はいはい」
悠真が皿を用意してくれる。
俺はホーンラビットの肉をまな板へ置き、新しい包丁を浮かせた。
狙う。
刃を下ろす。
すっ。
『おお』
「またそれ言ってる」
『だって切れる』
今までなら、肉へ刃を入れたあとに少し押す感覚があった。
でも、これは違う。
刃を動かす。
すっ、すっ、すっ。
同じくらいの厚さで肉が並んでいく。
止めたい位置で止まるから、細かな調整もしやすい。念動力へ込める力そのものも少なくて済む。
「速くない?」
『速い』
悠真にも分かるくらい違うらしい。
ケイブマッシュルームも切ってみる。
今度はもっと分かりやすかった。
柔らかな傘へ刃がすっと入り、潰さずに切れる。断面がきれいだ。
『これいい』
「気に入りすぎだろ」
『悠真』
「何?」
『宮本すごい』
「本人いる時にもっと言ってやればよかったのに」
『言ったぞ。好きって』
「包丁にだろ?」
そうだったかもしれない。
でも、作った人もすごい。
それにしても楽しい。
切る。
切れる。
止める。
止まる。
角度を変える。
そのまま次の食材へ。
今までだって料理はできた。でも、今日は自分の身体が急に上手く動くようになったみたいな感覚がある。
『料理道具って大事だな』
「今さら?」
『前から知ってた。でも、ここまで違うと思わなかった』
包丁が変わっただけで、下処理が早くなる。
疲れにくい。
それだけじゃない。
切り口が揃う。
厚さも揃う。
なら、火の入り方も揃うはずだ。
俺の尻尾がまた揺れ始めた。
――――――
フライパンを熱して、油を引く。
そこへ切り揃えたホーンラビットの肉を入れると、じゅうっといい音が立った。
肉の表面へ焼き色がついていく。
『やっぱり』
「何?」
『火の入り方、揃ってる』
厚みがばらついていないから、一枚だけ先に焦げたり、逆に厚い部分だけ火が通るのを待ったりしなくていい。
ケイブマッシュルームも加える。
油を吸い、少ししんなりしたところで味を整える。今回は比較用だから、いつも通りの味付けだ。
香ばしい肉の匂いと、キノコの香りが広がる。
「うまそう」
『まだ』
「分かってる」
『味見する?』
「ニャルが?」
『俺が』
「聞く必要あった?」
ある。
料理人の大事な仕事だ。
小さな肉を一つ取って、少し冷ます。
ぱく。
『うむ』
美味い。
味自体は前にも食べた組み合わせだ。
でも、肉の食感が少し違う。繊維を余計に潰さず切れているからか、噛んだ時の感じがきれいだ。
ケイブマッシュルームも形が崩れていない。
『成功』
「包丁だけでそんな変わる?」
『食えば分かる』
「じゃあ早く食いたい」
『もうちょっと待て』
盛り付けまでが料理だ。
皿へ肉とキノコを盛り、最後にフライパンへ残った旨味も軽く絡める。
完成。
見慣れた料理だ。
でも。
前より、少しだけきれいに見える。
――――――
「いただきます」
『いただきます』
悠真が最初に肉を一つ口へ入れる。
「うまっ」
『知ってる』
「いや、これ前も食ったけど……」
もう一口。
今度はキノコも一緒。
「前より食感いいな」
『分かる?』
「分かる。何か肉が均一っていうか……柔らかいところと硬いところの差が少ない」
『切り方が揃った』
「ああ、だからか」
よし。
俺の勘違いじゃない。
包丁で味そのものが別物になるわけじゃない。でも、同じ食材を、今までよりいい状態で料理できる。
下処理が早くなる。
疲れにくくなる。
切り口が揃う。
食感も良くなる。
これなら、もっと繊細な料理もできそうだ。
『料理も育つんだな』
「料理?」
『俺の』
悠真を育てるのは楽しい。
美味いものを食わせて、少しずつ強くなっていくのを見るのはかなり楽しい。
でも。
俺自身だって、何も変わらないわけじゃない。
新しい食材を見つける。
新しい料理を作る。
新しい道具を使う。
できることが増える。
これも、たぶん成長だ。
「ニャル、すごい嬉しそう」
『うむ』
「今回は否定しないんだ」
『いい包丁だからな』
「宮本さんに伝えとく?」
『自分で言う』
「また行く気満々じゃん」
『鍋も欲しい』
「そこに戻るのかよ」
必要だと思う。
絶対そのうち。
――――――
食事が終わったあとも、俺は包丁を丁寧に洗った。
生活魔法で水を扱うこともできるが、今日はいつも以上に慎重に汚れを落とす。水気もしっかり取る。
「ニャル」
『なんだ』
「それ今日何回見てる?」
『何が』
「包丁」
『普通だ』
「絶対普通じゃない」
俺は乾いた包丁を少しだけ浮かせて、もう一度眺める。
いい。
かなりいい。
専用装備という言葉を使うなら、悠真の剣や防具と同じだ。
ただし俺の場合は武器じゃない。
包丁。
料理猫には、こっちの方が大事だ。
『次は何切ろう』
「食材を包丁に合わせるなよ」
『いい食材探せばいい』
「もっと悪化した」
何が悪い。
新しい道具があれば、新しい料理を試したくなるのは普通だ。
「じゃあ次の休み、またどっか行く?」
『行く』
即答した。
悠真がスマートフォンを取り出す。
「近場でまだ行ってないところ……」
隣へ寄って画面を覗く。
碧水の地下湖。
行った。
岩鉄坑道。
行った。
他にもいくつか名前が並んでいる。
その中で、一つ。
俺の目が止まった。
『悠真』
「ん?」
『これ』
前足で画面を示す。
「花蜜の森?」
花。
蜜。
名前からして。
甘い。
絶対、何かある。
俺の耳がぴんと立った。
『ここ行こう』
「判断早くない?」
『名前がいい』
「岩鉄坑道の時と反応違いすぎるだろ」
仕方ない。
花蜜の森。
どう考えても、美味そうな名前だった。
──────────────
【ダンジョン食材辞典】
No.009
■名称
紅香晶
■危険度
★☆☆☆☆
■ニャル評価
★★★★☆
■見た目
岩鉄坑道の岩肌に混じってできる、赤褐色の小さな結晶。
砕く前からほのかに香辛料のような香りがあり、指先ほどの結晶がまとまって見つかることが多い。
食用にできるのは赤く透けた結晶部分。
■危険な部位
結晶を包んでいる黒っぽい母岩は食用不可。
細かい粉を一度に吸い込むと鼻や喉が刺激されるので、砕く時は顔を近付けすぎない方がいい。
■おすすめ調理法
◎ 肉料理の香り付け
○ 魚の香草焼きやソテー
○ スープ・煮込み料理の風味付け
■調理のコツ
表面を水でよく洗って岩粉を落とし、十分に乾かしてから細かく砕く。
普通の胡椒より香りが強いので、一度にたくさん入れず、少量ずつ使うのがおすすめ。
加熱すると刺激が少し丸くなり、香ばしい香りが立つにゃ。
■一人前
調味料としてひとつまみ程度。
■メモ
鉱山で香辛料まで採れるとは思わなかった。
肉にも魚にも使えそう。
でも入れすぎると、たぶん悠真が「辛っ!」ってなる。
最初は少しずつ試すにゃ。
──────────────




