第1話 百万円のモンスターエッグ
ゴブリンが振り下ろした棍棒を、半歩だけ横へ動いて避ける。
「――よっ!」
空振りしたゴブリンの身体が前へ流れた。
そこへ踏み込み、俺は両手で握った剣を横薙ぎに振るう。
「ギャッ!」
手応え。
ゴブリンが地面へ倒れ、その身体が光の粒になって消えていった。
「ふぅ……」
息を吐いて、剣を下ろす。
足元に残った小さな魔石を拾い上げた。
「今日三個目か。まあ、こんなもんだよな」
俺――朝倉悠真は、県立桜ヶ丘高校に通う一年生だ。
そして放課後になると、こうしてダンジョンへ潜っている探索者でもある。
場所は緑葉の洞窟。
名前の通り、洞窟の中だというのにあちこちから草木が生えている、初心者向けのダンジョンだ。
学校からでも気軽に通える距離にあるので、俺にとってはもうすっかり見慣れた場所だった。
探索者になってから、およそ半年。
最初の頃はスライム一匹を相手にするだけでも緊張したけど、今ならゴブリン程度までなら一人で問題なく倒せる。
……まあ。
だからといって、俺が強い探索者なのかと言われると。
「Gランクなんだよなあ……」
誰もいない洞窟で呟いて、自分でちょっとへこむ。
探索者には、生まれつきの成長しやすさを測る適性というものがある。
最高はS。
最低はG。
俺は、その一番下だ。
探索者登録をした時、測定結果にでかでかと『G』の文字が表示された時のことは、今でも覚えている。
担当してくれた人にも、かなり言葉を選びながら、
『趣味程度ならともかく、専業探索者を目指すのはおすすめできない』
と言われた。
俺だって、自分に才能がないことくらい分かっている。
同じ半年でも、適性が高い奴ならとっくにもっと深い階層へ進んでいるだろう。
俺は今も、この初心者向けダンジョンを中心に活動している。
それでも。
「半年やってりゃ、Gでもゴブリンくらいは倒せるってな」
落ちていた魔石を収納袋へ入れ、俺は剣を肩に担いだ。
適性がGだからって、何もできないわけじゃない。
講習を受けた。
装備も少しずつ揃えた。
戦い方を覚えて、危険な場所には近づかず、無理そうなら逃げる。
そうやって半年続けてきた。
才能がないなら、できることをやるしかない。
俺には、探索者を辞めるつもりなんてなかった。
「さて……もう少し行くか」
スマホで時間を確認する。
まだ余裕はある。
今日は母さんから、帰りが少し遅くなると連絡が来ていた。
『夕飯は先に食べてて。あと、無茶しないこと』
最後の一文は、もはや定型文みたいになっている。
俺がダンジョンに行くたび、母さんはだいたい同じことを言う。
行くなとは言わない。
ただ、危なくなったら逃げること。
無茶をしないこと。
ちゃんと帰ってくること。
その三つだけは、何度も言われてきた。
「分かってるって」
本人はいないけど、なんとなくスマホへ返事をしておく。
実際、無茶をするつもりはない。
今日も浅い階層だけ。
夕方には切り上げる。
それで少しでも魔石や素材を持ち帰れれば十分だ。
――本当なら、十分なんて言っていられないんだけど。
俺はスマホをポケットへ戻し、洞窟の奥へ歩き出した。
――――――
「スライム二匹……」
少し先。
木の根元を這うように、半透明の塊が二つ動いている。
俺は剣を構えた。
スライムは初心者向けモンスターだ。
だからって油断していいわけじゃない。
一匹目が跳ねる。
真正面から来たそいつを剣の腹で叩き落とし、続けて突く。
核を捉えた。
スライムの身体が崩れる。
「次!」
二匹目。
こいつも飛びかかってきたが、さすがにもう慣れている。
一歩引いてかわし、着地したところへ剣を振り下ろす。
ぐにゃりとした身体の中にある核へ刃が届いた。
ほどなく二匹目も光へ変わる。
「よし」
派手じゃない。
すごい技を使ってるわけでもない。
でも、半年前の俺なら二匹同時に出てきただけで逃げていた。
こういう小さな変化があるから、探索は嫌いじゃない。
「ドロップは……これだけか」
残った素材を拾う。
大した額にはならない。
今日の稼ぎも、帰りに何か買って帰ればほとんど消えるくらいだろう。
まあ、普通なら高校生の放課後の稼ぎとしては十分だ。
普通なら。
俺の場合、必要なのは小遣いじゃない。
「十億円、か……」
途端に、さっきまでちょっと嬉しかった魔石が急に小さく見えた。
母さんはダンジョン病にかかっている。
命に関わるようなものじゃない。
身体が弱っているわけでもないし、普通に仕事にも行っている。
ただ、腕が鮮やかな青色に変わっている。
本人は「生活できるんだから別にいい」と言う。
でも、俺は知っている。
母さんは昔から服が好きだ。
少し前、一緒に買い物へ行った時のことも覚えている。
店頭にあった服を手に取って、ちょっと嬉しそうに眺めて。
そのあと袖を見て、何でもなかったみたいに戻した。
腕が隠れない服だったからだ。
別に誰かに悪く言われたわけじゃない。
母さん自身が、自分の青くなった腕を見せたくないだけ。
だから俺は治したい。
治療方法はある。
問題は、その治療用アイテムの値段だった。
約十億円。
「高校生にどうしろってんだよ」
初めて値段を知った時は、さすがに笑った。
いや、笑うしかなかった。
普通にアルバイトをしてどうにかなる金額じゃない。
だから高校へ入学したのとほぼ同時に探索者になった。
ダンジョンなら。
希少素材を見つければ、一気に大金が手に入ることがある。
運が良ければ、治療用アイテムそのものを発見できるかもしれない。
可能性が低いことくらい分かっている。
しかも俺の適性はG。
それでも、ゼロじゃない。
「……っと」
考え事をしながら歩きかけて、足を止める。
この先は道が二つに分かれている。
右はいつも使うルート。
左は少し遠回りになる。
今日は帰る時間までまだ余裕がある。
「たまには左行くか」
危険度が上がるわけでもない。
俺は見慣れた右ではなく、左の道を選んだ。
その選択が。
たぶん、俺の人生でかなり大きな分かれ道だった。
――――――
「なんだ、これ」
少し進んだところで、俺は立ち止まった。
木の根が複雑に絡み合った岩壁。
その奥に、小さな空間がある。
いつもなら、そのまま通り過ぎていたかもしれない。
でも今日は違った。
隙間の奥に、妙に白いものが見えたのだ。
「石……じゃないよな?」
周囲を確認する。
モンスターはいない。
危険な気配もない。
慎重に根をまたぎ、身体を横にして隙間へ入る。
そして。
「……え?」
俺は、その場で固まった。
卵があった。
ただの卵じゃない。
こんな場所に鳥の巣なんてないし、そもそも大きさが違う。
探索者なら、実物を見たことがなくても知識としては知っている。
「モンスターエッグ……?」
思わず声が小さくなる。
ダンジョンで、ごく稀に見つかるもの。
中から生まれたモンスターと契約すれば、テイムモンスターとして一緒に活動できる。
何が孵るか分からない。
だから当たり外れも大きい。
それでも卵自体が希少なので、売ればかなり高い。
俺は剣を置き、両手でそっと卵を持ち上げた。
「マジかよ……」
重みが腕に伝わってくる。
偽物じゃない。
これまで半年間ダンジョンへ潜ってきて、一度も見つけたことがなかった。
周りで拾ったという話だって、ほとんど聞かない。
それが今、俺の手の中にある。
「これ……いくらだ?」
頭の中で、これまで見た相場を思い返す。
種類不明。
未孵化。
状態は、俺が見る限り悪くない。
細かい査定はギルドへ持っていかないと分からないけど。
「百万円……くらい?」
声が裏返った。
百万円。
高校一年生の俺には、とんでもない大金だ。
「うわ……」
急に卵が怖くなってきた。
落としたら百万円。
正確には、百万円だったものになる。
「待て待て待て。落ち着け、俺」
両腕で卵を抱え直す。
さっきゴブリンと戦っていた時より緊張している気がする。
百万円。
何度考えてもすごい。
今までの探索で稼いできた額とは桁が違う。
ちゃんと持ち帰って売れば、かなり大きな収入になる。
「……百万円」
もう一度呟く。
嬉しい。
間違いなく嬉しい。
半年間続けてきて、初めてと言っていい大当たりだ。
なのに。
その数字の向こう側に、勝手に別の数字が浮かんでくる。
十億円。
「……全然、足りないな」
分かっていたことなのに、口にすると笑えてきた。
百万円なんて、俺にとっては目がくらむような大金なのに。
母さんを治すために必要な金額と比べれば、まだ遠すぎる。
もちろん、だから売る意味がないわけじゃない。
百万円だって積み重ねの一つだ。
装備を新しくすることもできる。
講習だって受けられる。
探索を続けるなら、いくらあっても困らない。
「売るのが普通だよな……」
卵を見下ろす。
返事はない。
当たり前だ。
俺はしばらく、その場でしゃがみ込んだまま考えた。
売る。
百万円を手に入れる。
それは確実だ。
じゃあ、孵す。
何が出てくるか分からない。
弱いモンスターかもしれない。
探索に向かない種類かもしれない。
そうなれば、百万円を手放しただけで終わる。
「でも……」
もし。
もしも、探索を手伝ってくれるモンスターが生まれたら。
俺一人では行けなかった場所へ行けるかもしれない。
今より深い階層へ。
今より価値のある素材がある場所へ。
治療用アイテムを手に入れられる可能性だって、少しは上がる。
Gランクの俺にとって、テイムモンスターは自分の適性とは別の可能性だ。
「百万円をもらうか」
卵を抱き直す。
「この先に賭けるか」
白い殻を見つめる。
母さんなら、たぶん売れと言う。
いや。
『そんな大金なら貯金しなさい』
とか言いそうだ。
そのあと、
『そもそも私のために使わなくていいからね』
までがセットだろう。
想像したら、ちょっと笑ってしまった。
「……やっぱり、孵してみたいな」
結局。
最後に出たのは、かなり単純な本音だった。
百万円は欲しい。
ものすごく欲しい。
でも百万円を手に入れて終わるより、その先へ行ける可能性が欲しかった。
それに。
「せっかく俺が見つけたんだし」
どんなモンスターが生まれるのか。
普通に気になる。
俺は立ち上がった。
剣を拾い、卵を絶対に落とさないよう慎重に持ち直す。
「よし。帰ろう」
今日の探索は、ここまでだ。
これ以上欲張る必要はない。
半年で覚えた一番大事なことの一つ。
大当たりを引いた日は、無事に持って帰るまでが探索だ。
――――――
家へ帰ってからも、俺は何度も卵を眺めていた。
「ほんとに持って帰ってきちゃったな……」
テーブルの上。
タオルを何枚か重ね、その中央へ卵を置いてある。
玄関からここまで運ぶだけなのに妙に緊張した。
母さんはまだ仕事から帰っていない。
とりあえず、
『今日、すごいもの拾った』
とだけ送っておいた。
すぐに、
『危ないものじゃないでしょうね?』
と返ってきた。
「信用ないなあ」
いや、ダンジョン帰りの高校生が「すごいもの拾った」と言えば、母親としては正しい反応か。
『モンスターエッグ。孵してみる』
少し迷ってから送信。
既読。
数秒。
『え?』
さらに数秒。
『売らないの?』
「やっぱそこ聞くよな」
『うん。たぶん百万円くらい』
今度は少し長く間が空いた。
『ちゃんと考えて決めた?』
来たのは、それだけだった。
売りなさい、とは言われなかった。
俺はスマホを見ながら少し笑う。
『考えた。孵す』
送る。
『じゃあ分かった。でも変なのが生まれても最後までちゃんと面倒見るのよ』
「そこ?」
思わず声が出た。
でも、たぶん母さんらしい。
『分かってる』
そう返して、スマホを伏せる。
改めて卵を見る。
「で。お前、いつ孵るんだ?」
もちろん返事はない。
孵化までの日数なんて卵によって違う。
今日明日で出てくることもあれば、しばらくかかることもあるらしい。
「強いのが出てくれたら嬉しいけど」
椅子へ座り、頬杖をつく。
欲を言えばきりがない。
戦闘が得意なモンスター。
探索が得意なモンスター。
俺を背中に乗せて飛べるような奴。
そんなのが出てくれば大当たりだ。
「まあ、元気なら何でもいいか」
百万円を手放したんだから、ちょっとくらい期待したっていい。
でも。
自分で孵すと決めた以上、何が出ても俺のテイムモンスターだ。
「よろしくな」
なんとなく殻を撫でてみる。
つるりとした感触。
返事は――。
ぴし。
「……ん?」
手を止める。
今。
何か音がした。
「え?」
卵を見る。
さっきまで何もなかった殻に。
一本。
細い亀裂が入っていた。
「うそ。もう?」
ぴし。
ぱき。
亀裂が広がる。
俺は椅子から立ち上がった。
「待って待って、心の準備!」
もちろん卵は待ってくれない。
ぱきん、と。
小さな殻の欠片が外へ落ちた。
できた隙間の向こうで。
何か、とても小さなものが動く。
「……何が出てくるんだ?」
次の瞬間。
殻の隙間から――小さな何かが、ひょこりと顔を出した。




