プロローグ
包丁が宙を飛んでいた。
一本ではない。二本だ。
一方がダンジョンで手に入れた大きな魚の身を切り分け、もう一方が付け合わせの野菜を刻んでいく。
「何回見てもすごいよな、それ」
『手で持つより楽だからな』
キッチンの作業台、その端。
俺は小さな前足を揃えながら、念動力で二本の包丁を操っていた。
名前はニャル。
全長二十センチほどの、二足歩行する猫型モンスターだ。
そして――これは、俺が悠真の飼い猫になってから、少し経った頃の話である。
「で、今日の飯は?」
『魚』
「それは見れば分かる」
『美味い魚』
「雑になったな、説明」
うるさい。
魚は魚だ。
しかも脂の乗りがいい。
熱したフライパンへ切り身を置く。
じゅわっ、と景気のいい音が鳴った。
脂が弾け、香ばしい匂いが立ち上る。
「にゃ……」
鼻が勝手に動いた。
仕方ない。猫だからな。
表面に焼き色がついたところでひっくり返す。
うん。
いい色だ。
念のため、端をほんの少しだけ切り取る。
「また味見?」
『必要な確認だ』
ぱくり。
……美味い。
もう一回くらい確認しても――。
「ニャル」
『なんだ』
「魚、さっきより減ってない?」
『気のせいだ』
「口の横に付いてるけど」
前足で口元を拭う。
悠真が笑った。
失礼な飼い主だ。
――――――
「うまっ!」
食卓について一口目。
悠真の第一声は今日もそれだった。
焼いた魚の身を箸で崩せば、湯気と一緒に脂がにじむ。
外は香ばしく、中はふっくら。
悠真は二口、三口と食べると、そのままご飯までかき込んだ。
「これ、もう一切れある?」
『あるぞ』
「もらっていい?」
『食え食え』
俺は満足して尻尾を揺らした。
料理は食ってもらって完成だからな。
美味そうに食べてくれるなら、作った甲斐もある。
それに――。
こいつは食えば食うほど、よく育つ。
翌日。
いつものダンジョンで、悠真が剣を振った。
迫ってきたモンスターの攻撃をかわし、そのまま一歩踏み込む。
剣が走る。
昨日までより、少し速い。
倒れたモンスターを見下ろして、悠真が自分の手を握ったり開いたりした。
「……やっぱり、また身体軽くなってる気がする」
『昨日いっぱい食ったからな』
「普通、いっぱい食った翌日は身体重くなると思うんだけど」
『強くなったならいいだろ』
「お前は簡単に言うよなあ」
俺は悠真を見上げる。
前より動けている。
前より疲れていない。
うん。
ちゃんと育ってる。
嬉しくなって、尻尾がぴんと立った。
『よし。今日はもっと食わせるか』
「待って。昨日も二回おかわりしたからな?」
『育ち盛りだろ』
「お前、俺を何だと思ってるの?」
決まっている。
『飼い主』
「そういう意味じゃないんだけどなあ……」
悠真が苦笑する。
俺はその横で、さっき倒したモンスターを眺めた。
……あれ。
もしかして、こいつも食えるんじゃないか?
『悠真』
「ん?」
『今日の晩飯、決まったぞ』
「その目してる時、だいたい変なもの見つけてるよな……」
失礼な。
美味いものを見つけているだけだ。
ダンジョンへ行く。
食材を見つける。
俺が料理する。
悠真が食べる。
美味い。
そして、少し強くなる。
今では、それが俺たちの日常だ。
けれど――。
もちろん、最初からこんな生活だったわけじゃない。
俺が包丁を浮かせれば、悠真は腰を抜かしそうになったし。
ダンジョンのものを食おうとすれば、本気で止められた。
そもそも俺と悠真は、最初から一緒だったわけでもない。
だから、話を少しだけ戻そう。
俺がまだ、この弱くて育て甲斐のある飼い主と出会う前。
一個のモンスターエッグが、
悠真の手に渡ったところまで。




