第8章 「丘の上の客人」
1
アミールは、ミロシュからの情報を頼りに、
サラエボを見下ろす丘の麓に立っていた。
そこは、包囲が始まってから“立入禁止区域”になっていたが、
軍関係者と一部の外国人だけは自由に出入りできる場所だった。
アミールは、胸の奥で静かに燃える怒りを押し殺しながら、
瓦礫の影を伝って丘を登った。
風が冷たい。
だが、それ以上に冷たいのは、
この丘に漂う“異様な空気”だった。
まるで、ここだけが戦争ではなく、
別の“娯楽空間”であるかのように。
2
丘の上に着いたとき、
アミールは信じられない光景を目にした。
軍のテントの前に、
外国製の高級車が数台並んでいた。
車体は泥一つついていない。
まるで戦場に来たのではなく、
リゾート地にでも来たかのようだった。
テントの中から、
笑い声が聞こえる。
アミールは息を呑んだ。
この丘の下では、市民が影を縫って走り、
水を求めて列を作り、
生きるために祈っている。
だが丘の上では、
まるで別世界のように、
富裕層たちが“戦争を楽しんでいた”。
3
テントの中に入ると、
そこには三人の外国人がいた。
スーツ姿の男、
ブランド物のコートを羽織った女、
そして、双眼鏡を首に下げた中年の男。
彼らは、
アミールが入ってきても驚かなかった。
むしろ、
“客ではない者が来た”という程度の興味しか示さなかった。
「あなたたちは……ここで何をしている?」
アミールは震える声で言った。
スーツの男が、
ワイングラスを回しながら答えた。
「見ての通りだよ。
戦争を“体験”しに来たんだ」
アミールは言葉を失った。
4
ブランドコートの女が、
軽い調子で言った。
「あなた、街の人?
ここから見る景色、すごいわよ。
あの通り、昨日“動きの速い標的”がいたの。
すごくスリリングだったわ」
アミールの胸に、
冷たい怒りが走った。
「……標的?
あなたが言っているのは“人間”だ」
女は肩をすくめた。
「もちろん人間よ。
でも、ここでは“ゲーム”みたいなものじゃない?」
アミールは拳を握りしめた。
5
双眼鏡の男が、
料金表のコピーを手に取りながら言った。
「これ、君が持ってきたのか?
いや、違うな……
街の誰かが外に漏らしたんだろう」
アミールは一歩前に出た。
「子どもと妊婦が高額。
老人は無料。
あなたたちは……
そんな“価格表”を見て、何も感じないのか」
男は笑った。
「感じるさ。
“高い金を払う価値がある”ってことだろう?」
アミールは息を呑んだ。
男は続けた。
「妊婦は動きが遅い。
だが、当たったときの“達成感”は大きい。
子どもは動きが速い。
だから高額なんだ。
老人は……まあ、ボーナスだな。
どこにでもいるし、簡単だから」
アミールの視界が揺れた。
この男たちは、
人間の命を“難易度”で語っている。
6
アミールは震える声で言った。
「あなたたちは……
人間の皮を被った怪物だ」
スーツの男は、
ワインを飲み干しながら言った。
「怪物?
違うよ、記者さん。
金があるから、できることをしているだけだ。
それがこの世界のルールだろう?」
アミールは、
胸の奥で何かが崩れ落ちる音を聞いた。
この丘の上には、
倫理も、罪悪感も、
人間らしさも存在しない。
あるのはただ、
金で買える“スリル”という名の地獄だけだった。
7
アミールは静かに言った。
「……あなたたちの名前を、
世界に伝える」
スーツの男は笑った。
「好きにすればいい。
どうせ戦争が終わる頃には、
私たちは別の国で別の“体験”をしているさ」
アミールはテントを出た。
外の空気は冷たかったが、
彼の胸の中は燃えていた。
この狂気を、
必ず記録し、
必ず暴く。
丘の下では、
市民が今日も影を縫って生きている。
丘の上では、
富裕層が“死を娯楽に変える”ために笑っている。
アミールは、
その断絶を胸に刻みながら、
ゆっくりと丘を下りていった。




