第7章 「報復の影」
1
“料金表”が世界に報じられた翌日、
サラエボの空気は、いつも以上に重かった。
アミールは街を歩きながら、
人々の視線がどこか落ち着かないことに気づいた。
誰もが、何かを恐れている。
「内部に裏切り者がいるらしい」
「情報が漏れた。軍が怒っている」
「検問が増えた。外に出るな」
そんな声が、
瓦礫の間をすり抜ける風のように広がっていた。
アミールは胸の奥が冷たくなるのを感じた。
“真実が届いた”という希望は、
同時に“報復が始まる”という恐怖でもあった。
2
午後、街の中心部にある広場で、
軍関係者が市民を集めていた。
「最近、外部に虚偽の情報が流されている。
内部に協力者がいる可能性がある」
その声は冷たく、
広場に集まった人々の背筋を凍らせた。
アミールは群衆の中に紛れながら、
その言葉の裏にある意図を読み取った。
――“犯人を探す”のではない。
――“街全体に恐怖を植え付ける”のだ。
軍は、誰が漏らしたかを本気で探しているわけではない。
“誰でも疑われ得る”という空気を作ることで、
市民同士を分断し、沈黙させようとしていた。
3
その夜、アミールの家のドアが激しく叩かれた。
「アミール、開けてくれ!」
声の主は、元情報員のミロシュだった。
彼は息を切らし、顔色を失っていた。
「……アディスたちが、戻ってこない」
アミールの心臓が止まりそうになった。
「まさか……捕まったのか」
「分からない。だが、軍が“子どもたちを探している”という噂がある」
アミールは壁に手をつき、
深く息を吸った。
アディスは、
街のために命を賭けた少年だ。
その彼が、今どこにいるのか分からない。
「……私のせいだ」
アミールは呟いた。
ミロシュは首を振った。
「違う。あんたは真実を外に出した。
だが、軍はそれを許さない。
今、街全体が“見せしめ”の対象になっている」
4
翌日、街の検問はさらに増えた。
兵士たちは市民の荷物を乱暴に調べ、
通りを歩く人々を無言で睨みつけた。
「誰が漏らした?」
「誰が裏切った?」
「誰が外と繋がっている?」
そんな言葉が、
街のあちこちで囁かれた。
アミールは、
自分が持ち帰った“料金表”のコピーを
床下の板の下に隠した。
真実は武器だ。
だが、武器は持つ者をも傷つける。
5
夕暮れ、アミールは廃墟の屋上に登った。
丘の上――
富裕層が“観光”として訪れた狙撃地点が見える。
そこに、
軍の車両が集まっていた。
「……動き出したな」
アミールは呟いた。
世界が知ったことで、
軍は焦り、怒り、
そして“誰かを罰する必要”に駆られていた。
その“誰か”が、
アミールである可能性も、
アディスである可能性も、
街の誰かである可能性もあった。
報復は、
“特定の誰か”に向けられるのではない。
街全体に向けて、
恐怖という形で降り注ぐのだ。
6
夜、アミールは机に向かい、
震える手で日記を書いた。
“真実を外へ出した。
だが、街は今、報復の影に覆われている。
私は恐れている。
しかし、後悔はしていない。
この街の人々の命に値段がつけられたことを、
黙って見ていることはできなかった。”
ペン先が震え、
紙に小さな点が落ちた。
それが涙なのか、
インクなのか、
アミールには分からなかった。




