第8話:神子の反逆
大神殿の大広間は、異様な空気に包まれていた。
神官たちが慌ただしく行き交い、騎士たちが剣へ手を掛けている。
その中心で。
ルヴァルトはリュシエンヌを抱えたまま、堂々と立っていた。
「神子様をお返しください!」
「神殿への反逆ですぞ!」
神官たちが声を荒げる。
だがルヴァルトは動じない。
「監禁しておいて、“返せ”は随分都合がいいな」
「神子様は神殿に必要なお方です!」
「だから閉じ込めたのか?」
冷え切った声だった。
「意思も無視して」
神官たちが言葉に詰まる。
その時だった。
「――もう、やめてください」
静かな声が響く。
全員の視線が集まった。
リュシエンヌだった。
ルヴァルトの腕の中で、彼女はゆっくり顔を上げる。
「神子様……!」
神官長が一歩前へ出る。
「どうかお戻りを。貴女は神に選ばれたお方なのです」
その言葉に、リュシエンヌの胸が痛んだ。
ずっと縛られてきた言葉。
神子。
特別。
神のため。
けれど今は、もうわかる。
それは自分を守る言葉ではなかった。
閉じ込めるための言葉だったのだと。
「……私は」
声が震える。
怖い。
こんなにも大勢の前で、自分の意思を口にするのは初めてだった。
けれど。
背中に回されたルヴァルトの腕が、静かに支えてくれる。
大丈夫だと、言うみたいに。
だからリュシエンヌは、小さく息を吸った。
「私は……神殿へ戻りません」
広間がざわめく。
「神子様!?」
「お戯れを!」
「神託をお忘れですか!」
次々飛ぶ声。
だがリュシエンヌは、もう俯かなかった。
「神託には、“恋を禁ずる”など書かれていません」
神官たちの顔色が変わる。
「なっ……」
「初代神子様は、結婚されていました」
神官長が目を見開いた。
図星だった。
「恋をすれば加護が消えるという教えも……本当は、神託ではないのでしょう」
静寂が落ちる。
誰も否定できない。
それが答えだった。
リュシエンヌは胸元を強く握り締めた。
苦しかった。
怖かった。
でも、ずっと。
ずっと言いたかった。
「私は……幸せになってはいけないと、思っていました」
声が掠れる。
「誰かを好きになることは罪で、私は神子だから耐えなければいけないって……」
涙が滲む。
けれどもう、止めなかった。
「でも、違った」
真っ直ぐ前を向く。
「私は、“神子”である前に、一人の人間です」
その瞬間。
空気が変わった。
神官たちの間に動揺が広がる。
「馬鹿な……」
「そんなこと認められるはずが……!」
神官長が顔を歪める。
「神子様! その男に惑わされているだけです!」
「違います」
即答だった。
リュシエンヌは震えながらも、はっきり言った。
「ルヴァルトは、初めて私を“神子”ではなく見てくれた人です」
隣で、ルヴァルトがわずかに目を見開く。
「閉じ込めるのではなく、手を伸ばしてくれた」
胸が熱い。
こんなにも感情を口にしたのは初めてだった。
「私はもう、“神殿の所有物”にはなりません」
その宣言に、大広間が騒然となる。
神官長は顔を真っ赤にした。
「無礼な!! 神殿へ逆らう気ですか!」
「逆らっているのは、あなたたちです」
リュシエンヌの声は、思った以上に静かだった。
「神の名を使って、人を閉じ込めた」
神官長が息を呑む。
「神は、恋を禁じてなんていなかった」
その時だった。
ふわり、と。
大広間に淡い金色の光が満ちる。
「……っ!?」
神官たちがざわめく。
リュシエンヌ自身も驚いた。
身体の奥から、温かな力が溢れてくる。
優しい光。
まるで祝福みたいな。
誰かが震える声で呟いた。
「加護が……消えて、いない……?」
むしろ強い。
今までで一番、穏やかで澄んだ力だった。
その事実が、何よりの答えだった。
神官長が絶望したように後退る。
「そんな……馬鹿な……」
リュシエンヌは静かに目を閉じた。
怖かった。
でももう、わかる。
神はきっと、檻なんて望んでいなかった。
その瞬間。
隣から低い声が落ちる。
「……格好良すぎて困る」
「え?」
振り向けば、ルヴァルトがひどく優しい顔で笑っていた。
「本気で今すぐ抱き締めたい」
「い、今はやめてください……!」
「じゃあ後で」
こんな状況なのに。
なのにその言葉が、泣きたくなるほど嬉しかった。




