第7話:攫う覚悟
その異変に最初に気付いたのは、侍女だった。
「……神子様?」
朝。
いつもの時間になっても、リュシエンヌの部屋から返事がない。
不審に思った侍女が部屋へ入ると、そこは空だった。
窓は閉じられたまま。
争った痕跡もない。
ただ、机の上に一枚の紙だけが残されていた。
『神子様は、本日より祈りの儀へ入られます。
外部との接触は禁止する』
◇
「……は?」
その報告を受けた瞬間、ルヴァルトの声から温度が消えた。
神殿の応接室。
神官長は涼しい顔で座っている。
「神子様はお疲れなのです。しばらく静養していただきます」
「俺に無断で?」
「神殿内のことですので」
空気が張り詰める。
騎士たちですら息を呑んだ。
ルヴァルトは静かに神官長を見下ろした。
「……どこにいる」
「お答えできません」
「監禁ですね」
「誤解ですな」
「なら会わせろ」
「神子様は誰とも会いたくないと――」
次の瞬間。
ドンッ!! と。
重い音が響いた。
ルヴァルトが神官長の机へ片手を叩き付けていた。
室内が凍り付く。
「……その嘘、誰が信じる」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
なのに恐ろしいほど圧がある。
「貴様らが勝手に閉じ込めたんだろう」
神官長の顔が僅かに引き攣る。
「神子様は神殿の所有物です」
その言葉で。
何かが切れた。
ルヴァルトの灰青の瞳から、完全に感情が消える。
「……所有物?」
静かすぎる声だった。
「人を物みたいに扱うな」
「神子様は特別な存在です。恋愛など不要――」
「不要かどうかを決めるのは貴様じゃない」
空気が震える。
騎士団でも滅多に見ない、本気で怒った時のルヴァルトだった。
「今すぐ返せ」
「お断りします」
「そうか」
ルヴァルトはゆっくり立ち上がる。
その顔には、逆に笑みすら浮かんでいた。
ぞっとするほど冷たい笑み。
「なら、力尽くで行く」
◇
神殿地下。
薄暗い石牢のような部屋で、リュシエンヌは膝を抱えていた。
窓もない。
光も少ない。
静かで、冷たい場所。
神官長は穏やかな顔で言ったのだ。
『しばらく頭を冷やしていただきます』
『公爵令息に心を乱されている今の貴女は、神子として不完全です』
――不完全。
その言葉が胸へ刺さる。
リュシエンヌは唇を噛み締めた。
本当に、自分は間違っているのだろうか。
ルヴァルトを想うことは、罪なのだろうか。
わからない。
けれど。
『好きだからですよ』
脳裏に浮かぶ声が、苦しいほど優しい。
会いたい。
そう思ってしまった瞬間だった。
――ガァンッ!!
地下に轟音が響いた。
石壁が震える。
「な、何……!?」
外が騒がしい。
神官たちの悲鳴。
足音。
怒号。
そして。
「どけ」
聞き間違えるはずのない声。
リュシエンヌは勢いよく立ち上がった。
「ルヴァルト……?」
次の瞬間。
重厚な扉が、内側へ吹き飛んだ。
舞い上がる砂煙。
その向こうに立っていたのは、剣を携えたルヴァルトだった。
騎士服には斬った跡がある。
髪も少し乱れている。
なのに彼は、リュシエンヌを見た瞬間だけ、ひどく安堵した顔をした。
「……無事で良かった」
その一言で、涙が出そうになる。
「どうして……」
「迎えに来ました」
当然みたいに言う。
彼の後ろでは、神官たちが青ざめていた。
「公爵令息! これは王家への反逆ですよ!」
「だから?」
ルヴァルトは冷たく振り返る。
「神殿が人を閉じ込めていい理由にはならない」
「神子様は神へ捧げられた存在です!」
「違う」
即答だった。
ルヴァルトは真っ直ぐリュシエンヌを見る。
「この人は、生きてる人間だ」
胸が熱くなる。
誰も言ってくれなかった言葉。
ずっと欲しかった言葉。
「リュシエンヌ」
彼が手を伸ばす。
「来てください」
その手は力強くて、温かい。
リュシエンヌは震える指を伸ばしかけて――止まった。
「……でも」
怖い。
本当にこのまま出て行っていいのか。
神子としての役目は。
国は。
神の加護は。
迷う彼女を見て、ルヴァルトは静かに息を吐いた。
そして次の瞬間。
ぐい、と。
「きゃっ……!?」
身体が浮いた。
気付けば、横抱きにされている。
「ル、ルヴァルト!?」
「もう待ちません」
彼は平然と言う。
「貴女は迷うと、自分を後回しにするので」
「で、でも……!」
「嫌ですか」
真っ直ぐ問われる。
リュシエンヌは言葉を失った。
嫌じゃない。
むしろ。
嬉しいと思ってしまった。
その沈黙だけで十分だったらしい。
ルヴァルトは満足そうに笑う。
「なら、このまま攫います」
その瞬間。
リュシエンヌの胸の奥で、何かが決壊した。
ああ。
本当に、この人は。
自分を神殿から連れ出そうとしている。
“神子”ではなく。
ただのリュシエンヌとして。
愛してくれているのだと。




