第5話:許されない感情
恋をしてしまった。
その事実を自覚した瞬間から、世界が変わってしまった。
ルヴァルトの姿を見るだけで胸が苦しい。
声を聞くだけで心臓が跳ねる。
目が合えば、どうしていいかわからなくなる。
だからリュシエンヌは、彼を避け始めた。
◇
「……神子様は?」
朝。
いつもの中庭へ来たルヴァルトに、侍女が困ったように頭を下げる。
「本日は体調が優れず……」
「へえ」
短い返事。
だが灰青の瞳は明らかに納得していなかった。
「昨日までは元気でしたよね」
「そ、それは……」
「ちなみに今朝、窓から庭を見ていたのも確認しています」
侍女が固まる。
完全に見られていた。
部屋の中でそのやり取りを聞いていたリュシエンヌは、思わず額を押さえた。
(なんで気付くんですか……)
普通なら流すだろうに。
この人は妙なところで鋭い。
「神子様」
扉越しに声が響く。
「逃げないでください」
心臓に悪い。
リュシエンヌはぎゅっと胸元を掴んだ。
「……逃げていません」
「では開けてください」
「嫌です」
即答してしまった。
外が静かになる。
しまった、と思った時には遅い。
数秒後。
「……なるほど」
妙に納得した声が返ってきた。
「自覚したんですね」
「――っ!!?」
リュシエンヌは勢いよく立ち上がった。
なぜわかるのか。
どうしてそんな簡単に見抜くのか。
顔が熱い。
耳まで熱い。
外から、低い笑い声が聞こえる。
「可愛い反応をしないでください。扉を壊したくなる」
「物騒なこと言わないでください!」
「安心してください。本当に壊しません」
「“本当に”を付ける時点で怪しいんです!」
完全に遊ばれていた。
リュシエンヌは羞恥でしゃがみ込みたくなる。
すると扉越しに、少しだけ柔らかな声が落ちてきた。
「……そんなに困りますか」
その声に、胸が締め付けられる。
困る。
とても困る。
だって。
「神子は、恋をしてはいけないんです……」
小さく零した声は、自分でも驚くほど弱かった。
廊下の向こうが静かになる。
リュシエンヌは俯いた。
「神殿では昔から言われています。神子が誰か一人を愛せば、神の加護は失われるって」
だから神子は恋を禁じられる。
誰にも心を許してはいけない。
愛されてもいけない。
もし自分のせいで国に災いが起きたら。
そう思うだけで怖かった。
「……だから、私は」
「それ、本当に神託ですか」
低い声が遮った。
リュシエンヌは目を瞬く。
「え……?」
「誰が決めたんです」
「そ、それは神殿が……」
「神殿が言っているだけでしょう」
鋭い言葉だった。
だが怒っているわけではない。
むしろ静かだった。
「俺には、神が恋を禁じる理由なんてわからない」
胸が揺れる。
そんなこと、考えたこともなかった。
神殿がそう言うから。
ずっとそれが正しいと思っていた。
「ですが……もし、本当に加護が消えたら」
「その時は」
彼の声が、少しだけ近付いた。
「俺が全部背負います」
息が止まる。
「国が敵になるなら守る。神殿が貴女を責めるなら、俺が奪う」
鼓動がうるさい。
「だから、そんな顔をしないでください」
優しく。
けれど逃がさない声音だった。
「俺は、貴女を諦める気がありません」
その言葉が、どうしようもなく嬉しい。
嬉しくて、苦しい。
こんな感情を知ってしまったら、もう前には戻れない。
◇
その日の夜。
リュシエンヌは礼拝堂で一人、祈りを捧げていた。
静かな空間。
揺れる燭台の火。
胸の奥が落ち着かない。
「神よ……」
祈りの言葉を口にしながら、ふと考えてしまう。
本当に、恋は罪なのだろうか。
ルヴァルトといる時間は温かかった。
苦しいほど優しくて。
初めて、“生きている”と思えた。
その時だった。
ふわり、と。
背中へ何かが掛けられる。
「夜は冷えますよ」
驚いて振り返けば、ルヴァルトが立っていた。
「……なぜここに」
「護衛ですので」
当然みたいに言う。
彼の上着からは、微かに陽だまりみたいな匂いがした。
「また勝手に入ってきましたね」
「神殿の方々、最近はもう諦め始めています」
「よくない傾向です……」
リュシエンヌが小さくため息をつくと、ルヴァルトは隣へ並んだ。
二人で静かな礼拝堂を見上げる。
しばらく沈黙が続き。
不意に、彼が言った。
「リュシエンヌ」
「……はい」
「顔、見せてください」
「え?」
「ずっと俯いてる」
ゆっくり顎へ手が触れる。
逃げる間もなく、そっと上を向かされた。
近い。
灰青の瞳が真っ直ぐこちらを見ている。
「……泣きそうな顔」
「泣いてません」
「我慢してる」
図星だった。
胸がいっぱいで、どうしたらいいかわからない。
そんな彼女を見つめながら、ルヴァルトは静かに笑った。
「貴女、本当に可愛いですね」
「っ……」
「そんな顔されたら、今すぐ攫いたくなる」
甘すぎる声に、頭が真っ白になる。
リュシエンヌは耐え切れず顔を覆った。
すると彼は楽しそうに息を漏らす。
「そろそろ本気で限界です」
「……何がですか」
「理性が」
もう駄目だった。
リュシエンヌは真っ赤になったまま、その場に固まることしかできなかった。




