第4話:王命による護衛
その異変は、夜明け前に起きた。
大神殿の鐘が、けたたましく鳴り響く。
眠っていた神官たちが慌ただしく駆け回り、静寂に包まれていた神殿は一瞬で騒然となった。
「何が……」
リュシエンヌは薄い夜着のまま、部屋の扉を開ける。
すると、廊下を走ってきた若い神官が顔色を変えた。
「神子様! お部屋へお戻りください!」
「何があったのですか」
「賊です……!」
空気が凍る。
「神殿内に侵入者が――」
その瞬間だった。
ガシャンッ、と。
近くの窓ガラスが砕け散る。
「っ……!」
悲鳴を飲み込む。
黒装束の男が窓から飛び込んできた。
剣。
鋭い殺気。
男の視線は真っ直ぐリュシエンヌへ向いている。
「神子を殺せ!!」
背筋が凍った。
逃げなければ。
そう思うのに身体が動かない。
恐怖で足が竦む。
男が剣を振り上げる。
その瞬間。
――ギィン!!
激しい金属音が響いた。
「俺の護衛対象に、気安く触れるな」
低い声。
次の瞬間、黒装束の男が吹き飛ばされる。
リュシエンヌの視界へ飛び込んできたのは、濃紺の騎士服だった。
「……ルヴァルト、卿……?」
彼は片手で剣を構えたまま、振り返る。
「お怪我は」
「……ありません」
「良かった」
それだけ言って、再び敵へ向き直る。
圧倒的だった。
速い。
強い。
迷いがない。
黒装束たちは複数いたはずなのに、ルヴァルトは一人で押し返していく。
鋭い剣閃。
響く悲鳴。
やがて侵入者たちは逃走し、神殿には重い静寂だけが残った。
◇
「魔物討伐遠征の影響でしょう」
数時間後。
神殿会議室では、重苦しい空気が流れていた。
王宮の使者、神官長、騎士団幹部。
そしてリュシエンヌ。
「最近、魔物の活性化が著しい。神子様を狙った可能性は高いかと」
騎士団長の言葉に、神官長が顔を顰める。
「神殿の警備は十分だったはずですが」
「十分なら侵入されていません」
淡々と返したのはルヴァルトだった。
神官長の表情が僅かに歪む。
「……何が言いたいのですかな」
「言葉通りです」
空気が張り詰める。
だが王宮使者が咳払いし、話を切った。
「陛下より命が下っています」
その場の全員が姿勢を正した。
「本日より、神子リュシエンヌ様には専属護衛を付ける」
リュシエンヌは小さく目を見開く。
「護衛……」
「担当は、ルヴァルト・エインズワース副団長」
一瞬、時が止まった気がした。
ルヴァルトは静かに一礼する。
「謹んで拝命いたします」
一方、神官長は露骨に顔を曇らせた。
「しかし、それは……」
「陛下直々のご命令です」
反論は許されない。
神官長は唇を噛み締め、黙り込んだ。
リュシエンヌだけが、状況についていけなかった。
専属護衛。
つまり。
これから彼が、常に傍にいるということだ。
◇
「……近すぎませんか」
「護衛ですので」
夕方。
神殿の回廊を歩きながら、リュシエンヌは小声で言った。
ルヴァルトが本当に近い。
半歩後ろ。
いや、時々ほとんど隣にいる。
「護衛というのは、もっと離れているものでは」
「何かあった時に間に合いません」
「ですが……」
「それとも、離れた方がいいですか」
その問いに、リュシエンヌは言葉を詰まらせた。
離れた方がいい。
本来なら、そう答えるべきだ。
神子なのだから。
恋をしてはいけないのだから。
なのに。
「……好きにしてください」
小さくそう返すと、ルヴァルトが僅かに笑った気配がした。
「では、お言葉に甘えて」
「甘えないでください」
「難しいですね」
絶対楽しんでいる。
リュシエンヌは少しだけ頬を膨らませた。
するとルヴァルトがふと視線を向ける。
「……やっと年相応の顔をしますね」
「え?」
「その方が可愛い」
思考が止まった。
「な、っ……」
耳まで熱くなる。
何を言われたのか理解するまで数秒かかった。
「突然そういうことを言わないでください!」
「本当のことですが」
「そういう問題ではありません!」
慌てるリュシエンヌを見て、彼は珍しく声を出して笑った。
その笑顔に、胸がうるさくなる。
駄目だ。
こんなの。
心臓が持たない。
◇
その夜。
月明かりが差し込む回廊で、リュシエンヌは一人立ち尽くしていた。
昼間の襲撃が、まだ頭から離れない。
剣。
殺意。
迫ってきた恐怖。
思い出しただけで指先が震えた。
「眠れませんか」
背後から声がする。
振り返れば、ルヴァルトがいた。
「……少しだけ」
彼は静かに近付いてくる。
「怖かったでしょう」
その言葉に、張り詰めていたものが少し揺らいだ。
「私は神子ですから」
また、そんな言葉を口にしてしまう。
するとルヴァルトは眉を寄せた。
「それ、便利な逃げ言葉ですね」
「っ……」
「怖かったなら、怖かったでいいでしょう」
優しい声だった。
責めているわけじゃない。
ただ、本音を許そうとしてくれている。
「……怖かった、です」
ようやく絞り出した声は、情けないほど震えていた。
すると次の瞬間。
ふわり、と。
温かな腕に包まれる。
「――え」
一瞬、理解できなかった。
ルヴァルトが、リュシエンヌを抱き締めている。
「大丈夫です」
低く穏やかな声。
「今度は絶対に間に合わせる」
胸が苦しい。
近い。
温かい。
こんな風に誰かに抱き締められたことなんて、いつ以来だろう。
知らない。
こんな安心感。
こんなふうに、“守られている”と思える感覚。
そしてリュシエンヌは、ようやく自覚してしまった。
ああ。
自分は。
この人に、恋をしているのだと。




