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神殿の花は、公爵令息に攫われる  作者: あめとおと


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3/10

第3話:閉じ込められた鳥



「最近、随分楽しそうですね」


 その言葉に、リュシエンヌの手が止まった。


 夕刻。

 神殿最上階の一室。


 神官長は窓辺に立ち、穏やかな笑みを浮かべている。


 だがその目には、温度がなかった。


「……そのように見えますか」


「ええ」


 ゆっくりと近付いてくる。


「公爵令息との時間は、そんなに心地よいものですか?」


 胸の奥がひやりと冷える。


 リュシエンヌは表情を変えないまま答えた。


「ただの来客です」


「神子様」


 神官長の声が低くなる。


「貴女は、神に選ばれた特別な存在です。どうかお忘れなきよう」


 その言葉は、幼い頃から何度も聞かされてきた。


 神子は特別。

 神子は清らかでなければならない。

 神子は誰のものにもなってはならない。


 まるで呪いのように。


「……承知しております」


「ならば結構」


 神官長は満足そうに微笑み、そのまま部屋を出ていった。


 扉が閉まる。


 途端、リュシエンヌは小さく息を吐いた。


 疲れる。


 胸が重い。


 なのに――。


『また来ますよ』


 不意に思い出した声に、心が揺れる。


 自分でもわからなかった。


 どうして彼の言葉ばかり思い出してしまうのか。


     ◇


 翌日。


 中庭には、案の定ルヴァルトがいた。


「こんにちは、神子様」


「……もう驚きません」


「慣れました?」


「呆れているだけです」


 リュシエンヌが言うと、彼は楽しそうに笑った。


 その自然な笑顔を見るたび、調子が狂う。


 貴族らしい打算も。

 神子への崇拝も。


 彼からはあまり感じられない。


「今日は何を口実に?」


「今日は正式な報告です」


「本当に?」


「半分くらいは」


「半分は違うんですね……」


 リュシエンヌは小さくため息をつく。


 するとルヴァルトは、ふと真顔になった。


「顔色が悪い」


「……そうでしょうか」


「ええ」


 灰青の瞳が、真っ直ぐ彼女を見る。


「何かありました?」


 その声音は穏やかなのに、不思議と逃げられない。


 リュシエンヌは視線を逸らした。


「別に、何も」


「嘘ですね」


「……なぜそう思うんです」


「貴女、苦しい時ほど笑うので」


 胸が詰まる。


 どうしてわかるのだろう。


 誰にも見抜かれたことなんてなかったのに。


 沈黙する彼女を見て、ルヴァルトは静かに隣へ座った。


「神子様」


「…………」


「いや、リュシエンヌ」


 名前を呼ばれた瞬間、心臓が跳ねた。


 神殿で、名前を呼ばれることはほとんどない。


 皆、“神子様”としか呼ばない。


 役目の名前。

 立場の名前。


 リュシエンヌ自身を呼ぶ人間など、もう長いこといなかった。


「貴女は、何をそんなに我慢しているんですか」


 優しい声だった。


 だからこそ、危険だった。


 リュシエンヌは唇を噛む。


「……我慢など」


「しています」


 即答される。


 逃げ場がない。


 彼はきっと、誤魔化されてくれない。


「神子は」


 気付けば、口が動いていた。


「感情を乱してはいけないんです」


「どうして」


「神に仕える身だからです」


「それは貴女自身の願いですか?」


 リュシエンヌは答えられなかった。


 願い。


 そんなもの、考えたことがなかった。


 十歳で神殿へ来てから、ずっと“神子らしく”生きることだけを求められてきたから。


 家族に会いたいと泣いた夜もあった。


 外へ出たいと思ったこともある。


 普通の少女のように笑いたいと願ったことだって。


 けれど、そのたびに言われた。


『神子様は特別なのです』

『私情を持ってはいけません』

『神に愛された存在なのですから』


 だから諦めた。


 願わなければ苦しくない。


 そう思っていたのに。


「……私は」


 声が震える。


「神子ですから」


 それしか言えなかった。


 するとルヴァルトは、静かに眉を寄せた。


「それは答えになっていません」


「っ……」


「貴女は神具じゃない」


 その言葉に、息が止まる。


「誰かに管理されて、飾られて、生き方まで決められる道具じゃないでしょう」


 優しい声音なのに、胸の奥へ真っ直ぐ刺さってくる。


「貴女は、一人の人間だ」


 駄目だった。


 その言葉は、あまりにも温かすぎた。


 ずっと押し込めていたものが、壊れそうになる。


「……っ」


 視界が滲む。


 慌てて顔を伏せた。


 泣いてはいけない。


 神子が人前で涙を見せるなど。


 なのに。


「……なんで」


 ぽたり、と。


 膝の上へ雫が落ちる。


 止まらない。


 リュシエンヌ自身、こんな風に泣いたのはいつ以来かわからなかった。


「なんで、そんなこと言うんですか……」


 苦しい。


 優しくされるほど、苦しい。


 知らなければよかった。


 こんな温度。


 こんな風に、自分を見てもらえること。


 ルヴァルトは何も言わなかった。


 ただ静かに、自分の上着を彼女の肩へ掛ける。


 春風が吹く。


 花びらが揺れる。


 そして彼は、穏やかな声で言った。


「もっと早く会いたかった」


 その一言で、リュシエンヌの涙は余計に止まらなくなった。






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