第2話:神殿に通う公爵令息
それから三日後。
「……また来たんですか」
リュシエンヌは、中庭へ現れた青年を見て静かに言った。
白い花々に囲まれた石畳の上。
昼下がりの柔らかな陽射しの中、ルヴァルトは平然とした顔で立っている。
「ええ」
「昨日も来ましたよね」
「来ました」
「一昨日も」
「来ていますね」
悪びれる様子が一切ない。
リュシエンヌは小さくため息をついた。
「今日は何のご用件でしょう」
「寄進についての相談です」
「昨日も聞きました」
「追加です」
「……その追加は毎日必要なのですか?」
「神殿は大切ですから」
絶対に嘘だった。
そもそも大神殿には、王家と大貴族から十分すぎるほど資金が流れている。
追加相談など必要あるはずがない。
だが、神殿側も相手が公爵家嫡男では無碍に扱えないらしく、結局毎回通されてしまっている。
「少しは警戒してください」
「していますよ」
「どこがです」
「ちゃんと毎回理由を考えて来ています」
「そこじゃありません」
思わず即答してしまい、リュシエンヌは口を閉じた。
ルヴァルトが小さく笑う。
「今日は少し話してくださいますね」
「……あなたが妙なことばかり言うからです」
「それは光栄です」
何が光栄なのかわからない。
この人は調子が狂う。
神殿に来る貴族たちは皆、神子である彼女に傅き、慎重に距離を取る。
なのにルヴァルトだけは違った。
近すぎる。
自然すぎる。
まるで最初から、“特別な存在”だと思っていないみたいに。
「座っても?」
「……どうぞ」
許可すると、彼は当然のように隣へ腰掛けた。
近い。
騎士らしい硬質な香りと、微かに風の匂いがする。
リュシエンヌは無意識に身体を強張らせた。
「神子様」
「なんでしょう」
「そんなに緊張しなくても、襲いませんよ」
「――っ!?」
思わず勢いよく彼を見る。
ルヴァルトは真顔だった。
「……最低です」
「失礼。ですが、警戒されすぎると少し傷つきます」
「自業自得では?」
「否定はしません」
さらりと言われると、怒る気力もなくなる。
リュシエンヌは眉を寄せながら視線を逸らした。
すると、不意に小箱が差し出される。
「お土産です」
「……なんですか、これは」
「王都で人気の焼き菓子らしいです」
「らしい?」
「女性騎士たちが騒いでいたので」
つまり、自分で調べたわけではないらしい。
リュシエンヌは箱を見つめる。
薄いクリーム色の包装紙。
金色の紐。
可愛らしい。
「食べませんか」
「……神子は、口にする物にも制限があります」
「では確認を取ります」
「そこまでしなくても」
「確認が取れたら食べてくださるんですか?」
「…………」
ずるい聞き方だ。
断りづらい。
黙り込んだ彼女を見て、ルヴァルトはまた少し笑った。
「そんなに困らせるつもりはないんですが」
「十分困っています」
「でも、嫌そうではない」
その一言に、リュシエンヌは息を止めた。
図星だった。
嫌ではない。
むしろ――。
彼が来る時間を、少しだけ気にしている自分がいる。
その事実に気付きたくなくて、リュシエンヌは静かに俯いた。
すると。
「神子様」
低い声が、すぐ近くで響く。
顔を上げれば、ルヴァルトの灰青の瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。
「貴女、無理して笑っていますよね」
まただ。
この人は、どうしてそんなことばかり言うのだろう。
「……意味がわかりません」
「笑い方が綺麗すぎる」
「褒めてませんよね、それ」
「ええ。作り物みたいだ」
胸が、少し痛んだ。
リュシエンヌは長い間、“神子らしく”あることだけを求められてきた。
美しく。
穏やかで。
完璧で。
そうしていれば、誰も失望しないから。
なのに彼は、それを簡単に見抜いてしまう。
「……あなたは」
気付けば、口にしていた。
「どうして、そんなに私を見ようとするんです」
神子ではなく。
役目でもなく。
リュシエンヌ自身を。
ルヴァルトは少しだけ目を細める。
「放っておけないからです」
「同情ですか」
「違います」
即答だった。
「俺が知りたいと思った」
あまりにも真っ直ぐで、リュシエンヌは言葉を失う。
こんな風に言われたことなど、一度もなかった。
誰かが“自分自身”に興味を持つなんて、考えたこともなかったから。
その時だった。
「――神子様」
鋭い声が中庭へ響く。
振り返ると、神官長が立っていた。
年老いた男の視線は、明らかに冷たい。
「長時間のお引き止めは、お身体に障ります」
「……問題ありません」
「ですが、神子様は特別なお立場です。特定の殿方と親しくするなど、誤解を招きかねません」
空気が変わる。
神殿特有の、息苦しい圧力。
リュシエンヌの指先が僅かに冷えた。
――やはり、こうなる。
神子は誰のものでもあってはならない。
それが神殿の掟。
ルヴァルトは神官長を静かに見た。
「私は正式な許可を得て訪問していますが」
「必要以上の接触は控えていただきたい」
棘のある言い方だった。
だがルヴァルトは怒らない。
代わりに、ふっと笑った。
「それは神殿の意向ですか」
「当然でしょう」
「……なるほど」
何を考えているのかわからない声音。
リュシエンヌはなぜか、不安になる。
するとルヴァルトは立ち上がり、彼女へ視線を向けた。
「今日は帰ります」
「…………」
「ですが、また来ますよ」
神官長の前で、わざとそう言った。
老人の顔が僅かに歪む。
そのまま去っていく背中を見送りながら、リュシエンヌは胸の奥がざわつくのを感じていた。
困るはずなのに。
来ないでほしいと思うべきなのに。
どうして少しだけ、“また来る”という言葉に安心してしまったのだろう。




