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神殿の花は、公爵令息に攫われる  作者: あめとおと


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第1話:神託は、恋を禁じていた



 鐘の音が、静かに王都へ響いていた。


 朝焼け色に染まる空の下、白亜の大神殿は今日も変わらず荘厳で、美しく、そして冷たい。


 長い回廊を、一人の少女が歩いていく。


 雪のような銀髪。

 透けるほど白い肌。

 光を宿した金色の瞳。


 王国に仕える“神子”。


 リュシエンヌ。


 彼女が通るたび、神官たちは頭を垂れる。


「おはようございます、神子様」

「本日の神託の儀、準備が整っております」


 敬意。

 崇拝。

 畏怖。


 向けられるのはいつも、そういう感情ばかりだった。


 誰も、彼女自身を見ようとはしない。


 ただ、“神に愛された存在”として扱うだけ。


「……ええ」


 リュシエンヌは小さく頷き、淡々と歩き続ける。


 幼い頃から、そうして生きてきた。


 十歳で神託を受けて以来、家族と離され、神殿へ迎え入れられた。


『この娘は、神の光を宿す』


 その言葉で、彼女の人生は決まった。


 神子は清らかでなければならない。

 私情を持ってはならない。

 誰か一人を特別に愛してはならない。


 だからリュシエンヌは、“感情”を押し殺す術だけを覚えて育った。


 嬉しくても笑わない。

 悲しくても泣かない。


 そうしていれば、苦しくないから。


     ◇


 神託の儀を終えた頃には、昼を回っていた。


 神殿の奥にある中庭は静かで、リュシエンヌが唯一、少しだけ息をつける場所だった。


 白い花々に囲まれた石造りの庭園。


 噴水の水音を聞きながら、彼女はそっと目を閉じる。


「……ここにいましたか」


 低い男の声に、リュシエンヌはゆっくり目を開けた。


 そこに立っていた青年を見て、わずかに目を瞬く。


 濃紺の騎士服。

 長身。

 夜色の髪。


 そして鋭い灰青の瞳。


 王国騎士団副団長にして、公爵家嫡男。


 ルヴァルト・エインズワース。


「ルヴァルト卿」


「突然申し訳ありません。王宮より、遠征前の安全祈願をお願いしたく」


 形式的な言葉。

 だが、彼の視線だけが妙に真っ直ぐだった。


「……わかりました。明日の朝、礼拝堂へ」


「ありがとうございます」


 本来なら、それで終わるはずだった。


 けれどルヴァルトは立ち去らない。


 静かな沈黙が落ちる。


 リュシエンヌは少し眉を寄せた。


「まだ何か?」


「ええ」


 彼は躊躇いなく答えた。


「貴女は、いつもそんな顔をしているんですね」


「……そんな顔?」


「泣くのを我慢しているような顔です」


 心臓が止まりかけた。


 今まで、そんなことを言った人はいない。


 神官も。

 貴族も。

 王族でさえも。


 誰も彼女の“中身”には触れなかった。


 神聖で、美しい神子。


 求められるのは、それだけだった。


「……失礼な方ですね」


 ようやくそれだけ返すと、ルヴァルトは小さく笑った。


「そうでしょうか」


「私は困ってなどいません」


「なら良かった」


 そう言いながら、彼はどこか納得していない顔をしている。


 リュシエンヌは居心地の悪さを覚えた。


 この男は危険だ。


 まるで当然のように、踏み込んでくる。


 神子としてではなく、“リュシエンヌ”を見ようとしてくる。


 そんな人間、今までいなかった。


「……用が済んだのなら、お戻りください」


「はい」


 ルヴァルトは素直に頷く。


 だが去り際、不意に振り返った。


「貴女は少し、人間らしい顔をした方が綺麗だ」


「――っ」


 言葉を失う。


 その隙に、彼は軽く一礼して去っていった。


 残されたリュシエンヌは、しばらく動けなかった。


 胸の奥が、妙に騒がしい。


 落ち着かない。


 こんな感覚、知らない。


「……人間らしい、顔……?」


 呟いた声は、ひどく頼りなかった。


 神子は、特別な存在でなければならない。


 感情を持ってはいけない。

 誰かに心を許してはいけない。


 なのに。


 彼の言葉だけが、どうしても頭から離れなかった。


     ◇


 その夜。


 神殿最上階の自室で、リュシエンヌは一人、窓辺に立っていた。


 王都の夜景が遠くに見える。


 静かな月夜だった。


 ふと、昼間の言葉を思い出す。


『泣くのを我慢しているような顔です』


「……変な人」


 ぽつりと零した瞬間。


 鏡に映った自分が、ほんの少しだけ笑っていることに気付いた。


 その顔を見た途端、なぜか胸が苦しくなる。


 知らなかった。


 こんな風に、誰かの言葉一つで心が揺れるなんて。


 神子は恋をしてはいけない。


 それは、神殿で最初に教え込まれる掟。


 けれど――。


 リュシエンヌはまだ知らない。


 今日の出会いが、自分の人生を大きく変えてしまうことを。






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