高次なる者への誓約
四桁たす四桁の符牒は、北部国軍の幕僚部直通符牒…… 最初の四桁で、『九』から始まる符牒は確か…… 特務秘匿命令に対して付与される番号だ。 後ろの四桁で『〇』から始まるのは……最優先。 秘匿符牒自体が、緊急時に展開される一連の作戦を規定している筈なのだが…… 既に『我が子』を『我が佳き人』が、探索作戦中に宿した事が判明した時に発令される、独立した最上位軍令として設定されていただと?!
『砦』の研究室での歓談の席で、ほろ酔いとなった朋の姿を思い出した。 そうだ、その時に朋は口にしたのだ。 酔ってはいたが、冗句とは思えぬ朋の真剣な声音と、表情が瞼の裏に浮かび上がる。 北部辺境域の安寧を司る『太夫』として、何より、私を朋と呼ぶ漢として…… 重く、決意に満ちた言葉だったのだ。
“この倖薄き北部辺境域に於いて、我等が『光』を失う訳には行かない。 貴様と『貴様の佳き人』は 北部の安寧の為に、王国の…… いや、この地に生きとし生ける者達にとって未来そのものなのだ。 この倖薄き地に、『光』を繋ぐ事は、私の使命なのだ。 貴様の子こそ、次代の北部辺境伯なのだ。 頼む…… 頼んだ…… この倖薄き地に『光』を齎してくれ”
そうか。 ……朋もまた、『望んで』くれていたのか。 私を実現不可能な『仮継嗣』として宰相府に登録したのは…… この為でもあったのか。 単純な事なれど、その実現には複雑な制度を『躱し』『逸らし』『抜け穴を通す』為だったのかと、今、初めて理解した。 すまない…… 朋は、愚物たる私に、この様な巨大な恩寵を注いで下さる。 ならば、私は……
「皆、頼んだ。 私は…… この秘匿命令を知らない。 私より高位の方々が発令した秘匿命令であり『機密軍令』なのであろう。 発令元は北部王国軍最高指揮官殿と北部辺境女伯殿と推測する。 下位の指揮官職の私には、この軍令を覆す権限権能を有していない。 また、上位者が発令した軍令に抗命する事は、北部王国軍に所属する私には出来ない。 君達の意見や進言を受ける覚悟はあったが、よもやこのような秘匿命令が既に発令していたとは思いもしなかった。 が、私は嬉しい。 秘匿命令まで発令して、私と『我が佳き人』の間に宿った『命』に対し、最大限の配慮がなされていた事に。 よって、この命令に対し速やかで確実な実行を私は望む」
「「「「 ハッ、お任せあれ!! 」」」」
皆が敬礼を差し出し、強い意志の力をその瞳に宿す。 答礼を差し出し、彼等の献身に感謝の意を差し出す。 心の交歓でも有る。 しかし、その中で一人…… 釈然としない面持ちで私を睨みつけている者が居た。 我が佳き人。 “何時、何時までも、何処までも“ と『婚姻の誓約』を交わしたのだから、君の気持ちは痛いほどわかる。 どの様な状況に於いても、私から離れはしないと云う意思は知って居る。 しかし、その誓約には一つ抜け穴が有るのだ。 私と君の間に天より授けられた命が宿った時、君は君だけのモノでは無くなったのだ。
北部辺境域の次代を宿しし『母体』は、個人の誓約を上回る義務を生じる。 天より授けられる『健やかなる子を産む』と云う崇高な使命が、課せられるのだ。 だから…… 分かって欲しい。 軍令も又、頑なな君への配慮だと思う。 軍に所属する者にとって、軍令は違えられない命令でも有る。 死ねと言われれば、死なねば成らないのだ。 と、同時に『生きよ』と命じられれば、万難を排し『生還せねば』成らないのだ。
秘匿命令の発令者は、君が何の支障も無く領都に帰還する事を強く希望しているのだから。
「我が佳き人。 君は…… 納得していない『顔』をしている」
「勿論です。 こんなの…… こんな軍令……」
「認めねばなるまい。 そして、私は君に感謝を述べたい。 子を宿してくれて、ありがとう。 本当にありがとう」
「し、しかし、あの鬼人の言う事など、信じても良いのでしょうかッ!! 眉唾ものでは御座いませんかッ!」
「彼が私に嘘を言う事に利益は何もない。 よしんば、見当違いであったとしても、可能性が僅少でもあれば、私はその可能性を重要視する。 君は私の帰るべき場所。 その上、我が子を宿したと云う可能性あらば、極個人的な思惑ではあれど…… 君の夫として君に願うよ。 どうか、どうか、帰還の途に付き、君が護られる場所へと、その身を移して欲しい」
「……ずるい ……言い方ですね」
「分かっている。 分かっているが、心の奥底からの願いだ」
「一つ…… お約束をして結んでほしいと思います。 善処では無く、信奉する神への誓約を」
「何だろうか?」
「還って来て下さい。私の元に。 私は欲深な女なのです。 私が見えない場所で決して逝かないで下さい。 貴方が彼岸に渡るとき、わたくしも同道いたしますのでッ! 共に逝きますのでッ!!」
「……善処 では済まないな。 分かった。 誓約するよ、『この探索行』では、必ず君の元に帰還すると、神に誓約申し上げる。 艱難辛苦を乗り越えて、必ず君の元へと」
「……絶対ですよ?」
「善処する」
「もう……」
我が佳き人の顔に苦笑が浮かぶ。 納得は出来ないが、何処かに落とし込む必要が有る事柄。 落とし所と私が差し出す誓約に求めたと云うのだろう。 私は屑で、愚物で、どうしようもない漢だ。 愛する者へまともに報いる事さえできない。 護るべき者に護られているのだ。 神からこの世界に罰として落とされ、今一度自分自身を見直せとそう言われる程の愚か者でも有る。 だから…… だからこそ、護りたい人を護れるのならば、私の全てを掛けて護らねば成らない。 私はかけがえのない者を得たのだ。 だからこそ、私は強靭な意思を持たねば成らぬのだ。 我が身を顧みず、自身の命を糧に前に突き進む事は…… 特化できなくなった。 私の帰還が義務付けられたのだ。
我が佳き人との『約束』は絶対にして、神に奏上する『誓約』と成った。
そうか…… 辺境の漢が善き伴侶を得た時には、しぶとく、強く、折れず、曲がらぬ、強かで粘り強い漢となるとは…… こういう意味だったのか。 父上が強く成られたのは、現北部筆頭騎士爵様が御生まれになってからだと仄聞する。 おお兄様も、ちい兄様も、御子を授かってから、一回りも二回りも強き辺境の漢と成られた。 ……ストンと腑に落ちた。 私は、『我が佳き人』に今まで生きて来て、誰にも向けた事の無い笑顔を向けて、大きく一つ頷いた。
——— 誓約は、護るよ。
必ず、必ずだ。
私は、君の元に帰る。
——— あぁ、絶対にだ ———




