閑話 王城の思惑
宰相府にて、王太子殿下の巡幸に関しての最終報告書が提出された。 勿論、表向きの上奏は、巡幸終了後直ぐ王太子殿下により国王陛下に奉じられているが、それはあくまでも王太子殿下が見聞し実行した施策のみに関しての『上奏』でも有った。 つまり、この最終報告書は、周囲が思索し実行した様々な『王太子教育』への評価結果とも云える。
宰相閣下は、最近使い始めた方眼鏡に繋がるチェーンを弄びながら、酷く黒く深い嗤いを浮かべる。
視線の先の報告書は、如何に王太子殿下が苦労したかの、詳細な報告があった。『事象』を選んだのは宰相閣下ではある。そして、それを『設問』という名の現象に落とし込んだのは軍務卿継嗣であった。
宰相閣下により『王国の闇の部分』にも精通する様に鍛えられた軍務卿継嗣は、最終報告書を書き上げ、宰相閣下と対峙している。
細い窓から外部の光が宰相府に差し込んでは居る。本来ならば春の到来とともに、暖かな筈であった。 しかし、宰相府執務室の大部屋は薄ら寒いとも云える。 人が集う場所としての温かみが、一切合切『欠如』していると云っても良い。 巨大な宰相専用の執務机で、ただ沈黙を以ってその報告書をざっくりと読んだ宰相閣下は、冷徹な口調と共に言葉を紡ぎ出した。
「評価基準は事前に評定した通りなんだな?」
「その様に」
「それで、この評価か…… まぁ、良くやったと云える…… か?」
「評価基準が厳しすぎるのでは?」
「国王陛下が王太子殿下の砌には、こんなもんじゃ無かったぜ? あっちこっちに燻りでは無く、実際に火の手が上がっていたんだ。叩き潰すにしても、後の事を考えにゃならんし、同時多発なんざ日常茶飯事だ。 こんなお行儀よく並んで発生したりしねぇんだし、制御下に置かれても居ねぇ。 あんときゃ、死ぬかと思ったぜ」
「宰相閣下…… 超人である皆様方と比べんでください」
「誰が超人だ。 誰が。 高位貴族達より以上に努力と研鑽を積んだ、蒼き血の持ち主たる国王陛下が、その全身全霊を捧げ国体を護らんが為に奔走されただけだ。まぁ、その周りも必死だったがな。云う事を聴かねぇ爺共を説得するのに骨が折れたが…… ただ、それだけだ。 陛下はな、“十全に能力を行使し、以て国民の生命と財産を護る事が国王の国王たる責務”だと、看破されておられたのよ。 まぁ、外道の所業もちょっとは有るがな…… それも又、必要だったんだよ、そん時はな。 でもよ……」
「御宸襟の根底には、民への無限の慈悲の心…… ですかね」
「王妃陛下と共に戦野を駆け巡られた国王陛下は、視んでも良い善良で無辜の民の死を見つめ続けられたんだ。そうなって、然るべきだぜ。まぁ、周囲も怠けようとする国王陛下に、その時の情景を思い起こさせるように仕向けたんだがな」
一層、黒い嗤いを浮かべる宰相閣下。やりきれない表情を浮かべ、その表情を伺う軍務卿継嗣。僅かに視線を逸らし、陽光が差し込む長窓を視た。 その先に無名兵士の国家墓所が垣間見られる。 そういう事だ。 薄暗く薄ら寒い宰相府執務室の中から、唯一望める春の気配だったからもしれない。未来への希望の光を見ていたのかも知れない。
「ちょっとこっちへ来い」
宰相閣下に誘われ、執務室の脇にある小部屋に通される。既に王太子殿下の評価には、毛ほども興味を失ったかのような振る舞いに、軍務卿継嗣は鼻白む。詳細を纏め、評価を絞り出すのにかかった時間を思えば、あまりにも軽く扱われていると、そう感じてしまったからだ。
だが、直属の上司であり国王陛下がお認めに成っている、国権政務実行者の最高指揮官である宰相閣下には反駁は許されない。
そんな事が出来る高位貴族は居ないのだ。軍務卿継嗣は、宰相閣下のこういう所が今一つ理解出来ない部分でも有った。 理解出来ない点はまだいくらでも有る。ほろ苦い笑みが彼の頬に浮かび上がるが、其の笑みを宰相閣下は認め、片眉を大きく跳ね上げるに留めていた。
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通された小部屋に於いて、着席を認められた軍務卿継嗣。黒く嗤う宰相閣下を前に、何も言う言葉は無い。小部屋には窓は無い。寒々とした設えは心すら寒くさせる。この部屋で、王国の為に成される様々な策謀が立案された場所だと思えば、部屋に沁みつく権謀術策の『残り香』が、薄ら寒さを助長しているかのようだった。
『人の悪しき面』を凝縮したかのような場所。
しかし、王国の安寧の為に、必要不可欠な場所。貴族社会の『策謀と思惑』と国家運営に関わる『権謀術策』。 優雅に暮らす『表舞台』で暮らす貴種貴顕から見れば、この場所は敢えて目を向ける様な場所では無かった。そんな薄暗がりの中に誘われると云う事は、『人の悪しき面』を強く意識させる場所でも有る。自分では公明正大であり表を歩んで居る者として認識している軍務卿継嗣は、この部屋の中に入る事が苦行とも云える。
彼は心の中で愛妻を思い出し、妻との生活を護る為には必要な事だと諦観を抱いた。そう、これも喰う為なのだ。全ては生き残る事に集約しているのだと、自身の心を欺いた。
これから始める会話の内容に思いを馳せる素振りを見せながらも、無表情を貫く軍務卿継嗣を興味深く見詰めながら、宰相閣下はおもむろに言葉を紡ぎ始める。 宰相閣下にしては珍しく、好意的な評価を口にしつつ、会話は始められた。その裏側の思惑を思うと、軍務卿継嗣は胸が少し悪くなる。
「まぁ、お前ぇも良くやったぜ。 それは認めてやる。でもよ、一人きりじゃ今後の国家運営には支障が出る。王太子殿下は善き国王となる素質は有るが、そうなるには時間が必要だ。その間は臣下である者が、支えにゃならねぇ。その一人がお前ぇだ。それは、間違いねぇ。ただし、一人では荷が勝ちすぎる。お前ぇは表に出るべき『顔』だ。裏側に潜む『刃』が必要だ。それでだ……」
軍務卿継嗣は驚く。この宮廷狐が自分に気を使っていると云う事実に猜疑心が生まれる。常に試練を課し、王太子殿下の成長の為に策謀を強要する御仁が、その手足となっている自身に『説明』すると云う事実に……
”ならば” と、思う。 実直な言葉には実直な言葉を返さねば成らない。信を置くと云う事は、信を返さねば成らない。 依って軍務卿継嗣は表情を引き締め、心に有るある種の警鐘を素直に口にした。
「北辺のアレは…… 『蒼狼』は……。
アレは…… 危険だ」




