第9話 あと三撃
一斉起動まで、あと五十九時間。
「剣を置け、アレン。最後の警告だ」
アルドの声が、旧検査工房の暗がりに響いた。
上階の回廊。奥の出入り口。外へ続く階段。
どこを見ても、重い鎧を着た回収隊員がいた。
逃げ道はない。
ルノアは、三枚の製造履歴板が入った検査鞄を胸へ抱いた。
これを奪われたら、兄の記録も、E-731を止める手がかりも失われる。
「三十秒だけください」
ルノアは、灯りの消えた解析機を指した。
「この履歴板を読めば、三年前の判定が書き換えられたと分かります」
「認められない」
アルドは即座に退けた。
「お前たちは回収対象の武具と記録を持ち、立入禁止区域へ入った。これ以上、対象物へ触れることは認めない」
「司令部へ持ち帰れば、ゲイツに記録を消されるかもしれません!」
アルドの目は揺らがなかった。
「その疑いも含め、判断するのは軍司令部だ。今は引き渡せ」
アルドが片手を上げる。
回収隊員たちが、一斉に間合いを詰め始めた。
「ルノア」
前へ立つアレンが、振り向かずに尋ねた。
「記録を出すまで、何秒必要だ?」
「……三十秒です」
アレンが制式剣を横へ倒した。
「診てくれ」
ルノアは検査槌を抜き、鍔元へ一度だけ振り下ろした。
チィン――。
音は伸びず、途中でかすれて消えた。
E-731のような、一拍遅れた濁音ではない。何度も戦いを経た鋼の内部に、疲労がたまっている音だ。
「強い衝撃に耐えられるのは、あと三回です」
「その三回で、三十秒稼げばいいんだな」
「……お願いします」
「任せろ」
アレンが剣を立てた。
ルノアは走った。
背後で、アルドの命令が飛ぶ。
「二人を拘束しろ! 殺すな!」
鉄靴が一斉に石床を蹴った。
ルノアは解析機の前へ滑り込み、検査槌の共鳴核を非常用端子へ押し込んだ。
解析機の奥で、青白い光がまたたく。
光が弱い。
起動が遅い。
背後から、剣が空気を裂く音が迫った。
ルノアは振り返らない。
検査鞄からジークの製造履歴板を取り出し、読み取り口へ差し込む。
カチリ。
《読取中》
まだだ。
「どけ!」
隊員の怒声。
続けて、金属同士がぶつかった。
ギィン!
ルノアの肩が跳ねた。
一回。
隊員が突き込んだ槍の後端を、アレンが剣でそらした。
槍はルノアの横を通り過ぎ、壁から天井へ斜めに伸びる鉄の支柱、その留め金へぶつかった。
鋭い音とともに、錆びた留め金がひしゃげる。
小さな金具が一つ、ルノアの足元へ転がった。
まずい。
そう思った直後、水晶盤に文字が浮かんだ。
《製造時精密検査――内部亀裂あり》
《初回判定――使用禁止》
「アルドさん!」
ルノアは振り返った。
「最初の判定は《使用禁止》です!」
アルドの視線が、一瞬だけ水晶盤へ動いた。
だが、隊員たちは止まらない。
一人がアレンの横を抜け、ルノアへ迫る。
ルノアは後ろへ下がり、次の記録を開いた。
際どいところで、アレンが二人の間へ滑り込む。
隊員の剣が振り下ろされた。
アレンは刃をかわし、相手の鍔を狙って制式剣を打ち込んだ。
ガキン!
二回。
隊員の剣が、手から弾き飛ぶ。
同時に、アレンの制式剣の鍔元へ、細い亀裂が走った。
あと一回。
ルノアは乾いた喉をのみ込んだ。
水晶盤へ、次の文字が現れた。
《判定変更――異常なし・使用可》
《変更方法――手動上書き》
「《使用禁止》が、人の手で《使用可》に変えられています!」
水晶盤に、新しい項目が浮かぶ。
《最終承認者――読出中》
まだ名が出ない。
解析機の古い回路が、チチ……と警告音を立てた。
止まらないで。
ここまで来て、止まらないで。
ルノアは共鳴核を端子へ強く押しつけた。
その時、頭上で金属がきしんだ。
ギギィ……。
先ほど槍がぶつかった留め金が、音を立てて外れる。
斜めに固定されていた鉄の支柱が、若い回収隊員めがけて倒れ始めた。
だが、若い隊員はアレンに気を取られ、頭上の異変に気づいていない。
「上です!」
ルノアの叫びに、アルドが頭上を見た。
すぐに若い隊員へ駆け寄り、その身体を横から力いっぱい突き飛ばす。
若い隊員は石床を転がり、支柱の真下から逃れた。
だが、アルドは突き飛ばした反動で体勢を崩し、若い隊員がいた場所へ倒れ込んだ。
アルドの頭上へ、鉄の支柱が迫る。
「隊長!」
若い隊員の叫びが響く。
アレンは迷わなかった。
残された、最後の一撃。
床を蹴り、倒れたアルドのもとへ飛び込む。
アレンの制式剣が、落ちてくる支柱の先端を横から打った。
ガァン!
支柱の先端が横へそれ、アルドの肩当てをかすめた。
バキリ。
アレンの剣が、鍔元から折れる。
折れた刀身が石床の上を滑り、ルノアの足元で止まった。
同時に、水晶盤が強く光った。
《手動上書き・最終承認者――ゲイツ》
折れた刀身が回る音だけが、長く工房に残った。
今度は、ルノアとアレンだけではない。
アルドも、その部下たちも、同じ名を見ていた。
「……全員、止まれ」
アルドの声だった。
剣を構えていた回収隊員たちが、一人ずつ動きを止める。
アルドはアレンの方を見なかった。
水晶盤に浮かぶゲイツの名を、じっと見つめていた。
「その履歴板から手を離せ」
ルノアの胸が締めつけられる。
やはり、信じてもらえないのか。
しかし、アルドが続けて命じた相手は、部下たちだった。
「回収隊の供給器に切り替えろ。原本から、もう一度読み出す」
ルノアは息を止めた。
アルドが、ようやくルノアを見る。
「俺自身が確かめる」
ルノアは共鳴核を外し、解析機から一歩下がった。
回収隊員が携行用の魔力供給器をつなぐ。
アルドは手袋を外し、ジークの製造履歴板を自分の手で読み取り口へ差し込んだ。
同じ記録が、再び一行ずつ現れる。
《内部亀裂あり・使用禁止》
《手動上書き・異常なし・使用可》
《最終承認者――ゲイツ》
《使用者からの再検査要請》
《対応――現物再検査なし》
アルドは最後まで読み終えると、履歴板を静かに外した。
「E-731との関係は?」
ルノアは、ギルバートの聖剣とミラの聖弓の履歴板を差し出した。
今度は隊員が受け取り、一枚ずつ解析機へかける。
《製造ロット――E-731》
《製造工程――聖核接合短縮工程・第四番》
盾、剣、弓。
形の違う三本の線が、水晶盤へ重なった。
それぞれの形は違う。
それでも、すべての線に、第一波から同じ間隔で濁った第二波が現れていた。
「兄の盾とE-731は、別の武具です」
ルノアは、歪みが重なる場所を指した。
「それでも、同じ短縮工程で作られ、同じ間隔で濁った第二音が返っています」
それ以上、ルノアが言葉を重ねる必要はなかった。
アルドは水晶盤と三枚の履歴板を見比べ、部下たちへ命じた。
「全物証を封印する。一点ずつ分けろ」
ジークの盾の破片。
三枚の製造履歴板。
ギルバートの聖剣と、ミラの聖弓。
ルノアの検査帳。
隊員たちがそれぞれを包み、王立武具回収隊の封を施す。
アルドは受領記録へ自ら署名した。
「この封は、俺の立ち会いなしには開けさせない。ゲイツ部門長であってもだ」
ルノアは、ようやく息を吐いた。
それでも、すべてが終わったわけではない。
アルドは二人へ向き直った。
「お前たちをこの場で解放することはできない。軍令違反については、別に審査を受けてもらう」
アルドは、封印された物証へ目を向けた。
「ただし今は、この記録について証言する重要証人として、俺の責任で王都へ移送する」
アレンはルノアの足元へ歩み寄り、折れた制式剣を拾った。
一人の隊員が止めようとしたが、アルドが片手で制した。
アレンは刀身と柄を布の上へ並べ、丁寧に包んだ。
「いい剣だった」
「はい」
ルノアは、折れた剣を見つめた。
「最後の一撃まで、応えてくれましたね」
二人の手は縛られなかった。
しかし、乗せられた馬車の前後は、王立武具回収隊に固められている。
馬車の中央には、封印された物証の箱が置かれていた。
アレンは折れた剣を膝へ載せ、何も言わない。
ルノアも、箱に施されたアルドの封を、じっと見つめていた。
馬車は旧街道を、夜通し走り続けた。
やがて夜が明け、朝霧の向こうに王都の外壁が姿を現す。
王都を離れた時、二人の手にあったのは疑いだけだった。
今は、ゲイツの名が残された証拠が、同じ馬車に載っている。
一斉起動まで、あと四十八時間。
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