第8話 不合格を合格にした者
旧北方詰所を出てから、馬で半日。
王都の聖武具が一斉起動されるまで、あと六十時間。
ルノアとアレンは、王都北部の林に残る旧王立検査工房へたどり着いた。
三年前、検査部門は王都中心部の新工房へ移された。古くなった建物と設備は、そのままここに残されている。
門には、《立入禁止》と書かれた板が打ち付けられていた。
アレンが少し持ち上げると、腐った板はあっけなく外れた。
二人は馬を林の奥へ繋ぎ、荷馬から二つの木箱を下ろした。
一つにはギルバートの聖剣。
もう一つにはミラの聖弓が収められている。
どちらも、今、王都で一斉起動されようとしているE-731の聖武具だ。
アレンが木箱を抱え、ルノアは先に工房へ入った。
中は暗く、ほこりと古い油の匂いがした。
机の上には、検査器具が置かれたままになっている。
ルノアは工房の奥へ進み、壁際の大きな機械の前で足を止めた。
人の背丈よりも大きな黒い箱。中央には、文字を映すための水晶盤がはめ込まれている。
旧式の魔導解析機だ。
ルノアは水晶盤を拭った。
「兄さんの《製造履歴板》は、ひどく損傷しています。残った記録を復元できる旧式解析機は、もうここにしかありません」
「動くのか?」
「動かします」
工房の動力は、とっくに止まっている。
ルノアは検査槌を取り出し、柄に埋め込まれた共鳴核を、解析機の非常用端子へつないだ。
「検査槌の魔力を使うのか」
「ほんの少しだけです。回路が生きていれば、一度は読めます」
ルノアが共鳴核へ指を添える。
ブウゥン……。
低い音とともに、解析機の内側へ青白い光が走った。
水晶盤の奥で、曇った光が何度か明滅する。
そして、ひとつの文字が浮かび上がった。
《読取可》
ルノアは息をつき、兄の聖盾から取り出した真鍮の板を、読み取り口へ差し込んだ。
カチリ。
水晶盤の中で光が流れ、記録が一行ずつ現れ始めた。
《装備種別――北方防備隊用聖盾》
《使用者――ジーク・フェルト》
「兄さんの盾で間違いありません」
ルノアの指が、水晶盤の下へ進む。
次の記録が開いた。
《製造時一次検査――遅れ濁音あり》
ルノアの手が止まった。
「遅れ濁音……」
「旧詰所で聞いた、あの二つ目の音か?」
「はい。兄さんが使う前から、検査で見つかっていたんです」
さらに、次の一行が現れる。
《精密検査――内部亀裂あり》
その下に、検査官が出した判定が続いた。
《初回判定――使用禁止》
「不合格だったのか」
アレンの声が低くなる。
「はい。音だけではありません。亀裂まで確認され、《使用禁止》と判定されています」
ルノアは検査帳を開き、表示された文字を書き写した。
それで終わりではなかった。
水晶盤の下に、まだ光が残っている。
ゆっくりと、新しい文字が浮かんだ。
《判定変更――異常なし・使用可》
アレンが、水晶盤へ一歩近づいた。
「待て。たった今、亀裂があると出ただろう」
「その記録は消えていません。検査結果を残したまま、最後の判定だけが変えられています」
「誰かが、不合格を合格にしたのか」
その問いに答えるように、次の文字が点った。
《変更方法――手動上書き》
ルノアの喉が鳴った。
「機械の再検査で変わったんじゃありません。権限を持つ誰かが、手で《使用可》に書き換えたんです」
「その人間の名は?」
ルノアは承認記録を開こうとした。
しかし、水晶盤に浮かんだのは、《読出中》という文字だけだった。
「……時間がかかります」
ルノアは先に、残る記録を追った。
判定変更の後、聖盾はジークへ支給されていた。
その下に、新たな記録があった。
《使用者からの申請――異音あり・再検査要請》
《対応――現物再検査なし》
《回答――使用可判定を維持》
筆跡の残る聖盾の破片が、ルノアの胸によみがえる。
《異音あり・再検査要請》
兄が刻んだ言葉と、同じだった。
「兄さんは、ちゃんと訴えていた……」
ルノアの声が震えた。
「それなのに、誰も盾を調べなかった。記録の上で《使用可》をもう一度押しつけただけです」
三年前のあの日、兄の盾に欠陥があった。
それは、もう推測ではない。
検査した者たちも異常を知っていた。
そして、知った上で兄を戦場へ送った。
ルノアは拳を握り、次の項目を開いた。
《製造工程――聖核接合短縮工程・第四番》
「これは何だ?」
「聖核と武具の金属をなじませる時間を、規定より短くする工程です」
「急いで作った、ということか」
「はい。十分になじむ前に次の工程へ進めば、中に歪みが残ります」
アレンが、二つの木箱を見た。
「しかし、それは三年前の盾だ。E-731ではないんだろう?」
「はい。兄さんの盾とE-731は、別の武具です」
ルノアは、ギルバートの聖剣を見つめた。
「だから、ここで確かめます」
アレンが木箱を開けた。
ルノアはギルバートの聖剣から製造履歴板を外し、解析機へ差し込んだ。
《製造ロット――E-731》
《製造工程――聖核接合短縮工程・第四番》
同じ文字が現れた。
ルノアはミラの聖弓も読み込ませる。
《製造ロット――E-731》
《製造工程――聖核接合短縮工程・第四番》
やはり、同じだった。
ルノアは、三つの履歴板に残された検査時の音を、水晶盤に重ねて表示した。
盾、剣、弓。
形が違うため、音全体の形も違う。
それでも、三つの線は、ぴったりと同じ場所で小さく歪んでいた。
澄んだ第一音から、一拍遅れた場所。
濁った第二音だ。
「作る時に同じ工程を使い、同じ異常が残った……」
アレンがつぶやく。
「はい」
ルノアは、三年前の盾と、現在のE-731の記録を見比べた。
「兄さんの盾とE-731は、別の武具です。でも、同じ近道を使って作られ、同じ濁った音を残しています」
「つまり、偶然じゃない」
「はい。E-731の残り九十七点にも、同じ異常が潜んでいる可能性が高いです」
しかし、可能性だけでは、一斉起動を止められない。
九十七点すべてを、実際に検査する必要がある。
「だが、一点ずつ調べていたら間に合わないぞ」
「……待ってください」
ルノアは解析機に残る古い項目を、上から順に追った。
検査。
打診。
同期。
その一角に、見慣れない項目があった。
《同一ロット・共鳴一括検査》
ルノアがその項目を開く。
複数の聖武具へ、起動しない程度の弱い検査魔力を同時に流す。
そして、それぞれの武具から返る音を、一度に調べる方法だった。
「これなら……」
ルノアは検査鞄から書類筒を取り出した。
ミラから渡された、E-731一斉召集令の写しだ。
そこには、九十七点の聖武具を、王都大広場の《聖核同期台》へつなぐと書かれていた。
「この同期台は、一斉起動のためだけの機械じゃありません。この旧式手順を使えば、起動させずに、九十七点を一度に打診できます」
「全部から、あの二つ目の音が返るか確かめられるのか」
「はい。騎士たちの前で、実際に証明できます」
ルノアは検査帳の新しいページを開いた。
《同期番号》
《検査魔力量》
《打診間隔》
必要な三つの設定を、一文字ずつ正確に書き写していく。
その時、解析機が短い警告音を上げた。
チチ……。
水晶盤の光が、急に弱くなる。
「回路がもちません」
「止めろ、ルノア。槌まで使えなくなる」
「あと一つだけ」
ルノアは、最初から《読出中》のまま残っていた項目を見つめた。
不合格を合格に変えた、承認者の名。
水晶盤がまたたき、光の粒がゆっくりと文字の形を作っていく。
《手動上書き・最終承認者――》
そこで、一度、表示が途切れた。
ルノアは息を止める。
再び光が点り、最後の名が現れた。
《ゲイツ》
ルノアの思考が、止まった。
『検査では、結果を先に決めるな』
幼い頃に聞いた声が、耳の奥でよみがえる。
『槌に返ってきた音こそが、武具の事実だ』
その言葉を教えた人が、検査の結果を書き換えていた。
兄の訴えを退け、欠陥のある盾を戦場へ送った。
「……師匠」
ルノアはすぐに共鳴核を端子から外した。
解析機の光が消え、工房は再び暗闇に包まれる。
古い回路は焼け切れていない。製造履歴板の記録も、まだ残っている。
それでも、ルノアの手からは力が抜けた。
持っていた検査帳が傾く。
床へ落ちる直前、アレンが受け止めた。
「ルノア」
アレンは検査帳を返し、ルノアの肩へ手を置いた。
「今は、この記録を持ち帰ることを考えよう」
ルノアは、暗くなった水晶盤を見つめた。
信じていた人の名が、まだそこに残っているように見えた。
「……はい」
ルノアは三枚の製造履歴板を回収し、兄の盾の破片とともに検査鞄へ収めた。
その時、頭上から金属のぶつかる音がした。
ガシャン。
続けて、数え切れないほどの鉄靴が、工房の入口から流れ込んでくる。
アレンがルノアを背にかばい、剣の柄へ手をかけた。
「追手か」
暗闇の向こうで、魔導灯が一つ、また一つと点った。
上階の回廊。
奥の出入り口。
地下へ続く階段。
重い鎧で身を固めた兵士たちが現れ、退路を塞いでいく。
胸にあるのは、《王立武具回収隊》の紋章だ。
兵士たちの中から、アルドが一歩前へ出た。
「ルノア・フェルト」
低く、硬い声が響く。
「回収対象の聖武具と検査記録を引き渡せ」
アレンが剣を抜く。
アルドの視線が、その刃へ落ちた。
「退け、アレン」
アルドは自分の剣の柄へ手をかけた。
「抵抗すれば、お前も軍令違反として拘束する」
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