第10話 管理と選択
一斉起動まで、あと二十四時間。
「三年前、ジーク・フェルトの盾を《使用可》へ変えたのは私だ」
ゲイツは、軍司令官の前でそう言い切った。
王都へ戻ってから、丸一日。
アルドが封印した履歴板は、軍司令部付きの記録官によって再確認された。長机の鑑定書には、旧検査工房で読み出した記録に誤りはないと記されている。
「なぜ、判定を変えた」
軍司令官が尋ねる。
「北方防衛線へ魔獣が迫り、代わりの聖盾がなかったからです」
ゲイツの声に迷いはなかった。
「あの盾は、一度の戦闘なら耐えられると判断しました」
「その判断で、兄は死にました」
ルノアの声が、審理室を切った。
ゲイツの目が、わずかに動く。
「分かっている」
「いいえ。分かっていません」
ルノアは長机へ両手をついた。
「本当に分かっているなら、同じことを繰り返そうとはしないはずです」
ゲイツはルノアから目を逸らさなかった。
「今、同じ状況に戻ったとしても、私は同じ判断を下す」
胸の奥で、何かが強く軋んだ。
「今日もですか」
「そうだ」
ゲイツは長机の上へ、一枚の名簿を広げた。
九十七人の名と、支給されたE-731の番号が並んでいる。
「大侵攻は明日に迫っている。九十七点すべての代わりなど用意できない」
ゲイツの指が、名簿を叩いた。
「これを止めれば、九十七人分の戦力を失う。北門も、東壁も、守り切れなくなる」
「全部止めるとは言っていません」
「異常があると訴えながら、使わせるつもりか」
「使える条件を調べます」
ルノアは、ゲイツの目をまっすぐに見返した。
「まず一括検査で、九十七点に同じ異常があるかを確かめます。異常が出れば一斉起動の中止を求め、工房の検査官全員で一点ずつ限界を調べます」
「大侵攻までに終わると思っているのか」
「九十七点すべてを、大侵攻までに調べ終えられるとは言いません。それでも、一括起動で九十七点を同時に失うより、一点でも多く、使える状態で前線へ返します」
ゲイツは、九十七人の名を指でなぞった。
「では、危険を知った兵士が武具を置いたらどうする。九十七人が別々の判断を始めれば、部隊は動かない」
その視線が、アレンへ向く。
「百勇部隊を率いるはずだったお前なら、分かるはずだ」
アレンは答える代わりに、抱えていた細長い包みを長机へ置いた。
布を開く。
鍔元から折れた制式剣が現れた。
「この剣は、強い衝撃にあと三回耐えられた」
アレンの指が、折れた鍔元へ触れる。
「ルノアがそう教えてくれた。だから俺は、残された最後の一撃を選べた」
「一人の戦いと、軍は違う」
「違わない」
アレンは即座に返した。
「知らされなければ、最初の打ち合いで剣を失っていた。限界を知っていたから、必要な時まで残せた」
アルドが一歩、長机へ近づく。
「その一撃がなければ、私はここにいません」
ゲイツは、折れた剣とアルドを交互に見た。
「命令をするなとは言っていません」
ルノアは名簿の端を握った。
「でも、危険を隠して従わせるのは違います。通常武具へ持ち替えるのか、聖武具をいつ使うのか。彼らにも、自分の命の預け方を選ぶ権利があります」
「安全だと保証できるのか」
「できません」
審理室が静まり返った。
「ならば、私の判断と何が違う」
「私は、分からないものを《安全》とは言いません」
ルノアは、はっきりと答えた。
「完璧な武具はありません。使えば傷み、状態も変わります。だから、今どこまで使えるのかを伝えるんです」
「その結果、聖武具を止めて外壁が破られたら、お前が責任を負うのか」
「私一人で負える責任ではありません」
ゲイツの目が鋭くなる。
「だから、誰か一人が情報を隠し、九十七人の命を決めてはいけないんです」
ルノアは目を逸らさなかった。
「私は、使えるものまで止めません。壊れるものを《使用可》にもしません」
ゲイツの前へ、名簿を押し返す。
「欠陥を隠して使わせるか、九十七点すべてを捨てるか。選択肢は、その二つだけではありません」
ルノアは検査鞄へ手を添えた。
「私が調べます」
誰も、すぐには口を開かなかった。
軍司令官は鑑定書を読み返し、続いて九十七人の名簿へ目を落とした。
「一括検査の準備に、どれほどかかる」
「九十七点を揃え、同期台へつなぐまでに二十三時間」
アルドが答えた。
「検査は?」
「一打です」
軍司令官は命令書を引き寄せた。
赤い印肉へ軍印を押しつける。
「明朝九時、E-731全点を一括検査する」
軍印が、紙へ打ち下ろされた。
ドン、と重い音がした。
「ただし、共通する異常を証明できなければ、午前十時に予定どおり一斉起動を行う」
「司令官!」
ゲイツが声を上げる。
「原判定と正式記録に食い違いがある以上、再検査なしの起動は認められない」
軍司令官はゲイツを見据えた。
「E-731に関する貴官の単独決定権は、検査が終わるまで停止する」
続いて、ルノアへ視線を移す。
「ルノア・フェルト。復職を認めるわけではない。アルド立ち会いのもと、一度だけ検査操作を許可する」
「はい」
「証明できなければ、終わりだ」
ゲイツの低い声が届く。
ルノアは、かつての師を見返した。
「証明します。兄が聞いた音を、今度は全員に聞いてもらいます」
*
「八十四番、接続完了!」
「次、八十五番!」
王都大広場では、一晩中、怒号と足音が途切れなかった。
各地から届いたE-731が、次々と《聖核同期台》へつながれていく。
ルノアは認証された手順書を握り、技術員が入力する数値を何度も確かめた。
正規起動用の操作部には、軍司令官の封が施されている。
今、流せるのは検査用の弱い魔力だけだ。
「九十六番、接続完了!」
東の空は、すでに明るい。
あと一台。
遠くで、王都の鐘が鳴り始めた。
一つ。
二つ。
鐘が九つ鳴り終わるのと同時に、泥に汚れた軍用馬車が大広場へ飛び込んできた。
「最後の聖盾です!」
兵士たちが聖盾を運び下ろし、空いていた伝導線へ接続する。
技術員が端子を確かめ、大きく手を上げた。
「九十七番、接続完了!」
一斉起動まで、あと一時間。
大広場には、九十七人の騎士が並んでいた。
全員が、自分に支給された聖武具を握っている。
ルノアは同期台の中央へ立った。
正面にはゲイツと軍司令官。
すぐ横にはアルド。
振り返ると、アレンがいた。
「ルノア」
アレンが、静かに頷く。
「いつもどおり、音を聞けばいい」
「……はい」
検査槌の共鳴核を、同期台へ接続する。
ルノアは九十七人の顔を見渡した。
若い騎士。
白髪の混じった兵士。
家族から渡されたのか、腕へ小さなお守りを結んでいる者もいた。
九十七点ではない。
九十七人だ。
「一括検査を始めます」
ルノアは検査槌を振り上げた。
そして、同期台の打診板へ振り下ろす。
チィン――。
九十七点の聖武具から、澄み切った音が一斉に返った。
それは、誰もが《合格》だと思うほど、美しい音だった。
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