第11話 九十七の第二音
誰かが、安堵の息を吐いた。
その一拍後。
ギィン……。
九十七点すべてから、濁った第二音が返った。
低く重い共鳴音が幾重にも重なり、大広場の空気を震わせる。
澄み切った第一音に包まれていた騎士たちの顔から、一瞬で色が失われた。
「応答盤、全九十七番に第二波を検出! 未検出はありません!」
同期台を取り囲む技術員が、引きつった声を上げた。
応答盤に並ぶ九十七の番号。そのすべてに、一拍遅れた第二波の波形が浮かんでいる。
「……全部から聞こえたぞ」
「俺の聖剣も、異常なのか?」
騎士たちは手にした聖武具を見下ろした。
先ほどまで誇らしげに掲げていた剣や槍が、突然、命を奪うかもしれないものへ変わった。
「待て」
ゲイツの声が、広がりかけた動揺を押さえた。
「これは旧式の一括検査だ。同期台そのものの反響が、各武具の応答として記録された可能性がある」
騎士たちの視線が、ゲイツへ集まる。
「では、この第二音は……」
「検査装置の間違いなのか?」
助かる理由を求めるような声が、あちこちから上がった。
技術員が応答盤と手順書を見比べる。
「設定値に誤りはありません。ただ……回路の反響ではないと証明するには、同期台から外した状態での個別打診が必要です」
「なら、確かめます」
ルノアは即座に答えた。
「どれでも一つ、選んでください。同期台から外して、私が直接調べます」
「お前が選んだ武具では、証明にならん」
ゲイツが言う。
「ですから、私以外の方に選んでもらいます」
ルノアは軍司令官を見た。
「お願いします」
軍司令官は九十七人の列を見渡した。
やがて、一番端へ目を向ける。
「九十七番を外せ」
それは今朝、最後に大広場へ到着した聖盾だった。
技術員が伝導線を外す。
聖盾を持つ若い騎士は、周囲の視線を浴びながら列を離れた。ルノアの前まで来ると、自分の身体を隠せるほど大きな盾を両手で差し出す。
「これを……調べるんですね」
「はい」
ルノアは同期台から検査槌の共鳴核を抜いた。
若い騎士が聖盾を支え、ルノアがその前へしゃがみ込む。
盾の握り部。
厚い基部。
兄が最後まで手放さなかった聖盾の破片が、一瞬だけ脳裏をよぎった。
ルノアの指が止まる。
「ルノア」
すぐ後ろから、アレンの声がした。
ルノアは小さく息を吸い、検査槌を握り直した。
「始めます」
聖盾の基部へ、槌を振り下ろす。
チィン――。
澄み切った音が、大広場へ伸びていく。
騎士たちが息を止める。
何も返ってこない。
若い騎士の表情に、わずかな安堵が浮かびかけた。
その直後。
ギィン……。
濁った音が、聖盾の奥から返った。
同期台にはつながっていない。
ほかの武具とも接していない。
それでも、同じ第二音が鳴った。
若い騎士の顔から、安堵が消えた。
「……俺の盾にも、本当に異常があるんですね」
「はい」
ルノアの答えに、若い騎士は聖盾の握りを見つめた。
強く握った指が、かすかに震えている。
「……魔獣の一撃を受けたら、この盾は砕けるんですか?」
大広場が静まり返った。
九十七人の騎士が、ルノアの答えを待っている。
「今は、分かりません」
ルノアは、目を逸らさずに答えた。
「異常がどこまで進んでいるのか、まだ調べていません。何度か耐えられるかもしれない。最初の一撃で壊れるかもしれません」
若い騎士の喉が、小さく動いた。
「だから、分からないまま《使用可》とは判定できないんです。個別に調べれば、耐えられる出力や回数が分かるかもしれません」
「そんな状態では、隊列の先頭に立てない」
若い騎士は振り返り、後ろに並ぶ仲間たちを見た。
「だが、俺が盾を置けば、戦列に穴が開く」
「だから、全部捨てろって話じゃない!」
九十七人の列から、バロンが一歩前へ出た。
その手にある聖槍には、黄色い札が巻き付けられている。
「俺の槍にも、同じ濁った音がある!」
バロンは黄札を高く掲げた。
「三割、十秒以内。その条件を守ったから、村も俺も生き残った! 槍も、最後の一回を残せた!」
黄札が、朝の風に揺れる。
「異常があるから全部捨てるんじゃねえ。どこまでなら使えるのかを確かめるんだ!」
広場の端には、先に欠陥が確認された聖武具の使用者として、検査への立ち会いを許されたギルバートとミラがいた。
ギルバートが、腰の古い鉄剣の柄を叩く。
「俺は聖剣を置き、この鉄剣で群れ長を倒した。聖武具を置いても、戦えなくなるわけじゃない」
その隣で、ミラが背負った革巻きの弓へ手を添える。
「武具を替えても、身につけた技まで失うわけではありません」
若い騎士は、バロンの黄札を見つめた。
それから、自分の聖盾へ目を戻す。
恐怖は消えていない。
それでも、先ほどまでとは違っていた。
危険を知らずに握るしかない武具ではない。
調べた上で、どう使うかを選べるかもしれない。
「……ゲイツ部門長」
軍司令官がゲイツへ視線を向けた。
「今も、一斉起動が可能だと判断するか」
ゲイツは、個別打診された聖盾を見つめた。
「共通の異常は認めます」
低い声だった。
「ですが、九十七点すべてが今すぐ破断すると証明されたわけではありません」
「そのとおりだ」
軍司令官は頷いた。
「だからこそ、一点ずつ調べる」
ゲイツが顔を上げる。
「しかし、大侵攻は目前です」
「限界も分からぬまま、一斉起動させることはできん」
軍司令官は、九十七人の騎士へ向き直った。
「軍の安全規定に基づき、予定されていた午前十時の一斉起動は中止する!」
大広場が大きくざわめいた。
「これより、全E-731の個別緊急検査へ移行する!」
ルノアの胸から、張りつめていた息がこぼれた。
兄の時には届かなかった音が、今度は軍を止めた。
だが――。
カン、カン、カン、カン、カンッ!
王都の外壁から、聞いたこともない激しさで警鐘が打ち鳴らされた。
「何事だ!」
アルドが即座に正門の方角へ向き直る。
遠くから、腹の底まで震わせる咆哮が響いた。
正門側の通りから、一騎の伝令が大広場へ駆け込んでくる。馬が石畳を蹴り、騎士たちの前で急停止した。
「角冠獣を先頭とする魔獣群、予測より早く第一外壁へ到達!」
広場の騎士たちに、戦慄が走る。
「第一外壁、突破寸前です!」
その報告を塗り潰すように、王都の北から轟音が響いた。
ドォンッ!
石畳が跳ね、同期台が大きく揺れる。
建物の屋根越しに、黒い土煙が立ち上った。
伝令が振り返り、その光景に顔を青ざめさせる。
「第一外壁……破られました!」
大広場が静まり返った。
若い騎士は、濁った第二音を返した聖盾を抱き締める。
軍司令官の視線が、立ち上る土煙から、九十七点の聖武具へ移った。
「ゲイツ部門長」
ゲイツが顔を上げる。
「この九十七点は――一度も使えないのか」
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