第6話 使用禁止を、解除します
山道の先から、黒い煙が上がっていた。
「……ルノア」
「はい。村があります」
追手を避けて旧街道を進んでいたルノアとアレンは、馬を走らせた。
全聖核の一斉起動まで、あと九十六時間。
遠回りをしている余裕はない。
それでも、近づくにつれて聞こえてきた悲鳴を、無視することはできなかった。
村の入口にあったはずの防壁は、半分以上が失われていた。
太い丸太は内側へ折れ、家屋が二軒、屋根ごと押し潰されている。広場には負傷者が並べられ、女たちが引き裂いた布を傷口へ押し当てていた。
穀物倉庫の壁際には、動かない三人が横たわっている。
顔まで、布で覆われていた。
「父ちゃん! 目を開けて!」
少年が、血に濡れた男の手を握っている。
そのすぐ横を、折れた槍を抱えた自警団員が駆け抜けた。
「防壁の穴を塞げ! 使える荷車は全部運べ!」
「縄が足りない! 納屋から持ってこい!」
第一波は、すでに村の中まで入り込んでいた。
辛うじて追い返しただけだ。
「馬をあそこへ!」
アレンが、石造りの貯蔵庫を指した。
二人は三頭の馬を裏手へ繋ぐ。荷馬の左右には、赤札の貼られた聖剣と聖弓を収めた木箱が固定されている。
ルノアが縄を確かめた直後、崩れた家屋の陰から黒い影が飛び出した。
「危ない!」
傷ついた岩殻獣だった。
岩盤のような外殻に覆われた四足獣。顎から突き出した二本の牙を振り上げ、負傷者の列へ走り出す。
「そいつは俺がやる!」
一人の男が、その進路へ割り込んだ。
青い外套。
手にしているのは、長大な聖槍。
男は魔力を使わず、岩殻獣の牙を槍の柄で受け流した。そのまま身体をひねり、露出していた顎の下へ穂先を突き入れる。
魔獣が地面へ崩れ落ちた。
引き抜かれた穂先が、外殻の端を叩く。
チィン――。
澄んだ金属音。
その一拍後。
ギィン……。
穂先の奥から、低く濁った第二音が返ってきた。
ルノアの鞄の中で、共鳴核を仕込んだ検査槌が震える。
「その音……」
王都で破断した旗艦聖剣。
ギルバートの聖剣。
ミラの聖弓。
すべてと同じ音だった。
男が槍を引いた時、聖核との接合環に刻まれた文字が見えた。
《E-731》
「バロン!」
アレンが男の名を呼んだ。
男が振り向き、目を見開く。
「アレンか。どうしてここに……」
「話は後だ」
男は百勇部隊の聖槍使い、バロンだった。
ルノアが聖槍を指す。
「その槍、今日は何回起動しました?」
「あ?」
バロンがルノアを見る。
「聖核へ魔力を流した回数です。何回ですか?」
「まだ二回だ」
「二回も、全出力で?」
「岩殻獣を二頭倒した」
バロンが広場の端を顎で示した。
外殻を砕かれた二頭の岩殻獣が、黒い血を流して倒れている。
「使わなきゃ、防壁はもっと前に抜かれてた。村の半分じゃ済まなかった」
その時、見張り台から鐘が鳴った。
カン、カン、カン――!
「また来るぞ!」
見張りの男が、声を裏返して叫ぶ。
「谷の向こうに岩殻獣! 小型が五! 群れ長もいる!」
広場の空気が凍りついた。
怪我人を運んでいた村人たちが、一斉に谷の方角を見る。
バロンは聖槍を握り直した。
「奴らはまた来る」
荒い息を吐く。
「次で、この村を潰すつもりだ」
「その槍を見せてください」
「時間がない」
「三秒で構いません!」
バロンは険しい顔をしたが、聖槍を横へ倒した。
ルノアは検査槌を抜く。
接合環を正確に打った。
チィン――。
ギィン……。
二つの音が、近い。
すでに亀裂が進んでいる。
ルノアは検査帳を開き、赤い札を取り出した。
《使用禁止》
聖槍の柄へ貼り付ける。
「通常出力での使用は禁止です。このまま全出力で起動すれば、槍が破断します」
「使用禁止だと?」
バロンが赤札を睨んだ。
「槍を置いたら、何を使ってあいつらを止める」
自警団員が構えているのは、刃の欠けた槍や農具ばかりだった。
折れた防壁の向こうには、まだ避難できていない村人がいる。
「ですが、このまま使えば、あなたも周りの人も巻き込みます」
「だったら教えろ」
バロンがルノアを見据えた。
「どこまでなら使える?」
「……」
「使えないで終わらせるな。限界を教えろ、検査官!」
ルノアは聖槍へ貼った赤札を見た。
判定は間違っていない。
通常出力では使えない。
だが、ここで終わらせれば、この村に残るのは素手で死ぬことだけだ。
「……三分ください」
ルノアは検査槌を握り直した。
「使える条件を調べます!」
アレンが制式剣を抜いた。
「三分だな」
「はい!」
「分かった。バロン、槍を預けろ!」
バロンが聖槍をルノアの前へ置く。
アレンは自警団へ振り返った。
「動ける者を二手に分けろ! 半分は小型を引き離す! 残りは荷車と丸太で、群れ長の進路を塞げ!」
「そんなもので止まるのか!?」
「倒す必要はない! 三分だけ通さなければいい!」
自警団員たちが走り出した。
壊れた荷車が、防壁の穴へ押し込まれる。太い縄が道の両側へ張られ、斜面には丸太が並べられた。
ルノアは聖槍の接合部へ検査槌の共鳴核を押し当てた。
「一段階目」
共鳴核から、一秒にも満たない微量の検査魔力を流す。
チィン――。
遅れて、ギィン……。
返ってきた振動を検査帳へ書き込む。
「二段階目」
少しだけ出力を上げる。
チィン――ギィン。
二つの音の間隔が縮まった。
魔力を通すたび、内部の亀裂が押し広げられている。
カン、カン、カン――!
見張りの鐘が再び鳴った。
「谷を越えた! もう来るぞ!」
地面が震え始めた。
崩れた防壁の向こうから、土煙が上がる。
「まだか、検査官!」
「最後です!」
三段階目。
検査用魔力を通す。
濁った第二音が、第一音へ重なりかける。
ルノアはすぐに通電を止めた。
検査槌から返る微振動。
亀裂の進み方。
すでに行われた二回の全出力起動と、今の検査通電による損耗。
すべてを検査帳へ書き込む。
防壁の向こうから、岩殻獣の群れが姿を現した。
小型が五頭。
その中央を、体長三メートルを超える群れ長が進んでくる。
背中を覆う外殻は、小型個体よりも厚い。
顎から湾曲した二本の牙を突き出し、荷車で塞がれた防壁へ向かって速度を上げていく。
「算出できました!」
ルノアは赤札の余白へ、刻限と署名を書き込んだ。
《判定変更・条件付き使用へ移行》
赤札を静かに剥がし、検査帳へ収める。
代わりに取り出したのは、黄色い札だった。
《条件付き使用》
聖槍の柄へ貼り付ける。
「《使用禁止》を解除します!」
バロンが聖槍を掴んだ。
「ただし、安全になったわけではありません」
ルノアは条件を告げる。
「出力三割。連続十秒以内。次に起動するまで三十秒以上。現在の状態から、最大三回です」
「三割。十秒。三十秒休ませて、ここから三回だな」
「はい。ですが、この条件でも破断の危険は残ります」
岩殻獣の群れが迫る。
荷車の向こうで、自警団員たちが震える槍を構えていた。
「槍を置くか、この条件で使うか――あなたが選んでください」
バロンは黄札を見た。
次に、負傷者が並ぶ広場を見る。
「使う」
聖槍を構えた。
「この危険ごと、俺が選ぶ」
群れ長が荷車へ激突した。
木材が砕け、車輪が宙へ舞う。
「来るぞ!」
アレンの声で、自警団が動いた。
小型個体へ火矢が放たれる。
三頭が火を避け、群れ長から離れた。残る二頭へ、自警団員たちが左右から縄を投げる。
バロンは群れ長へ向かって駆けた。
「前脚を崩す! そのあとは任せたぞ、アレン!」
「了解!」
聖槍の穂先へ、抑えられた青白い光が集まる。
「一回目!」
バロンが踏み込み、群れ長の左前脚へ穂先を叩きつけた。
ズドォンッ!
岩の外殻に、大きな亀裂が走った。
「五秒! 六秒!」
ルノアが数える。
群れ長が前脚を振り上げる。
バロンは槍を引かず、亀裂をさらに押し広げた。
「八秒!」
バロンが魔力を切り、後方へ跳ぶ。
群れ長が怒りの咆哮を上げた。
「再起動まで三十秒です!」
「聞いたな! 三十秒稼ぐぞ!」
バロンは聖槍を胸元へ引き寄せ、突き出された牙を横へかわした。
だが、続けて振られた群れ長の肩が身体をかすめる。
バロンは地面を転がった。聖槍だけは衝撃から庇い、離さなかった。
「バロン!」
「まだ動ける!」
アレンが横から踏み込んだ。
正面からは受けない。
制式剣を牙へ斜めに当て、その軌道を地面へ滑らせる。
ガァンッ!
激しい衝撃が刃を走った。
柄を握るアレンの掌に、鈍い震えが残る。
アレンは一瞬だけ剣へ目を落としたが、すぐに群れ長へ視線を戻した。
「十秒!」
群れ長が牙を引き抜く。
その後ろで、小型個体が一頭、縄を引き千切った。
避難所へ向かって走り出す。
「行かせるな!」
自警団員たちが丸太を転がした。
小型の岩殻獣が丸太を踏み越え、一人を弾き飛ばす。
「父ちゃん!」
広場にいた少年の声が響いた。
岩殻獣が倒れた男へ牙を向ける。
「二十秒!」
アレンは群れ長から離れられない。
バロンも聖槍を起動できない。
若い自警団員が、折れた槍を手に小型個体の前へ飛び出した。
「こっちだ!」
刃のない槍で外殻を叩き、岩殻獣の注意を自分へ向ける。
牙が迫る。
「二十五秒!」
横から投げられた縄が、岩殻獣の前脚へ絡みついた。
三人がかりで引き、牙の軌道を逸らす。
「三十秒です!」
「二回目!」
バロンが聖槍へ魔力を通した。
青白い穂先を、先ほど作った外殻の亀裂へ突き入れる。
群れ長が前脚を振り上げた。
「五秒!」
亀裂が広がる。
「六秒!」
バロンが聖槍を深く押し込んだ。
「七秒!」
群れ長の前脚から、鈍い音が響いた。
関節が折れ、巨体が前のめりに崩れ落ちる。
バロンはすぐに魔力を切り、聖槍を引き抜いた。
「最後の一回は残す!」
地面に倒れた群れ長が、頭を持ち上げる。
「今だ、アレン!」
アレンが巨体の内側へ滑り込んだ。
岩の外殻が途切れた、首の付け根。
露出した急所へ、制式剣を正確に突き入れる。
岩殻獣の身体が大きく震えた。
咆哮が途切れる。
群れ長は数歩もがき、地響きを立てて倒れた。
小型個体たちが動きを止める。
自警団が一斉に槍を構えた。
「押し返せ!」
火矢が放たれる。
統率者を失った岩殻獣たちは背を向け、壊れた防壁から谷の向こうへ逃げていった。
誰も追わなかった。
追える者など、残っていなかった。
静かになった広場へ、負傷者のうめき声が戻ってくる。
アレンは制式剣を抜き、刃についた黒い血を払った。
バロンが膝をつく。
ルノアはすぐに駆け寄った。
「聖槍を見せてください」
接合部へ検査槌を当てる。
チィン――。
ギィン……。
第二音は、戦闘前より第一音へ近づいていた。
ルノアは黄札と検査帳を見比べる。
「同じ条件で、あと一回です。ただし、次に使ったあとは必ず再検査を受けてください」
「分かった」
バロンは黄札の貼られた聖槍を見つめた。
「限界が分かったから、二回で止められた」
広場を見る。
泣きながら父親へ駆け寄る少年。
傷ついた仲間を支える自警団員。
潰された家屋。
それでも、生き残った者たちは立っている。
「まだ一回残ってる。村も、俺も生きてる」
バロンがルノアへ笑いかけた。
「十分すぎる判定だ。助かったぜ、検査官」
村人たちはすぐに負傷者の手当てと、防壁の補修を再開した。
ルノアとアレンが石造りの貯蔵庫へ戻ると、三頭の馬と、荷馬に固定した二つの木箱は無事だった。
「王都へ向かうんだろ?」
バロンが二人を村外れの古い道標へ案内した。
「正面の街道には検問がある。この先の鉱山道を抜けろ。狭いが、荷馬でも通れる。王都近くの旧街道へ出られるはずだ」
「ありがとうございます、バロンさん」
「礼を言うのはこっちだ」
バロンは外套の内側から、固く封じられた手紙を取り出した。
「そうだ。これを預かっていた」
「私に、ですか?」
「ああ。王都へ向かう途中、旧北方詰所の近くで昔の仲間に呼び止められた。三年前まで、あの詰所にいた男だ」
「旧北方詰所……」
三年前、兄が聖盾を捨て、仲間を置いて逃げたと記録された場所だ。
「式典で赤札を貼った検査官が、E-731を追っている。お前も同じロットを持っているなら、出会うかもしれない――そう言って、俺に預けた」
ルノアは手紙を受け取った。
封蝋には、兄が所属していた北方防備隊の意匠が残されている。
「俺も村の守りを整えたら、王都へ向かう」
バロンが黄札の貼られた聖槍を担いだ。
「出陣式で、また会おう」
バロンは片手を上げ、壊れた村へ戻っていった。
夕暮れの迫る道標の前で、ルノアは手紙の封を切った。
中に収められていた羊皮紙を開く。
短い文章が、震えるような筆跡で記されていた。
『お前の兄は、盾を捨てていない』
ルノアの指が止まる。
『真実を知りたければ、旧北方詰所へ来い』
山道を抜ける風が、羊皮紙を揺らした。
ルノアは手紙を検査帳へ収める。
「行きましょう、アレン」
「ああ。真実を確かめにいこう」
二人は馬へ跨がった。
そして、兄の部隊が壊滅した旧北方詰所へ向け、再び走り出した。
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