第4話 外したのは、彼女ではない
「先遣群の阻止失敗。規定により、百勇部隊章を返納させる」
「待ってください!」
ルノアは、馬が止まりきるより先に地面へ飛び降りた。
痺れていた足がもつれ、朝もやに濡れた石畳へ膝を打つ。
痛みに構っている暇はない。
広場の中央。
砦の隊長の指が、膝をつく女性の肩へ伸びていた。
純白の百勇部隊章。
あと一秒遅ければ、奪われていた。
「その処分を、待ってください!」
ルノアは立ち上がり、鞄を抱えて駆け出した。
後ろから、アレンも馬を降りて追いついてくる。
二人とも泥と汗にまみれていた。
北の国境砦まで、一晩中馬を走らせてきたのだ。
「ミラ!」
アレンが、膝をつく女性の前へ回り込んだ。
「大丈夫か」
「……無駄よ、アレン」
百勇部隊の狙撃手、ミラは力なく首を振った。
「伝令兵は、私の手は震えていなかったと言っていたそうね。でも、私は三本放って、三本とも外した」
肩の部隊章へ手を添える。
「それなら、衰えたのは私よ」
「違います」
ルノアはミラの前へ立った。
「あなたの技量に原因があるのか、武器の状態に原因があるのか。検査官として切り分けさせてください」
砦の隊長が眉をひそめる。
「解雇された元検査官か。だが、結果は出ている。彼女は群れ長を射止められなかった」
「結果だけでは、原因は分かりません」
「何?」
アレンが懐から一枚の書面を取り出し、隊長へ差し出した。
「彼女には、軍から二日間の追加検査が認められている」
隊長は書面へ目を走らせた。
顔を上げ、ルノアの泥だらけの姿を見る。
「何分必要だ」
「十分で証明します」
「……いいだろう」
隊長は近くの兵士へ命じた。
「射撃練習場を開け。砂時計も用意しろ」
◇
防護壁に囲まれた射撃練習場。
隊長が卓上の砂時計を返した。
白い砂が、細い筋となって落ち始める。
「十分だ。始めろ」
兵士が武具庫から一本の弓を運んできた。
ミラが聖弓を授かる前まで使っていた、古い革巻きの弓だ。
「ミラさん。これで三本射ってください」
「今さら、これで何が――」
「お願いします」
ミラは何も言わず、弓を受け取った。
使い込まれた革を握る。
百メートル先の標的へ身体を向け、矢をつがえた。
弦を引き絞る。
指先は、震えていない。
シュン――!
一射目。
矢が標的の中央へ突き立った。
ミラが目を見開く。
二射目。
タンッ!
一射目のすぐ隣。
三射目。
タンッ!
三本の矢が、矢羽を触れ合わせるほど狭い範囲へ集まった。
兵士たちの間から、どよめきが漏れる。
ミラは弓を下ろしたまま、標的を見つめていた。
「当たった……」
「今日当たっただけだ」
砦の隊長が、砂時計の横から告げる。
「これだけでは、実戦で手元が狂った可能性は消えん」
「はい。ですから次は、人の手を使いません」
ルノアは、防護壁の向こうに設置された金属製の装置を指した。
《固定試射台》
設定した引き尺と射出角度を変えずに、矢を放つための装置だ。
「試射台が右へ狂っていたら、弓の欠陥とは証明できんぞ」
「その可能性も、先に消します」
ルノアはミラの通常弓を固定試射台へ取り付けた。
同一規格の矢をつがえる。
引き尺を合わせる。
射出角度を標的の中央へ固定。
ルノアは防護壁の内側にある遠隔射出レバーへ手をかけた。
砂時計の砂は、半分近くまで落ちている。
「射出します」
レバーを引く。
シュン――!
タンッ!
矢が標的の中央へ突き立った。
「試射台は、右へずれていません」
ルノアは通常弓を取り外した。
代わりに、ミラが先遣群との戦いで使用したE-731の《聖弓》を固定する。
同じ規格の矢。
同じ引き尺。
同じ射出角度。
操作盤から、実戦と同じ規定量の魔力を流し込む。
埋め込まれた聖核が、青白く脈打った。
ルノアの手のひらに、汗が滲む。
「射出します」
レバーを引いた。
シュン――!
一射目。
矢は標的の右を抜け、土嚢へ突き刺さった。
兵士たちがざわめく。
ルノアは角度を変えない。
二本目の矢をつがえる。
シュン――!
二射目も右。
一射目のすぐ隣へ突き刺さった。
三射目。
また、右へ逸れた。
三本の矢が、同じ土嚢へ並んでいる。
射撃場から音が消えた。
ルノアは砂時計を見る。
残りわずか。
「聖弓を外してください!」
兵士が固定具を解除し、聖弓を防護壁の内側へ運び込む。
ルノアは鞄から検査槌を取り出した。
右側の聖核接合部へ目を寄せる。
角度を変える。
手首を返し、正確に一打。
チィン――。
澄んだ第一音。
その一拍後。
ギィン……。
右側の接合部から、低く濁った第二音が返ってきた。
ルノアは左右の接合部へ指を添えた。
「右側に、強い内部応力が残っています」
砂時計の最後の砂が落ちていく。
「魔力を通した瞬間、右側だけが遅れてしなる。その歪みが、矢を右へ逸らしています」
最後の一粒が落ちた。
ルノアは検査槌を鞄へ戻し、ミラの前へ歩み寄った。
「外したのは、あなたではありません」
ミラが顔を上げる。
「この弓です」
ミラの唇が震えた。
肩の部隊章を握り締める。
白い布地へ、一滴の涙が落ちた。
砦の隊長は、三本の矢が刺さった土嚢を見つめていた。
やがて帽子を深くかぶり直す。
「……部隊章の返納命令を保留する。正式な再審査へ回す」
ルノアは聖弓へ赤い札を貼った。
《使用禁止》
続いて出荷台帳を開き、ミラの名の横へ書き込む。
《回収》
残り、九十七点。
◇
直後。
砦の作戦室に設置された魔導掲示板が、赤い光を放った。
《魔獣大侵攻予測到達まで――あと八日》
文字が激しく明滅する。
表示されていた「八」が崩れ、別の数字へ書き換わった。
《魔獣大侵攻予測到達まで――あと五日》
室内から音が消えた。
ルノアは机の上へ出荷台帳を広げる。
破断した旗艦聖剣。
回収したギルバートの聖剣。
そして、ミラの聖弓。
三点すべてから、同じ濁った第二音が確認された。
「共通欠陥の証拠は揃いました」
出荷台帳の隣へ、王国全土の地図を広げる。
残る九十七点を示す赤い印が、各地に散らばっていた。
追加検査の猶予は、残り一日。
そのすべてを調べる時間はない。
「もう、一つずつ検査している時間はありません」
ルノアは、台帳に並んだ三点の記録を指でなぞった。
「この三点を証拠に、製造ロットE-731すべてを一度に止めます」
その時。
砦全体に、けたたましい警鐘が鳴り響いた。
ルノアとアレンは作戦室を飛び出し、正門へ向かった。
門の外には、重装甲で身を固めた兵士たちが並んでいた。
《王立武具機動回収隊》
危険地帯へ踏み込み、武具を回収する実戦部隊だ。
その先頭に立つ男を見て、アレンの足が止まる。
「……アルド」
王立武具機動回収隊長・アルド。
アレンのかつての同僚が、馬上から軍令書を掲げた。
「追加検査は、軍令によりただ今をもって打ち切られた」
感情を押し殺した声が、正門前へ響く。
「回収品とルノア・フェルトの身柄を引き渡せ」
アルドの視線が、アレンを捉えた。
「戻れ、アレン。今なら、お前の命令違反は不問にできる」
次に、ルノアへ向けられる。
「だが、その女を庇うなら、お前も反逆者として拘束する」
アルドが片手を上げた。
背後に並んだ回収隊の槍が、一斉に下がる。
鋭い穂先が、ルノアとアレンへ向けられた。
「選べ、アレン」
アレンはアルドを見た。
次に、ルノアを見る。
その指が、純白の外套を留める勇者章へ触れた。
カチリ。
留め金が、小さく鳴った。
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