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手札が多めのビクトリア 2 【書籍化・コミカライズ・アニメ化】  作者: 守雨
【今を生きる】

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155/157

155 ルーシエとエイダン

 ルーシエはランダル王国の特殊任務部隊員である。

 彼女は部隊の中ではパッとしない存在だった。尾行、潜入、書類の偽造、戦闘術、どれも「悪くはないがそれなり」という評価。

 ルーシエは愛らしい顔立ちで可憐な声だったから、上司から「将来は対象者に甘い罠を仕掛ける仕事が向いているだろう」と思われていた。


 ところがある日、特殊任務部隊の一人が別の案件でアシュベリー王国に潜入中、後輩の女性にそっくりな娘を見かける。彼は(あの娘はルーシエの仕事に利用できそうだ)と考えて娘を尾行し、彼女の家を突き止めた。

 そしてその娘が母親と二人で暮らしていること、母親が王城務めの男の家で働いていることを調べ上げた。

 

 男は「仕事でアシュベリーを訪れた商人」を装って帰宅途中の母親に話しかけ、道案内を頼み、あっという間に親しくなった。

 ルーシエ似の娘に直接接触せず母親から懐柔するところが、男が秀でた成績を残してきた所以ゆえんだ。

 男が「道案内をしてくれたお礼に、そこの店でケーキでもいかがです? ご馳走します」と言って高級な菓子店に誘うと、母親は喜んで一気に愛想がよくなった。

 

 心を開いた彼女から、彼女の雇い主が王城の『資料管理部』に所属していることを、言葉巧みに聞き出した。男は本国にその情報を伝え、加えて上司に自分の考えも伝えて了承を得た。それから親しくなった母親に後日再び接触し、とある提案を切り出した。

 母親は男の提案を受け入れ、多めの金を受け取った。


 ◇


 ルーシエはイヴリンと名乗り、本物のイヴリンの母親から家事の仕事を引き継いだ。ジェイコブの勤め先である『資料管理部』にも挨拶を済ませた。それはルーシエがまだ十九歳の時のことだ。

 ルーシエは愛らしい見た目に反して上昇志向が強かった。部隊では気の強い女性隊員に目をつけられないよう大人しくしていたが、「大きな仕事をして結果を残したい」と常々考えていた。


「せっかく指名されて潜入したけど、ジェイコブさんは資料管理部か。地味な部署ね。だけどジェイコブさんを誘惑して有益な情報を得られたら私の評価が上がる。ここで腐っちゃダメ」


 そんな下心を抱えて働くこと二年。十九歳からの二年間は、永遠にも思える長い時間だった。その間まじめに家事をこなし、ジェイコブに愛想を振りまき、機嫌を取った。


 ルーシエはじっくり時間をかけてジェイコブと親しくなり、恋人関係へと持ち込むことに成功した。

 家事の仕事は給料をちゃんとくれるし仕事は楽だったから、ルーシエが次第に(このままの人生も悪くないか。それは組織が許さないだろうけどねえ)などと思い始めた頃には、ジェイコブはルーシエに好意を抱くまでになっていた。結婚を匂わせるほどに。

 

 結婚を言葉の端で匂わせても聞き流しているイヴリンに苛立ったか、それとも恋人にいいところを見せたくなったか。ジェイコブがある日、こんなことを言った。


「僕ね、資料管理部に籍を置いているけど、本当はもっと重要な仕事をしているんだ」

「本当ですか? どんなお仕事をなさっているんでしょう」


 イヴリンことルーシエはそれを聞いて小首を傾げてみせた。可愛いだけの愚かな娘の演技は二年の間に染み込んでいて、もはや意識せずとも自然にできる。

 だがジェイコブは答えなかった。(あと少しだ)と、ルーシエは繰り返しジェイコブにささやいた。


「ジェイコブさんはとっても優秀な方なのに、資料の管理をするだけのお仕事なんてもったいないですね。お城の人は見る目がないんだわ」


 そのたびにジェイコブは「そう言ってくれるのはイヴリンだけだよ」と笑う。

 だが、最近はその表情に少し何か言いたそうな、ためらいのようなものが見える。ルーシエは(何か重要なことを言いたいけど言えない苛立ち……って感じだったらいいんだけどなあ。期待し過ぎかな)と思う。

 

 ある日の夜、ジェイコブは夕食のあとにワインを飲み、しばらくためらった後で「イヴリン、これは誰にも言っちゃだめだよ」と話を切り出した。ジェイコブの家に入り込んでから、もうすぐ二年半になる日のことだった。


「私はお友達もいませんし、母さんは田舎に帰ってしまいました。大切な話をしゃべる相手がジェイコブさんしかいないのはご存じでしょう?」

「そうか。そうだったね。僕は子供の頃から成績が優秀で、お城の文官の採用試験にも上から二番目の成績で合格したんだ。僕の周囲はみんな大喜びしてくれたものさ」

「やっぱり! ジェイコブさんは私なんかと違って、とっても頭がよさそうですもの。それで? どうして資料管理部に配属されたんです? もっと大切なお仕事を任されてもいいはずでしょう?」


 ジェイコブがグラスに残っていたワインを飲み干した。


「僕はね、イヴリン。暗号の解読と作成が得意なんだ。だから重要な案件を暗号にして他国に送ってもらうのが、僕の本当の仕事なんだよ」


 ジェイコブが一線を越えた瞬間だった。


「暗号ですか。それってすごいことですよね? でも、暗号がどんなものか私にはわからないから、ジェイコブさんのすごさがわからなくて残念です」


 ルーシエは心の中で「やった! 永遠に掃除と洗濯と料理をするだけかと怯えていたけど、暗号担当だって! 大当たりよ!」と喝采を上げた。だがルーシエは暗号の重要さがわからないふりを続けた。

 大げさに感心しつつも「きっと私には理解できない」と残念がるルーシエにジェイコブは、短いアシュベリー語の文章を書き、そこに含まれる暗号について説明してくれた。


 それは短い例文だったが、ルーシエは盛大に感動したふりをした。

 その日以降はことあるごとに暗号文を書いてくれと頼み、書いてもらうたびにジェイコブをほめそやす。ジェイコブが酒に飲まれる体質だと知っていたから、ワインに合う料理をせっせと作り、酔ったジェイコブに「暗号文を書いてください」とねだった。

 

 ルーシエは以前教官が言っていた「人間は刺激に慣れる生き物だ」と言う言葉を実感していた。あんなに仕事の内容を明かさず用心していたジェイコブが、最近では重要な暗号文を書いて見せてくれるまでになった。

 ルーシエは二度、つなぎの仲間にその情報を伝え、本国の上司が満足していると言われて有頂天になった。


 そして三度目の今回、ランダル王国の貴族がアシュベリーの人間に情報を漏らす、と知った。金塊と引き換えなら、かなり重要な情報に違いない。しかも指定された日は近かった。大急ぎで仲間に知らせなければならない。国の利益を損なうような貴族は縛り首になればいいと意気込んで、その情報を頭に叩き込んで家を出た。

 いつものように買い物をしつつ、つなぎ役の仲間が働いている肉店を目指す。そこでルーシエはふと、誰かに見られているような気がした。


 だから「あっ、そうだった」と独り言を言い、忘れ物を取りに戻るふりをした。くるりと後ろを向き、慌てて姿を隠す人物がいないか確認した。しかし不審な動きをする人間はいなかった。気のせいか、と思ったが、そこで再び教官の教えを思い出した。


「いつもと違う感じがしたら、行動をそこでやめろ。己の勘に従え。気のせいだと自分に言い訳をして捕まって処刑されるくらいなら、仕事を失敗してもいいんだ。生きてさえいれば失敗は挽回できる」


 ルーシエを指導してくれたその教官は、現役時代に成績でずっと一番だったらしい。今はもう引退している。

 その教官は常々「君たち生徒が将来、無駄死にすることを全力で防ぎたい」と言っていた。ルーシエはその教官を心から尊敬していた。


(早く連絡しないと手遅れになる。でも私が捕まって処刑されたら、挽回することさえできなくなる。先生、ここは勇気ある撤退ですよね?)


 心でそう教官に問いかけ、ルーシエは肉店の手前で引き返した。

 今夜は肉無しの夕食になるけれど、ジェイコブさんは優しいから怒らないはず、と思いながら。

 イヴリンになりすまして潜入してから、三年が過ぎようとしていた。


 ◇


 第三騎士団と呼ばれるアシュベリーの特殊任務部隊。その中でも尾行に秀でているエイダンは、イヴリンと呼ばれる娘の後方にいた。

 彼女が買い物に行く様子を見ている限り、怪しい動きはなかった。

 だが、彼女が行きつけの肉店の手前でいきなり振り向いたとき、(おや?)と思った。


 何気ない感じに回れ右をして追跡者を確認するのは、工作員がよくやる手法だ。だからエイダンはそのまま歩き続け、イヴリンを追い越した。角を曲がってから足を止め、イヴリンの様子を見た。彼女はジェイコブの家に戻りながら、実にさりげなく周囲の店の窓ガラスで後方を確認している。


「こりゃあ黒だな。新しい部長の勘が当たったわ。彼、あの若さでなかなかやるじゃないか。ただのコネ出世ってわけじゃないんだな」


 エイダンはそのままイヴリンを尾行し、イヴリンがジェイコブの部屋に入るのを確認した。それから間借りしている部屋に入った。ジェイコブの家を見下ろせるその部屋から、二人を見張る。途中で部屋を訪れた仲間には、マイク宛ての伝言を頼んだ。

 伝言はただひと言。「当たりです」だけである。


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