154 クラークの罠とその行方
クラークが情報漏洩の報告を受けて最初に思ったのは「暗号班が三人しかいなくてよかった」だった。
様々な事情が重なり、以前は六人いた暗号班が今は三人。彼らの家族構成は把握している。
三人とも独身で、表立って金に困っている者はいない。だが金に腐心していることを隠すのが人間だから、あまりその情報は頼りにならないと思った。
他国で優遇されるという条件をちらつかされているかもしれない。
実家の家族がどこかで借金を作ったのかもしれない。
だが報告では何の証拠も出なかった。三人を半年も見張らせたのに証拠が全くないのはおかしい。なぜなら最新の情報漏洩は二ヶ月前だからだ。
クラークは悩んだ末にエドワードへ相談し、エドワードはビクトリアを選んだ。
驚くクラークにエドワードは黒ガラスのメガネをかけた顔を向けて説明した。
「彼女はジェフとノンナの立場が悪くなるようなことは絶対にしない。加えて、ノンナの婚約者であるお前のことを全力で応援するだろう。彼女は信用できる。彼女の知識と経験に頼るといい」
「おじ様は、引退する前も先生を信じていたんですか?」
「いや。シェン国から帰国するまではわずかだが警戒していた。もしかしたら十年二十年の時間を使って我が国に食い込む計画の一人かもしれない、と思っていた」
「まさか……先生はそんな」
途中で言葉を呑んだクラークに、エドワードが話を続ける。
「有能な者ほど近しい人に『まさか』と思わせるものだ。注目すべきは……彼女は現役時代に兄のように慕っていたランコムのことを、その後どうなったか一度も聞かないことだ。調べてもいない。そんなことをすれば無用の疑いを生むと知っているからだ。彼女は自分と家族にとっての最善を選ぶ。その都度、彼女は大切な人を切り捨てる苦しみを味わっているはずだが、それを見せない。強い人だよ」
クラークは言うかやめるか迷って、言うことにした。
「ノンナから聞いたことがあるんですが、先生はカディスの夏祭りで泣いていたそうです。先生が泣くところを初めて見たと言っていました。ノンナは『当時の自分は小さかったから泣いている理由まではわからなかったけど、お母さんは私のためにずっと必死だったんだと思う』と言っていました。ジェフおじさんが先生を見つけなければ、ノンナと先生はまたランダルへ戻る予定だったそうです。それはご存じでしたか」
「逃げ続けるつもりだったことはジェフから聞いている。彼女はジェフを切り捨ててでも、ノンナを手放さずに自分で育てる覚悟だったんだよ」
クラークは立ち上がり、挨拶をした。
「お話できてよかったです」
「クラーク、これはお前のために言うんだが……ノンナを傷つけたり悲しませたりしないように気をつけなさい」
「もちろんです。では失礼します」
帰りにノンナの家に寄り、ノンナを誘って二人で散歩をした。暗号文はもう暗号班に渡したし、追跡を得意とする団員が暗号班の三人を追っている以上、自分が出る幕はない。
クラークはこのところ忙しくてノンナを歌劇に誘うことも食事に行くこともできないことを詫びた。
「気にしないでいいのに。仕事が落ち着いたらまた誘ってくれるんでしょう?」
「もちろん、そのつもりだよ」
「クラーク様、少し雰囲気が変わったよね。エドワード様に似てきた気がする」
「そ、そう? そんなことはないと思うけど」
「なんとなくそんな気がしたの」
(ノンナは僕が第三騎士団を統率していることは知らないはず。先生がノンナに言うはずがない。きっと、勘が鋭いんだな)
そう思いながら歩いていた。次の角を曲がったらもうアッシャー家というところで、ノンナが話しかけてきた。
「あのね、今の陛下の戴冠式の頃、私たちランダルに行っていたでしょう? あのとき、エリザベスの家の護衛は『その道の人』だったんだって。その道っていうのがどういうことか、お母さんに聞いても『素人じゃないってことよ』としか教えてくれなかった」
「へえ。先生がその道の人だと気づいたってこと?」
「そう。それでね、よそのお屋敷に遊びに行ったら、護衛や使用人の前で話す内容には気をつけなさいって注意された。クラーク様の家の護衛や使用人にも気をつけるべき?」
「いや、うちの使用人は身元がしっかりしているし、長いこと務めている者ばかりだから大丈……」
今回の情報漏洩は使用人が関係している可能性は? と、クラークは思った。だが、第三騎士団員の使用人もまた、採用時に調査済みである。そうわかっていても、クラークは今すぐそれを再確認したくなった。
「ノンナ、急ぎの仕事を思い出した。門まで送ったら城に戻る」
「そう? わかった」
クラークはノンナを送り届けると城に向かって走り、『諸制度維持管理部』までの階段も駆け上がった。暗号班は全員が揃っている。息を切らしているクラークを見て、マイクがスッと近寄ってきた。
「どうかなさいましたか」
「ちょっと調べたいことを思いついた」
そう言いつつ奥の部屋の資料戸棚の扉を開き、過去の部下の身上調査の紙束を手に取った。
アーチー、ジェイコブ、メイソンの過去の調査結果を開いて、最新の身辺調査と照らし合わせた。一人だけ、使用人が替わっていた。
三年前、ジェイコブの使用人の女性が腰を痛め、その娘が代わりにジェイコブの家の家事を担当している。
「三年前か」
ランダルが工作員を送り込んだとしたら、ずいぶん気の長い作戦だ。そこでさっきのノンナの話を振り返る。
クラークはエドワードから引き継いだ資料をここ十年分は読んでいたから、ノンナが言っていた『その道の人』が第三騎士団員なのを知っていた。
エドワードはエリザベスの家の護衛に団員を送り込み、三年間もマグレイ伯爵の動向を探らせていた。
マグレイ伯爵は無実だったが、彼が商取引で通訳を任せていた男が早馬連絡網の拠点をランコムに漏らしていた。通訳の男はすでに本来の主人と共に処刑されている。
この国が三年をかけてマグレイ伯爵の動向を探っていたのだ。ランダル王国も三年前に使用人の娘と偽って工作員を送り込んでいてもおかしくはない。こうなると腰を傷めたという前の使用人も、本当に腰を傷めたのかどうか疑わしく思える。
母親の仕事を引き継いで使用人になったというその娘は、実の娘なのだろうか。
ドアを開けるとマイクが素早く近づいて来たから、部屋に招き入れて声を潜めた。
「ジェイコブの家の使用人はアガナ地方の出身だね。引退した母親はそこの出身で間違いないの?」
「はい、母親については調査済みです。間違いなくアガナ地方で育っており、不審な点はありません」
「では現在ジェイコブの家に通っているイヴリンが、本当の娘かどうか早急に調べてほしい。母親が娘を同行して資料管理部の人間に紹介したと記載されているけど、どうも気になる」
資料管理部もまた、諸制度維持管理部と同じ第三騎士団である。
「承知しました。ただ、前任者に娘がいること、娘のイヴリンの年齢や見た目が報告と相違ないこと、身分証が間違いなく本物なことは確認済みです」
「それでももう一度調べてほしい」
「承知しました」
そう言ってマイクは部屋を出た。
翌朝、尾行を担当している者たちから、帰宅後も暗号班の三人は全員外出せず訪問者もいなかったと報告が上がった。
マイクからの報告は、まだない。
『付喪神のいる食卓』も連載しています。
優しい主人公と付喪神たちの世界が交錯する、ほのぼのまったりグルメ系のお話です。
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