153 下準備は丁寧に
以前から集めていた暗号関係の資料は、ヨラナ様のお屋敷の離れから逃げるときに焼き捨てた。私の頭には入っているからいいと言えばいいのだが、こうして落ち着いた暮らしになってみると、もったいなかったなと思う。
夕食にお招きしたクラーク様はノンナの隣で楽しそうに話をしていて、ノンナも実に楽しそうだ。
若い二人に幸多かれ。心の底からそう願う。
十代の私は工作員として生きていた。人を欺き、演技をして情報を得るのが仕事だった。ノンナがそんな十代を過ごさないで済むことを、神に感謝している。
食事が終わり、今回の仕事の話に移った。ノンナには「機密事項について話し合うから」と伝え、部屋に下がらせることにした。気配を消すことができるノンナだから、「盗み聞きは許しませんからね」と釘を刺した。
「お母さんたら。そのくらいわかりますって。安心してよ」
「そう? それならいいけれど」
部屋に残ったのが三人になって、クラーク様が話を始めた。
「暗号班のジェイコブ、アーチー、メイソンには、既に尾行をつけています。先生、暗号は来週までには作れますか? 勝手なお願いで申し訳ありませんが、新しい人員が補充されるまであまり時間の余裕がありません」
「夕べのうちに暗号を書き終えました。クラーク様に内容を確認していただければ、すぐにでもお渡しできます」
「もう? さすがは先生ですね。拝見します」
表向きの内容は『従妹のモリーに赤ちゃんが生まれました。お祝いの品をおねだりしてもいいかしら。赤ちゃん用の白いケープが欲しいわ』と書いてある。ここに暗号の解き方を指示してある。そしてその後に続く近況報告の文中に、伝えたい内容を暗号で組み込んだ。
手紙はランダル王国に潜入している第三騎士団員からアシュベリーの第三騎士団、それもクラーク様へ直接送られたかのように書いた。エドワード様によると、ランダルには複数の第三騎士団員が潜入しているらしい。その中でも四十代のランダル在住の団員が好んで使う暗号を選んだ。第三騎士団員は数種類の暗号の中から、自分で選んで暗号を使っていると説明を受けている。
暗号で書かれた内容はこうだ。
『当主、了承/ 情報、金塊/ 青 通り、青、酒、地下/ 髪、赤、着る、青/鋼の馬 青色の泉』
情報を受け取る日時は入れていない。クラーク様の手配が終わってから入れればいい。
『(ランダル王国の貴族家の)当主が我が国との取引を了承した。情報と引き換えにアシュベリー側は金塊を渡す。
(取引の場所は)青の通り(と呼ばれていた六番街)、青色の酒場の地下室。(情報提供者は)赤い髪で青いコートを着ている。(合言葉は)鋼の馬、青色の泉』
クラーク様は翻訳された文章を読んで、私を見た。緑色の瞳がキラキラしている。
「青を多用しているのがいいですね。あの都の現在の六番街は白い石畳ですが、以前は青みを帯びた石を敷いていて、青の通りと呼ばれていたと聞いています。暗号班の人間ならランダル王国の六番街のことだとすぐわかります」
「現在もランダル王国に潜入中の人が使っている種類の暗号を使いましたが、念のために去年から使われるようになった数字式の暗号も組み合わせました」
クラーク様の表情に、ほんの少し驚きが顔を出した。「我が国の最新の暗号の知識を、先生はなぜ知っているんだろう」と思ったはずだ。種明かしをしなければ。
「エドワード様から、ここ五年間で使われた暗号の文章を数枚ずつ渡されました。『これを解読できるなら仕事を依頼したい』と。条件を了承して、暗号の規則性を見つけ出し、エドワード様の依頼をお引き受けしました」
「おじ様は先生の実力を試したのですね。安全のためですので、お許しください」
「第三騎士団の仕事は国の命運を左右しますもの、どれだけ用心してもし過ぎることはありません。次はこの文章をどうやって暗号班に届けるかですが……私は暗号を作ることだけを頼まれましたので、ひとつの案として聞いていただけますか」
クラーク様がうなずいて、私は暗号班の中の犯人をおびき出す案について話した。
この暗号文を暗号班の男たちに見せるのは、文中で指定する日付になるべく近い日にする。時間がないせいで犯人はすぐに動かざるを得ず、すぐに自分とランダル王国をつなぐ者に連絡しようとするだろう。
犯人だけを捕まえるのではなく、つなぎ役も捕まえなければならない。それはクラーク様も同じ考えで、そうしなければ共謀者は暗号班の犯人が捕まった後に新たな内通者を手に入れようとするだろう。そんな繰り返しを断ち切らなくては。
「わかりました。ではまだ若い僕が油断したように見せます。僕に届けられた暗号を、安易に暗号班全員の目に触れるよう小芝居をします。先生、お願いついでで恐縮ですが、その芝居にも参加していただけますか? ちなみに、僕がこの国で使われている暗号を解読できることは、まだマイクとエドワードおじ様しか知りません」
「部下に隠していらっしゃるのですか」
「僕は前責任者の甥で縁故で採用されたと思っている者もいます。その上、年が若い。いろいろ不満があって当然です。そんな僕が組織を動かす以上、まだしばらくは部下に甘く見られているほうが都合がいい。相手を甘く見ていると油断しますからね」
私は「おっしゃるとおりですわ」と同意しながら驚いていた。五年の間にここまでしたたかになっていたとは。それまで無言で話を聞いていたジェフは、「考え方がそのまんま、若い兄上だな」と、呆れたような感心したような顔だ。
◇
マイクさんが「では」と言って、暗号文書が入った封書を手に諸制度維持管理部へと階段を上がっていく。しばらく時間を置いてから、私も階段を上がった。
打ち合わせどおり、クラーク様はご自分の席で手紙を読んでいる。マイクさんは私が入るのと入れ替わりに部屋を出た。
「クラーク様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。娘のことで急ぎのお話がございます」
「ではこちらに。ああ、そうだ、ジェイコブ、ランダルから報告が入った。翻訳してから報告してほしい」
「承知しました」
一人の男性が部屋の隅の、衝立の向こうの席から立ち上がってクラーク様から暗号の手紙を受け取った。
ジェイコブは三十歳くらい。黒髪の真面目そうな外見の人だった。同時に衝立の向こうにいる二人が顔を上げてこちらを見た。彼らがアーチーとメイソンなのだろう。三人の席を囲む衝立は他の団員の席から距離が取られている。同じ部屋であっても、部屋を移動する際に情報を覗き見されることはなさそうだ。
私とクラーク様は奥の部屋に移動した。
ノンナとクラーク様が婚約直前ということは第三騎士団員に共有されている。全団員の家族構成と婚約者の情報は組織内で共有されているのだ。だから養成所の教員であり婚約者の母である私とクラーク様が勤務中に個人的な話をするのは、「勤務中に非常識」と思われる可能性はあるものの不自然ではない。
「僕が暗号文を渡してから、席を外すほうがいいんです。僕が何も疑っていないと思わせないと。暗号を受け取ったあとの彼らの動きは、尾行担当者が見ています。身内を罠にはめるなら、下準備は丁寧にやらないと」
私とクラーク様は少しの時間を奥の部屋で過ごし、私はそのまま家に帰った。クラーク様、成功をお祈りしてます。






