152 エドワード様からの依頼
我が家に楽しげな笑い声が響いている。ノンナが子供たちを相手にして遊んでいるのだ。
私はバーナード様のお屋敷から、予定よりずいぶん早く戻った。バーナード様がヨラナ様と急遽お出かけすることになったのだ。
ヨラナ様が私に「申し訳ないわね」とおっしゃる。
「博物館に行く途中でバーナード様をお誘いしようと思いついたものだから。何のお約束もしていないのよ。お仕事中なら日を改めるわ」
「いや、私もちょうど博物館に行きたいと思っていたところだ。ビクトリア、すまないが今日はここまでにしてくれるかい?」
「はい、バーナード様。博物館の展示を楽しんできてください」
バーナード様がいそいそとお出かけの準備をしていて微笑ましい。
そんな事情で早く家に戻ったら、賑やかに遊んでいる子供たちの声が外まで聞こえたわけだ。ノンナは歩いて帰ってきた私に気づいていない。
窓から室内を覗いたら、一番広い部屋でノンナが私に背を向けて子供たちに話をしている。
「次は壁を利用した逃げ方ね。勢いをつけて壁を蹴りながら走るの。見ていて」
ノンナが壁に向かって斜めに突っ込み、走ってきた勢いを利用して壁に半円を描きながら向こう側へ走り抜けた。これは壁に靴の跡が残るわね。あとで消さなくては。
「うわああ!」
「すげえ!」
「かっこいい!」
子供たちが大興奮だ。私が見ていないときに何をして遊んでいるのかしらとは思っていたけど、逃げるための技を教えているのか。戦闘系の技は教えなくていいと言った私との約束は、一応守っているわけね。
玄関に回るとバーサが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、奥様。お手紙が届いております」
「そう。ありがとう」
受け取った手紙はエドワード様からだった。女性の字だから、ブライズ様に代筆してもらったらしい。
内容は、クラークとノンナの婚約話について話を聞きたい、というものだった。
本当にその内容なら、私よりもジェフかアンダーソン家に聞くはず。これは何か別の用事があるような。ブライズ様に代筆してもらう都合上、こう書いたのではないか。
すぐに出かけることにした。広間からは相変わらず楽しそうにはしゃいでいる声がしているから、声をかけずに屋敷を出た。
エドワード様のお屋敷に着くと、すぐに執務室に案内された。エドワード様は真っ黒なガラスのメガネをかけていた。
「お久しぶりでございます、エドワード様」
「久しぶりだね。このメガネに驚いたかい? 相変わらず眩しいのがつらくてね。いろいろ試した結果、目に黒い布を巻いているよりこのメガネの方が楽だとわかったんだ」
おそらくエドワード様の眼病は治らない。現在はまだ薬で進行を緩やかにするしか手はなく、エドワード様もそれはご存じのはず。私が気休めを言っても、この聡明な人には見抜かれてしまうだろう。
「痛みが引くといいのですが」
「命は奪われないらしいから、痛みは受け入れるよ。君を呼びだしたのは、クラークの仕事のことなんだ。あの子はよく頑張っていて、部下が全員年上なのにしっかりまとめているとマイクが感心していた。だが……あの組織の中に不穏の芽があるんだ。漏れるはずのない情報が、ランダル王国に漏れている」
「それは、どこから漏れているのか、わかっているのでしょうか」
「暗号を担当をする班の中に裏切り者がいる。これはまだクラークとマイクと私しか知らない。そこで、君の暗号に関する知識を借りて、犯人をあぶり出したいんだ。暗号班に引けを取らない能力があって信用できるのは君しかいない。引き受けてもらえるだろうか」
エドワード様が私にこんな依頼をするなんて、と驚いた。デルフィーヌ様の影武者をするのとは違う。第三騎士団の内部に深く足を踏み入れる役目だ。ここまで私を信用してくれているとは。
「ジェフリーと話し合ってからお返事をしたいので、少し、お時間をください」
「できれば明日のこの時間までに返事がほしい。暗号班は諸事情が重なって、今は三人しかいない。近々新しい者を補充する予定だが、人員を補充する前に犯人を見つけたい。それがクラークの考えで、私も同じ意見だ」
暗号班の人たちが信じ込むような暗号文を使って、裏切り者を見つけろということか。
私が暗号の作成と解読を得意としていることを、エドワード様はなぜ知っているんだろう。バーナード様から贈られた本を読んで、金鉱と行方不明の王女の行方を見つけた件だろうか。
夜、ジェフリーにこの話をすると「なんで君なんだ」とは言ったものの、「こんな仕事を頼める人で、君以上に暗号に詳しい人がいないと判断したんだろうな」とため息をついた。
「それで、君はどうしたい?」
「引き受けたいです。私が暗号を考えてランダル王国に関わる偽情報を流します。それを読んだ暗号班の誰がどう反応するか、各人の動向を探ってみようかと」
「では、クラークを我が家に招いて打ち合わせをしよう。ノンナも会いたいだろうし。兄上には俺からその旨を伝えるよ。ちょうど母上の顔を見に行こうと思っていたんだ。クラークにも俺が連絡する」
一族が密接につながっていると、こういう場合に都合がいい。
ノンナ、クラーク様、ジェフ、エドワード様、私。誰が誰に会っても不思議ではない。これはとても便利で都合がいいけれど、この中の誰か一人でも邪な考えを持ったら、国にとって危険な集団になるわけだが。
エドワード様がそれを考えないはずがないのに、私とジェフだけでなくノンナとクラーク様の縁談に反対しない。私たち全員を信用できると判断されたのだ。
エドワード様は視力を失い始めた頃から変わったような気がする。
誰かに大切な組織を任せるということは、その人を信じなければならない。
クラーク様に第三騎士団を任せた時点で、エドワード様は体だけでなく心も切り替えたのかもしれない。
それに、前任者のエドワード様がいつまでも指揮系統の頂点にいては、クラーク様が力を発揮できないと考えたのか。
翌朝、ジェフがエドワード様とクラーク様に連絡するため、早めに屋敷を出発した。私は彼を見送ってから羊牧場に向かう準備をした。
「お母さん、今日はどこに行くの?」
「羊牧場に行くの。久しぶりにマイルズさんと話をしたくて」
「私と子供たちも一緒に行っていい?」
「もちろんいいわよ。マイルズさんと子供たちを会わせたいと思っていたから、むしろちょうどよかったわ」
牧場に着くと、マイルズさんは羊舎の掃除をしていた。相変わらず元気そうで顔色もいい。私がノンナと六人の子供たちを連れて声をかけたら驚いている。
「いったい何事だい?」
「我が家で引き取った子供たちなの。紹介しますね」
六人の子供たちを順番に紹介してから「子供たちを羊と触れ合わせたいんですけど、いいかしら」と聞いた。
「もちろんかまわない。好きなだけ羊たちと遊ばせればいい」
「助かります。この子たちの性格に合っていて自立できる道を見つけてあげたくて。そのためにいろんな経験をさせてやろうと思っているんです」
「わかった。気の荒い羊はいないから安心してくれ。羊の世話を好む子がいたら、俺がその先の面倒を見よう」
「よろしくお願いします」
六人の子供たちは王都で生まれて王都の中で育ってきた子たちだから、羊は見るのも触るのも初めてだろう。全員が羊から距離を置いて様子見をしている。さっそくノンナがみんなの前でお手本を示そうとした。
「大丈夫大丈夫。みんなおとなしくて人懐っこい羊ばかりだから」
そう説明したノンナは相変わらず羊たちに避けられていて、ノンナが近づくと羊たちがさっと避ける。「待ちなさい!」と走って近寄ると羊も走って逃げる。その様子を見ていた子供たちが我慢できなくなって笑い出した。
「ノンナお姉ちゃん、羊に嫌われてない?」と八歳のチャドが言い、同じく八歳のリンダが「嫌われてるように見える」とつぶやいた。
息を切らせて戻ってきたノンナに、五歳で最年少のホリーが「ノンナお姉ちゃん、羊に嫌われてる!」と無邪気に言った。
「嫌われていないわ。好かれてないだけ!」
ノンナがそう反論して、子供たちとマイルズさんが一斉に笑った。私も我慢できずに笑ってしまった。
最初は緊張していた子供たちも、マイルズさんの手ほどきを受けて羊を撫でたり手から草を食べさせたりしている。
帰る頃にはノンナ以外の全員が羊と仲良く触れ合っていて、いい時間を過ごすことができた。
帰りの馬車で、「結果が良ければ全て良しね。私はまあ、ちょっと避けられたけど」とノンナがつぶやいて、私は思わず「くっ」と笑ってしまった。
夜、子供たちが寝入ってからエドワード様の話を考えた。裏切り者が食いつきそうな内容の暗号を考えなくては。
クラーク様と相談して、いかにもありそうな偽話を暗号にして食いつかせるのだ。
暗号班に所属している三人の名前はエドワード様から教えてもらっている。
ジェイコブ、アーチー、メイソン。
第三騎士団の礎を蝕んでいるのは、このうちの誰なのだろう。そう考えていたらジェフが部屋に入ってきた。
「すごく生き生きしているな」
「そ、そんなふうに見えます?」
「うん、見える。あんまり楽しそうで、ちょっと妬ける」
「妬けるだなんて。私がエドワード様に信用してもらえたのも、手を荒らすことなく豊かな暮らしができるのも、全部あなたがいてくれるからだわ。引き取った子供たちのことだってそう。二つ返事で私の勝手を許してくれた。あなたのおかげで、私の幸せがあるの」
そう言うとジェフが私の肩に腕を回して引き寄せた。
「俺の奥さんはすごい人なのに、実に謙虚だ」
「だって事実ですもの。いろいろあったけれど、あなたに出会えた。ノンナも健康で素直に育ってくれている。おなかを空かせている子供たちを引き取って世話をしてやれる。私の人生は幸運続きだわ」
「アンナ……」
ジェフが私にそっと口づけた。
「君のそういう前向きな強さに、俺は最初から惹かれたんだよ」
その後のビクトリアの話を、ゆっくりでも少しずつ書いていけたらと思っています。
2026年6月25日に小説『手札が多めのビクトリア』4巻が刊行されます。
牛野先生のカバーイラスト、口絵と挿絵が素晴らしいです。
番外編をたっぷり書きました。お楽しみいただけますように。
番外編のおおよその内容は、近日中に活動報告でお知らせします。






