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第六章 婚約によって与えられたもの

「アルベルト」


彼が振り返る。


「クラリス」


エレノアが礼をした。


クラリスは微笑んだ。


「少々、婚約者をお借りしても?」


エレノアが離れた。


二人になる。


「どうしたの?」


穏やかな声。


それが。


なぜか腹立たしかった。


「随分楽しそうでしたわね」


「エレノア嬢と?」


「ええ」


「セルディア領の水路について聞いていたんだ。公爵から任されている計画に使えると思って」


何も悪くない。


分かっている。


それでも。


「随分と、ご自分に自信をお持ちになったようですわね」


アルベルトが目を瞬いた。


「何の話?」


「お父様から仕事を任され、王太子殿下にも評価され、他家の方々とも対等に話せるようになって」


「クラリス?」


「もう、ご自分がアーデルハイド家の人間になったおつもりなのですか」


言った瞬間。


アルベルトの表情が変わった。


けれど。


止まれなかった。


「僕は、そんなつもりは」


「でしたら、ご自分の立場をお忘れにならないことですわ」


「立場?」


クラリスは。


本当は言いたかった。


あなたはわたくしの婚約者なのだから。


他の女性へ、そんな顔をしないで。


それだけだった。


しかし口から出たのは。


最も残酷な形だった。


「あなたが次期アーデルハイド公爵候補なのは、わたくしの婚約者だからです」


アルベルトが動かなくなった。


「……」


「お父様があなたへ仕事を教えているのも、いずれわたくしと結婚し、養嗣子となる予定だからでしょう」


「……そう、なのかな」


声が小さい。


その言葉を聞いて。


クラリスはさらに苛立った。


何に。


自分自身に。


それすら分からなかった。


「当然でしょう」


言い切った。


「あなたの能力だけを見て、アーデルハイド公爵家が次期公爵に選んだわけではありません」


アルベルトの顔から。


血の気が引いた。


「婚約がなくなれば、あなたは次期公爵でも、公爵家の後継者でもありません」


「……」


「ただのレイヴァン子爵家三男に戻るのです」


近くを流れていた音楽が。


急に遠く感じられた。


アルベルトは長いこと何も言わなかった。


クラリスの胸に。


ようやく恐怖が生まれた。


「アルベルト」


「そうか」


彼が言った。


「僕は」


一度。


目を閉じた。


「勘違いしていたんだね」


「違――」


違う。


言おうとした。


けれど。


アルベルトは続けた。


「公爵が僕に仕事を任せてくれたのも」


「アルベルト」


「家令さんや文官のみんなが認めてくれたように見えたのも」


「待って」


「王太子殿下が褒めてくださったのも」


クラリスは。


息をすることができなかった。


「全部、僕が君の婚約者だったからなんだ」


「そういう意味では」


ようやく口にした。


しかし。


遅かった。


アルベルトは一歩下がった。


深く。


正式な礼をする。


「よく分かりました。アーデルハイド公爵令嬢」


「やめて」


「今まで、身の程も知らず申し訳ありませんでした」


「アルベルト!」


彼は顔を上げた。


笑っていた。


ひどく静かな笑顔だった。


「もう、何もしないから」


そして。


歩いていった。


クラリスは追おうとした。


けれど。


腕を掴まれた。


ユリウスだった。


「離してください!」


「何を言った」


「今はアルベルトを」


「何を言った!」


見たことのない顔だった。


クラリスは答えた。


ユリウスの顔から血の気が引く。


そこへエドワードも来た。


事情を聞く。


長い沈黙。


そして。


王太子は低く言った。


「クラリス嬢」


名前ではなく。


公爵令嬢に対する呼び方だった。


「君は今、自分が何を言ったか理解しているか」


「……」


「ハインリヒ公爵が彼へ仕事を任せているのは、君の婚約者だからではない」


クラリスが顔を上げる。


「私は半年以上、彼の報告を読んでいる」


「殿下」


「卒業後、王太子府の領政会議に参加してもらうつもりだった」


「……アルベルトを?」


「能力があるからだ」


クラリスの足元が揺れたように感じた。


エドワードは続けた。


「君は今、彼が自分で積み上げたものを、全部『婚約者だから与えられただけだ』と言った」


返す言葉はなかった。


「明日」


クラリスはようやく言った。


「明日、謝ります」


王太子は。


しばらく彼女を見た。


「……明日が間に合えばいいが」


その言葉の意味を。


クラリスはまだ。


理解していなかった。


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