第二章 王城へ行く理由
王太子エドワードが主導する北東部穀倉地域整備計画は、王国にとって重要な国家事業だった。
王都へ供給される穀物の三割近くを担う北東部では、近年洪水と街道の老朽化が重なり、輸送効率が低下している。
そこで王家が中心となり、アーデルハイド公爵領をはじめとする複数の大領地をまたいで、河川、水路、街道、倉庫を一体的に整備する計画が始められていた。
ハインリヒ公爵は領地側の中心人物。
アルベルトはその実務を手伝う。
一方、クラリスには別の役割があった。
王家とアーデルハイド家を結ぶ、宮廷側の窓口である。
幼少期から王城へ出入りし、王太子エドワードとも第二王子ユリウスとも親しい彼女は、正式な決裁権こそ持たないものの、王家側の意向を父へ伝え、公爵家側の事情を王家へ説明する役を担っていた。
ある日の昼休み。
学園の廊下でユリウスに呼び止められた。
「クラリス、今日王城へ来られるか」
「何かございましたの?」
「セルディア侯爵から水利権の条件変更が来た。兄上が公爵家の感触を先に知りたいらしい」
「急ぎですか」
「できれば今日だ」
それなら仕方がない。
その日はアルベルトとの茶会だった。
クラリスは侍女を通じて中止を伝えた。
王城へ赴く。
エドワードの執務室には、すでに資料が並んでいた。
二十三歳の王太子は若いながらも政務に慣れており、弟ほど気軽に冗談を口にする人物ではない。
「セルディア側は取水量を二割増やしたいと言っている」
「それでは下流のアーデルハイド領に影響が出ます」
「私もそう思う。公爵の意見を聞いてくれ」
クラリスは頷いた。
それは必要な仕事だった。
だから罪悪感はなかった。
問題は、その翌週だった。
またユリウスから連絡が来た。
『兄上が、先日の報告書について一箇所だけ確認したいらしい』
その日も茶会だった。
クラリスは尋ねた。
「急ぎですの?」
「いや」
ユリウスはあっさり答えた。
「明日でも構わない。茶会なんだろ」
クラリスは一瞬黙った。
今日の茶会では、アルベルトへ言うつもりだった。
父が彼の資料を王城へ提出したこと。
王太子も評価していたこと。
そして。
頑張っていますわね、と。
その光景を想像すると、急に落ち着かなくなった。
二人きり。
向かいに座るアルベルト。
自分が褒める。
彼が笑う。
その瞬間、自分がどんな顔をしてしまうのか分からない。
「王太子殿下をお待たせするわけには参りません」
結局、そう言った。
ユリウスが眉を上げる。
「明日でもいいと言ったぞ」
「王家のご用ですもの」
「お前」
少し間を置いて。
「茶会から逃げてないか」
クラリスの顔が熱くなった。
「何をおっしゃいますの」
「俺のところへ来る時と、アルベルトのところへ行く時で顔が違う」
「失礼ですわね」
「俺や兄上なら平気なんだろ。昔から知ってるから」
「当然でしょう」
「でもアルベルトと二人になると緊張する」
何も言えなかった。
図星だった。
ユリウスはため息をつく。
「ちゃんと話せよ」
「何をです」
「何でもいい」
そして歩き出しながら言った。
「公務を逃げ道にするな」
クラリスはその背中を睨んだ。
その日も王城へ行った。
アルベルトは一人で茶を飲んだと、後で侍女から聞いた。
胸が少し痛んだ。
それでも。
次は必ず。
そう思った。
だが次の週にも、王城から小さな用件が入った。
その次にも。
どれも嘘ではない。
必要な仕事だった。
ただ。
茶会を中止しなければならないほど急ぎではない日まで。
クラリスは王城を選んだ。
アルベルトなら理解してくれる。
彼は優しい。
王家との付き合いが公爵家にとって重要だということも分かっている。
だから大丈夫。
そう考えるたび。
二人の間には、言葉にされない距離だけが増えていった。




