よう吠えはりますなぁ
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
七日後。
朝日に照らされた世界樹は、何事もなかったかのように枝葉を揺らしていた。澄み切った空には雲一つなく、穏やかな風が帝国中を吹き抜けている。だが、その静けさとは裏腹に、世界樹の広場には張り詰めた空気が漂っていた。妖もエルフも息を潜め、ただ一つの来訪を静かに待ち続けている。
広場の中央には椿が立っていた。
白き着物の左袖だけを肩から抜き、白木へ白銀の装飾が走る月詠を薙刀へ変えて静かに地へ突き立てる。その姿は凛として美しく、女帝の名に相応しい威厳を纏っていた。右にはスクナ、左にはルシフェル。その後方にはセデスとカザンが並び、足元では巨大な姿となったコマが低く唸り声を漏らしている。誰一人として武器を構えてはいない。それでも広場を満たす空気は、戦場以上に張り詰めていた。
やがて世界樹の門がゆっくりと開く。
十数人の護衛兵を従え、一人の男が悠然と広場へ足を踏み入れた。
年は五十を過ぎた頃だろうか。
でっぷりと脂の乗った腹は豪奢な衣の帯を今にも弾き飛ばしそうに膨れ、幾重にも重なった顎肉が歩くたび醜く揺れる。太い指には宝石をこれでもかと嵌め込み、首元には黄金の鎖が何本も垂れ下がっていた。その姿は使者というより、権力と贅沢をそのまま着飾ったような男だった。
男は周囲を見渡すと、世界樹へ興味も示さず鼻で笑う。
妖たちを一瞥しても、その目には侮蔑しか映っていない。
最後に椿を見つけると、顎をしゃくり上げ、不遜な笑みを浮かべた。
「ほう、お前がヤタガラス帝国の女帝か。噂より随分と若いじゃないか。もっとも、女が国を治めている時点で底が知れているがな」
男は返事も待たず、ゆっくりと椿の前まで歩み寄る。
その態度には一片の敬意もない。
交渉へ来た人間ではなく、勝者が敗者へ慈悲を与えに来たと言わんばかりだった。
「七日、待ってやった。感謝するといい。では聞こう。降伏か、それとも蹂躙か。どちらを選ぶ」
下卑た笑みが広場へ広がる。
その笑みを前にしても、椿は微動だにしなかった。
使者の笑い声だけが広場へ響く。
それでも椿は微動だにしなかった。薙刀へ添えた手も、真っ直ぐ前を見据える瞳も、一切揺らぐことはない。風が袖を揺らし、世界樹の葉がさらりと鳴る。その静けさが、かえって男の声だけを虚しく響かせていた。スクナは無言のまま柄へ手を添え、カザンは獰猛な笑みを浮かべる。ルシフェルだけは静かに目を開き、紅い瞳で使者を見据えている。その瞬間、男は初めて言葉では説明できない寒気を覚えた。
「……よう喋る使者やな。言いたいことは、それで終わりか」
椿はゆっくりと顔を上げる。
黒曜石のような瞳が、真っ直ぐ使者を射抜いた。
「質問は一つだけや。あんたは使者として来たんか。それとも、喧嘩売りに来たんか」
「何だと?」
「返事くらい、ちゃんと聞いとかなあかん思うてな」
その声は穏やかだった。
怒りもない。
焦りもない。
ただ静かに問い掛けているだけ。
それなのに、広場の空気は一段と冷え込んでいく。世界樹の枝葉がざわりと揺れ、巨大化したコマが低く喉を鳴らした。スクナは使者から一瞬たりとも目を逸らさず、ルシフェルは腕を組んだまま静かに立っている。誰も動かない。ただそこに立っているだけで、使者の額にはじわりと汗が滲み始めていた。
「ふ、ふん……。威勢だけは大したものだ。立場が分かっておらんようだな。貴様らに選択肢などない。あるのは降伏か、滅びか、その二つだけだ」
男は笑みを作ろうとした。
だが、その笑みは先ほどまでの余裕を失っていた。
椿は小さく息を吐く。
そして月詠の石突を静かに地へ打ち付けた。
ゴン、と重い音が世界樹の広場へ響く。
使者は思わず息を呑み、無意識に椿の瞳を見返した。穏やかなはずの眼差しには、一切の揺らぎがない。ただ王として立つ者だけが持つ、絶対の覚悟だけが宿っていた。
「よう喋らはりますね。ほな、今度はうちが答える番やねぇ。降伏もせぇへんし蹂躙される気もあらへん。あんたが持って帰る返事は、それだけでええ」
使者の頬がぴくりと引き攣る。
予想していた答えではなかった。脅せば揺らぐ。威圧すれば頭を下げる。そんな筋書きは、椿の一言で跡形もなく崩れ去る。世界樹を背負い立つその姿は、一国を治める王そのものだった。広場に集う妖もエルフも誰一人として口を挟まない。ただ女帝の言葉を静かに見届けている。
「ふざけるな! 誰に向かって口を利いている! 我らはバルガム合衆国の使者だぞ! その返事一つで貴様らの国が滅ぶことになる! もう一度だけ聞いてやる! 降伏か、蹂躙か! 選べ!」
怒声が広場へ響く。
それでも椿は表情一つ変えなかった。ゆっくりと薙刀を持ち上げ、白銀の刃を朝日へかざす。その輝きは眩しく、まるで世界樹そのものが女帝へ力を貸しているかのようだ。
「選ぶんは、あんたらやない。こんなところまでのこのこやって来て」
椿は一歩、前へ踏み出す。
「うちらを屈服させられる思うたんか」
椿は薙刀をゆっくりと構える。
その姿に呼応するように、世界樹の結界が白銀の光を放ち始めた。コマは低く唸り、スクナは柄へ手を添え、ルシフェルは静かに目を開く。誰一人として動いてはいない。それでも広場を満たす威圧感は、使者の呼吸を奪うには十分だった。
「ヤタガラス帝国女帝、一宮椿の名において宣言する」
椿は静かに笑う。
「売られた喧嘩は高値で買うさせていただきます」
その宣言は、世界樹の広場だけではなく、帝国中へ響き渡るような重みを帯びていた。
使者の喉が大きく鳴る。先ほどまで広場を見下ろしていた男は、今や一歩も前へ出られなくなっていた。薙刀を手に立つ女帝。その背後に控える者たちは誰一人として武器を構えていない。それでも、この場へ満ちる威圧感だけで膝が笑い始める。世界樹の枝葉は静かに揺れ、白銀の結界が淡く脈打っていた。
「き、貴様……! 本気で合衆国へ逆らうつもりか! この意味、分かっとるんやろうな!」
椿は小さく目を細め呆れたように、小さく息を吐いた。
「よう吠えはりますなぁ。そんな大きな声出さんでも、ちゃんと聞こえてますえ」
使者の頬が引き攣る。
椿は薙刀を軽く肩へ預けると、ふっと口元だけで微笑んだ。
「せやけど、あんまり騒がはると、うちの子が噛み付いてしまうかもしれませんなぁ」
その言葉と同時に、コマが低く唸る。
鋭い牙が覗き、地面を踏み締めた前足が石畳へ小さな亀裂を走らせる。
使者は思わず半歩退いた。
椿はそんな様子を見ても表情一つ変えない。
「安心しとくれやす。うちかて無駄な血は流したぁあらしまへん。今やったら、ちゃんと歩いて帰れますさかい」
目の前の女帝は笑っているはずなのに、その笑みの奥には一切の情けが見えなかった。
「……返事は、もう聞かはりましたやろ」
椿は薙刀の石突を静かに地へ打ち付ける。
鈍い音が世界樹へ響き渡る。
「次、この国の土を踏む時は」
椿は使者を真っ直ぐ見据えた。
「使者やのうて、敵として迎えます」
風が吹き抜ける。
その一瞬、広場を満たしていた全員の殺気が使者へ向けられた。
男の顔から血の気が引いていく。
「ひ、引けぇぇぇ!!」
新連載!【獄門道中閻魔大王への道】を始めました!
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