椿の覚醒
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
重い瞼がゆっくりと開く。
滲んでいた視界が少しずつ輪郭を取り戻し、最初に映ったのは見慣れた紅い瞳だった。静かにこちらを見下ろすその姿を認めた瞬間、椿は小さく目を見開く。最後の記憶はクリムゾンの呪が全身を蝕み、意識が闇へ沈んでいったところで途切れていた。
「……ルシフェル? なんでここに……それに、クリムゾンは」
「私が討った」
椿は起き上がろうとするが、胸へ鋭い痛みが走り、小さく息を呑んだ。身体へ力が入らない。それでもクリムゾンの名を聞いた瞬間、張り詰めていた糸が切れたように肩から力が抜けていく。助かったはずだった。終わったはずだった。なのに胸の奥は少しも軽くならない。
ルシフェルは椿の耳元へそっと手を伸ばいた。赤い耳飾りが微かに光を残したまま揺れている。
「覚えているか。旅立つ前、お前へ渡した耳飾りだ。私の血から作った。命が尽きようとした時だけ、私を強制的に呼び寄せる術式を刻んである」
椿は耳飾りへ静かに触れる。冷たいはずのそれは、不思議と温もりを残していた。あの瞬間、本当に自分は死にかけていたのだとようやく実感する。唇を結び、小さく俯いた。
「……助けてもろたんやね」
「間に合ってよかった」
その穏やかな一言を聞いた途端、白い影が勢いよく飛び込んできた。
「ツバキぃぃぃ!! もう起きないかと思ったの!」
コマは涙をぽろぽろ零しながら顔を擦り寄せ、何度も何度も甘えるように鳴く。椿は思わず頬を緩めると、震える頭を優しく撫で続けた。温かな毛並みが指先へ触れるたび、生きて帰れたことだけは本当なのだと胸へ染み込んでいく。
「心配かけてしもたな、ごめんな」
「謝らないで! ツバキが生きてる、それだけでいいの!」
コマは何度も首を横へ振る。その姿が愛おしくて、椿は小さく笑った。けれど、その笑みはすぐに消える。視線は自然と震える自分の手へ落ち、指先を強く握り締めた。ジャックから託された革命も、仲間の想いも、守ると誓った人たちも、自分は何一つ守れなかった。その事実だけが胸へ重くのしかかる。
「……あかんな。任されたのに、結局私は何もできへんかった。また……助けられてばっかりや」
その弱音だけは、誰にも聞かせたことがなかった。
ルシフェルとコマ。
この二人の前でだけ、椿は肩書きも強がりも捨て、一人の少女として本音を零すことができた。
ルシフェルは何も言わなかった。
腕の中で震える椿を、ただ静かに抱き締める。慰めの言葉は掛けない。それで前を向けるほど、この少女は弱くないことを知っていた。強さも弱さも抱えたまま、自分の意思で立ち上がる。その姿を誰よりも信じているからこそ、今はその温もりを支えることしかしなかった。
その時だった。
王城の外から腹の底を揺らすような咆哮が轟く。空気が震え、崩れかけた天井から小石がぱらぱらと降り注いだ。続けざまに二度、三度と響く叫びに、椿もルシフェルも同時に顔を上げる。
「……まさか!」
「馬鹿な。クリムゾンは確かに滅ぼした」
コマも耳を伏せ、不安そうに外へ視線を向けた。
「なんでなの……? 血の悪魔はクリムゾンが生み出したはずなの!」
咆哮は止まらない。遠くでは建物が崩れる音と剣戟が重なり、人々の悲鳴が風に乗って微かに届いてくる。王都ではまだ戦いが終わっていなかった。その現実だけが重苦しい沈黙となって三人へ圧し掛かる。
「コマの結界は……! コマの目が届く人しか守れないの! 街のみんなは……!」
椿はゆっくり目を閉じた。
また守れない。
また誰かが傷付く。
その言葉が胸の奥で何度も繰り返される。唇を強く噛み締めると、椿はそっとルシフェルの腕から身を離した。まだ身体は重く、傷も痛む。それでも足を止める理由にはならない。崩れた玉座を越え、瓦礫を踏み締めながら城壁の上まで歩いていく。
吹き抜ける風が頬を撫でた。
眼下には王都が広がる。必死に戦う革命軍、民を庇いながら剣を振るう帝国兵、泣き叫び逃げ惑う人々。その誰もが、生きるために抗っていた。椿はその光景を静かに見つめ、震える拳を胸の前でゆっくり握り締める。
「……私は弱い」
その言葉は、不思議なほど素直に口から零れた。
クリムゾンには届かなかった。
任された戦いも、自分の力だけでは終わらせられなかった。
守ると誓ったのに、また誰かに救われた。
悔しい。
情けない。
それでも、その事実から目を逸らしたくはなかった。
「心も、力も、まだまだや。でも……」
一度だけ深く息を吸う。
月詠を握る手から迷いが消えていく。
「それでも私は、守りたい」
泣いている人がいるなら。
手を伸ばいてくれる仲間がいるなら。
私は、何度でも立ち上がる。
その願いが、世界へ届いた。
――ギフト発生条件を満たしました。
――第一段階認証。
――覚醒を承認します。
――神なる意思を検知。
――対象を巫女と認定します。
世界が静まり返る。
吹き荒れていた風は止み、崩れかけた城から落ちる瓦礫さえ時を忘れたように宙へ留まっていた。椿の身体から溢れた白金色の神気は静かに天へ昇り、長い黒髪を柔らかく揺らしていく。琥珀色の瞳は月光を映したように澄み渡り、その姿を前にコマは息を呑み、ルシフェルも静かに目を細めた。
「これは……」「ツバキ……」
月詠が小さく震える。
長い時を経て、本来あるべき主へ辿り着いた安堵にも似ていた。椿は静かに弓を握り締める。その瞬間、胸の奥へ一つの響きが流れ込んでくる。闘いの中で幾度となく意味も分からぬまま口ずさんできた言葉。その一つ一つが鮮やかに繋がり、椿は初めて理解する。
ーーこれは祝詞。
人が神へ願うための祈りではなく、神の言葉を、この世へ伝えるための言葉だった。
「畏み、畏み申す。天つ理、地つ理、八百万の理を乱せし禍津ものよ。
我、神の言霊を借り受け、ここに宣る。
汝、神意に背くことを許されず。
穢れは祓われ、邪は鎮まり、禍津ものはあるべき理へ還らん。──破魔。」
椿はゆっくりと弓を引く。
番えられた神気は一本の破魔矢となり、月詠と呼応するように白金色の輝きを放った。その清らかな光は王都全体を包み込み、剣を振るっていた革命軍も帝国兵も、逃げ惑う民でさえ思わず空を見上げる。誰もが息を呑み、その一矢から目を離せなかった。
弦が澄んだ音を響かせる。
放たれた破魔矢は夜空を真っ直ぐ駆け上がり、天高く達した瞬間、幾筋もの神光となって王都へ降り注いだ。神の言葉を宿した矢は血の悪魔だけを迷うことなく射抜き、その身体は断末魔を上げることなく白い光へ包まれていく。穢れだけが静かに祓われ、夜風へ溶けるように消え去ると、王都を覆っていた禍々しい気配もまた、跡形もなく消え失せた。
王都を覆っていた静寂は、一拍遅れて人々の耳へ届いた。
誰も剣を振るれない。革命軍も帝国兵も、ただ空を見上げたまま立ち尽くしていた。街を蹂躙していた血の悪魔は一体残らず消え去り、夜空を覆っていた禍々しい気配も跡形なく晴れ渡っている。
「……消えた」
誰かの呟きをきっかけに、王都中へざわめきが広がった。
「終わったのか……」「助かった……!」「生きてる……!」
安堵は歓喜へ変わる。膝をついて泣き崩れる者、互いの無事を確かめ合う革命軍、力なく剣を下ろす帝国兵。敵も味方も関係なく、生き残ったという事実だけが、その場にいた全員の胸を満たしていた。
ジャックは血に染まった剣を鞘へ納め、静かに王城を見上げる。夜空へ残る白金色の光。その中心へ立つ小さな人影を見つめると、小さく息を吐き、時計台を駆け上がった。そして街を見下ろした。
「聞けぇぇぇぇッ!」
その一声だけで王都は静まり返る。革命軍も兵も、民たちまでもが一斉にジャックを見上げた。
「クリムゾンは討たれた! 血の悪魔も消えた! 俺たち革命軍の勝利だぁぁぁッ!!」
次の瞬間、地鳴りのような歓声が夜空を突き抜けた。剣を掲げる者、抱き合って涙を流す者、その場へ崩れ落ちて嗚咽する者。革命軍だけではない。クリムゾンの支配を強いられてきた帝国兵たちもまた、肩の荷が下りたように天を仰ぎ、静かに涙を流していた。
その歓声を、城壁の上で椿は静かに聞いていた。クリムゾンを討ったのはルシフェルだ。自分はまた救われた。それでも、この笑顔だけは守ることができた。その光景を胸へ刻みながら、椿はそっと目を細める。王都を吹き抜ける夜風は、戦いの終わりを告げるように、どこまでも穏やかだった。
新連載!【獄門道中閻魔大王への道】を始めました!
ギャグ×和風ファンタジーです!よければそちらもご覧ください!
毎日20時更新です!
ブックマーク 評価 応援よろしくお願いします!




