決着
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
クリムゾンはゆっくりと立ち上がる。
裂けた胸元から流れる血を指先ですくい上げ、そのまま静かに舐め取った。紅い双眸が妖しく細まり、口元には愉悦が滲む。長き生の中で忘れかけていた昂揚が、全身を満たしていく。
「見事だ、王弟。余へここまで傷を刻んだ者は数えるほどしかおらぬ。ならば褒美をくれてやろう。始祖より受け継がれし真なる血、その神髄を見せてやる」
赤い魔剣をゆっくりと天へ掲げる。
刀身を伝った鮮血は滴ることなく宙へ浮かび、一滴、また一滴と空間へ紅い文字を刻み始めた。古代文字にも似た紋様は幾重にも重なり合い、巨大な魔法陣を織り上げていく。その中心から漏れ出した鼓動は、生き物のものではない。数千年という歳月を越え、なお飢え続ける怪物の心音だった。
「悠久の夜を統べし紅き始祖よ。骸を喰らい、魂を啜り、永劫の王座へ君臨せし者よ。我が血を贄とし、その御名を今ここへ刻む」
クリムゾンは瞳を閉じる。
魔法陣がゆっくりと回転を始めた。
「永久なる渇きは終焉を知らず。万象は血へ還り、命は王へ跪く。さあ目覚めよ。世界を紅に染めし始まりの王よ」
ゆっくりと目を開く。
紅い双眸が妖しく輝いた。
「顕現せよ……《始祖血界・ブラッドエクリプス》」
詠唱が終わる。
轟音は響かなかった。
その代わり、世界から音が消える。
空気は重く沈み、広間を満たしていた光は一瞬で呑み込まれた。赤黒い霧が静かに漂い始める。その霧は視界だけでなく、魔力さえ蝕み、生ある者の鼓動を狂わせていく。呼吸をするだけで肺へ鉄錆の匂いが染み込み、立っているだけで命を吸われるような錯覚に襲われた。
玉座の間は、もはや城ではない。
そこは始祖吸血鬼が支配する、永遠の夜だった。
コマは思わず息を呑む。
神獣として幾多の魔力を見てきた。その本能が、目の前の存在へ警鐘を鳴らす。これは魔法ではない。世界そのものを書き換える、始祖だけに許された権能だった。
ルシフェルは赤黒い霧の中で静かに立ち尽くす。
その紅い双眸だけが、揺らぐことなくクリムゾンを見据えていた。
「……そうか」
短く漏らした声には、焦りも驚きもない。
静かな吐息だけが、赤黒い世界へ溶けていった。
ルシフェルは赤黒い霧の中を静かに見渡した。
濃密な呪が空間そのものへ染み込み、世界の理を書き換えている。生きる者は血へ従い、死さえ王の支配下へ置く絶対領域。数千年積み重ねられた始祖の権能は、確かに並の存在では届かぬ高みへ至っていた。それでもルシフェルの表情は、微塵も揺らがない。
「……そうか。それが貴様ら吸血鬼一族の誇りか。悪くない。長い年月を積み重ねた理由だけは理解できた」
クリムゾンは口角をゆっくりと吊り上げる。
「理解したのなら跪け。この世界で余は始祖そのもの。血ある者は誰一人として余へ逆らえぬ。王とは支配する者だ。命も魂も、その生き様さえ余の所有物となる」
その言葉が落ちた瞬間、広間を満たしていた闇が脈打った。
漆黒の魔力は静かに天へ昇り、血の霧を押し退けるように空を覆っていく。音はない。ただ世界だけが息を潜め、あらゆる存在が終焉の訪れを待つように沈黙した。
クリムゾンは眉をわずかに動かした。
初めてだった。
始祖血界へ踏み込みながら、その理に呑まれぬ存在を目の当たりにしたのは。
「……死神の血だと」
ルシフェルは答えない。
静かに瞳を閉じると、大鎌を胸の前へ掲げた。柄へ添えた指先から漆黒の紋様が広がり、刃を包む闇は夜よりも深い色へ変わっていく。その魔力には禍々しさすらない。ただ、すべての命へ必ず訪れる終わりだけが、そこに在った。
「冥府の深淵より来たれ。輪廻を司り、命の灯火を見届けし静寂の王よ。生と死の狭間に眠る悠久の理を今ここへ示せ。我が魂を依代とし、万象へ等しき終焉を刻め」
大鎌が静かに震える。
刃先から零れ落ちた一滴の闇が石床へ触れた瞬間、世界が反転した。
赤黒く染まっていた始祖血界へ、漆黒の紋様が一本、また一本と走っていく。それは血を消すのではない。血という概念そのものへ死を与え、存在を終わらせていた。
ルシフェルはゆっくりと瞳を開く。
紅い双眸は、まるで冥府そのものを映しているように静かだった。
「顕現せよ……《冥王終焉・ネクロシス・レクイエム》」
詠唱が終わる。
玉座の間を覆う赤黒い霧は揺るがない。巨大な魔法陣は脈打ち続け、始祖血界はなお広間を支配していた。クリムゾンは魔剣を肩へ担ぎ、ゆっくりと笑みを深める。
「これで幕引きだ、王弟。余の世界へ足を踏み入れた時点で、貴様の結末は決まっていた」
その声が消えるより早く、魔法陣の中心へ一本の黒い亀裂が走った。
細い裂け目だった。
だが次の瞬間には紅い術式を喰らうように広がり、幾重にも重なっていた紋様が次々と崩れ始める。空を覆っていた血の霧は支えを失い、静かに零れ落ちた。
クリムゾンは魔剣を振る。
血は動かない。
もう一度振る。
応えない。
王の命令を拒むように、血は石畳へ滴り落ちるだけだった。
「……ほう」
低く漏れた声。
それでも王は狼狽えない。
崩れゆく始祖血界を見上げ、ゆっくりとルシフェルへ視線を戻す。その紅い双眸から初めて笑みだけが消えた。
「面白い。余の権能へ触れた者はいた。傷を付けた者もいた。だが、世界そのものを揺るがした者は貴様が初めてだ」
ルシフェルは足を止めない。
大鎌を肩へ担いだまま、ただ真っ直ぐ歩く。その視線はクリムゾンだけを捉えていた。
「……終わりか」
それだけだった。
クリムゾンは鼻で笑う。
「終わる? 余がか。笑わせるな。王とは最後の一滴まで王であり続けるものだ」
砕けゆく始祖血界から残された血が一斉に刀身へ集まる。刀身は深紅の輝きを放ち、握る腕が裂けようと、肉が弾けようと、クリムゾンは魔力を注ぎ続けた。
「ならば見届けよ、王弟。これが余の最期にして、始祖の血を継ぐ王の一太刀だ」
石床が爆ぜる。
紅い閃光が一直線に駆けた。始祖の血、数千年積み重ねた魔力、そのすべてを乗せた最後の一撃。空間を裂き、万物を呑み込まんとする魔剣がルシフェルへ迫る。
ルシフェルは退かない。
静かに大鎌を振り上げ、真正面から迎え撃つ。黒と紅の魔力が激突した瞬間、王城全体を揺るがす轟音が響き渡った。砕けた玉座が宙を舞い、二つの力は互いを削り合う。
そして。
魔剣へ一本の黒い亀裂が走った。
刀身を這い、柄を越え、クリムゾンの腕へ広がる。深紅の輝きは急速に失われ、始祖血界を支えていた巨大な魔法陣も静かに崩れ始めた。
「……見事だ、王弟」
クリムゾンは笑う。
なおも魔剣を握ったまま、最後まで膝を折らない。
「だが終わりではない」
胸元へ刻まれた黒い亀裂は全身へ広がり、その身体は少しずつ灰へ変わっていく。
「余は必ず戻る」
紅い双眸が静かにルシフェルを射抜く。
「その時は、もう一度この続きをやろう」
不敵な笑みは最後まで崩れなかった。
「それまで首を洗って待っていろ」
言葉が途切れると同時に、その身体は紅い灰となって風へ溶け、静かに消え去る。
始祖血界も完全に崩壊した。
赤黒い霧は跡形もなく消え、重苦しい空気は嘘のように晴れていく。玉座の間を覆っていた呪も静かにほどけ、椿の身体へ刻まれていた黒い紋様が光の粒となって散っていった。
「ツバキ!」
コマは勢いよく駆け寄り、小さな身体を椿へ寄せる。涙を零しながら何度も頬へ擦り寄ると、弱かった鼓動が少しずつ力を取り戻していくのを感じ、安堵したようにその場へ座り込んだ。
ルシフェルは大鎌を消し、静かに椿の傍らへ膝をつく。
乱れた黒髪を指先でそっと耳へ掛ける。その頬へ触れると、失われかけていた温もりは確かに戻っていた。
ようやく、小さく息を吐く。
張り詰めていた表情が、ほんの僅かだけ和らいだ。
「……本当に、無茶をする」
誰へ聞かせるでもなく呟く。
そっと前髪を払い、そのまま身を寄せると、眠る椿の額へ優しく口づけを落とした。
新連載!【獄門道中閻魔大王への道】を始めました!
ギャグ×和風ファンタジーです!よければそちらもご覧ください!
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