裏切り者
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
クリムゾンの表情が険しくなる。
この場で殺すことは簡単だ。だが今この女を黙らせれば、逆に言葉だけが残る。王としての勘が告げていた。この女は危険だ。剣のような思想が酷く危うい。
「黙れ」
先ほどまでの余裕が消えている。
「黙れ、一宮椿」
広間の空気が重く沈むが、それでも椿は笑っていた。まるでその反応こそ待っていたと言わんばかりに。
そして誰にも聞こえないほど小さな声で呟く。
「……ほな、種まきは終わりやな」
その言葉の意味を理解できた者はいなかった。
クリムゾンは苛立たしげに玉座の肘掛けを叩いた。
「連れていけ」
短い命令だった。
兵士たちが一斉に動き出す。椿の両腕は拘束され、セデスやコモンもそれぞれ取り押さえられていた。コマは未だ意識を失ったまま床へ横たわっている。それでも椿は振り返らなかった。言うべきことは、もう全て言い終えていたからだ。
兵士たちに囲まれながら会場を後にする。豪奢な広間には未だ重苦しい沈黙が漂っていた。先ほどまで賑やかだった舞踏会は完全に空気を変え、誰もが椿の背中を見送っている。貴族たちの視線には怒りや困惑が混じっていたが、その中には説明できない不安も確かに存在していた。
その時だった。
椿はふと視線を横へ向ける。
皿を運んでいた獣人の青年。床を磨いていた老人。そして花瓶を落としたあの少女。皆俯いたまま何も言わない。だが、その沈黙は先ほどまでとは少し違っていた。消えてしまいそうなほど弱く頼りない火種だったが、それは確かに燃えていた。
それを見た椿は満足そうに目を細め、再び前を向いた。
革命は剣で始まるものではない。
誰かが「おかしい」と思うことから始まる。そして誰かが声を上げ、その声を聞いた者が顔を上げる。そうして少しずつ広がっていくものだ。
今、この国で初めて、小さな火種が灯った瞬間であった。
地下牢は冷えていた。
石壁には湿気が染み込み、天井から落ちる水滴がぽたり、ぽたりと静かに響いている。地上では豪華な舞踏会が開かれていたとは思えないほど薄暗く、空気は重い。鉄格子の向こうには長い通路が続き、揺れる松明の火だけが頼りなく周囲を照らしていた。
椿たちは別々の牢へ収容されていた。
セデスは壁へ背を預けたまま腕を組み、コモンは落ち着きなく牢内を歩き回っている。椿だけは鉄格子の前へ腰を下ろし、まるで宿屋で休憩でもしているような顔をしていた。
「終わりましたぁ……」
「何がやねん」
「わたしの人生ですぅ……」
「人生はまだ終わっとらんよ」
「だってぇ!! 女帝様捕まるし! コマ様倒れるし! ジャンクさん裏切るし! もう最悪じゃないですかぁ!!」
地下牢へ悲鳴が響く。
セデスは小さく息を吐いた。表情こそ変わらないが、内心穏やかではない。ジャンクの裏切りが事実なら状況は想像以上に悪い。城の構造も、警備も、ヤタガラスの情報も、少なからず相手へ渡っている可能性がある。
「ツバキ殿」
「なんやろ」
「随分と余裕ですな」
「そう見える?」
セデスは眉をひそめた。
その答えになっていない返答が、逆に引っ掛かって、問いただそうとしたその瞬間。
かつん。
静かな足音が響く。
地下通路の奥から誰かが歩いてくる。
コモンがびくりと肩を震わせる。
セデスも視線を向けた。
やがて松明の灯りが男の顔を照らし出す。
ジャンクであった。
一瞬で空気が変わる。
コモンの顔色が青から赤へ変わった。
「う、う、裏切り者!!!」
「うるせぇ」
「うるさいじゃありませんよぉ!! なんで裏切ったんですかぁ!!」
「別に裏切ってねぇよ」
「嘘ですよねぇ!?私たち全員捕まってるじゃないですかぁ!!」
「予定通りだ」
地下牢が静まり返る。コモンは口を開けたまま固まった。セデスも僅かに目を細める。
「……は?」
コモンの間抜けな声だけが響いた。ジャンクは面倒そうに頭を掻く。椿はくすりと笑った。
「作戦通りやな」
「ああ」
「ひやひやした?」
「あんな状況するに決まってるだろ」
「うちはせぇへんかった」
「だろうな」
コモンは理解が追いつかなかった。視線が椿とジャンクの間を行ったり来たりする。
そして。
「聞いてませんけどぉぉぉぉぉ!!」
地下牢へ盛大な絶叫が響いた。
石壁へ反響した声はなかなか消えなかった。遠くの牢から怒鳴り声まで返ってくる。だがコモンにはそんなことを気にする余裕はないらしい。顔を真っ赤にしながら鉄格子へしがみついていた。セデスも流石に呆れたような顔をしている。
ジャンクはそんな二人を無視して鍵束を取り出した。重たい鉄格子が軋みながら開く。地下牢の湿った空気へ冷たい夜風が流れ込んだ。
「説明を求めても?」
「後だ」
セデスはそれ以上追及しなかった。今は脱出が先だと理解しているのだろう。ジャンクも余計なことは喋らない。ただ周囲を警戒しながら通路を進んでいく。椿はそんな二人のやり取りを見ながら小さく笑った。
「コマはどうなったんですぅ……?」
「城の中や」
「助けなくていいんですか?」
「大丈夫や」
椿はどこまでも普段通りだった。それが逆にコモンの不安を煽っているらしい。だがその余裕があるからこそ、セデスも少しだけ肩の力を抜いていた。
やがて一行は地下牢を抜ける。古びた木扉の向こうには夜の街が広がっていた。月明かりが石畳を照らし、遠くには城の灯りが見える。巨大な城は今も静かにそびえ立っていた。
「さて」
「どうするんです?」
「とりあえず走ろか」
「計画性ぃ!!」
コモンの叫びを背に、一行は闇の中へ駆け出した。夜風が吹く。城壁の上では見張りの灯火が揺れている。その頃、王都のどこかでは別の誰かが静かに動き始めていた。
夜の王都は昼とは別の顔を見せていた。
石畳には月明かりが落ち、昼間は人で溢れていた大通りも今は静かだ。酒場から漏れる笑い声だけが遠くに聞こえ、窓からこぼれる灯りが細い路地をぼんやり照らしている。椿たちは人目を避けながら進んでいた。ジャンクは迷いなく先頭を歩き、その背をセデスが警戒しながら追う。コモンだけは未だに納得していない顔だった。
「ジャンクさん」
「なんだ」
「本当に裏切ってないんですよね?」
「何回聞くんだ」
「だってぇ……」
「なら今から兵士呼んでくるか?」
「すみませんでしたぁ!」
コモンは即座に謝った。
ジャンクは呆れたように鼻を鳴らす。だが怒っている様子はなかった。むしろ少しだけ肩の力が抜けているようにも見える。椿はそんな二人を眺めながら歩いていた。街の空気を確かめるように周囲へ視線を巡らせる。
どこか妙だった。
昼間に見た街とは違う。
大通りには人がいる。商人もいる。酒を飲む者もいる。だが裏路地へ入るたび、こちらを見る視線を感じるのだ。
「ジャンクさん」
「気付いたか」
「うん」
短いやり取りだった。
セデスも既に察しているらしい。何も言わず剣の柄へ手を添える。コモンだけが不安そうに周囲を見回していた。風が吹く。洗濯物が揺れる。誰もいないはずの窓が僅かに閉じられた。
「止まれ」
低い声が響いた。一瞬で空気が変わる。
路地の前後を黒い影が塞いでいた。屋根の上にも人影が見える。全員が黒い外套を纏い、顔を隠している。武器を抜いてはいない。だが逃がす気も無さそうだった。
椿は静かに前へ出る。
黒衣の集団は十人以上いた。誰一人として喋らない。だが視線だけは真っ直ぐ椿へ向いている。その沈黙には妙な緊張感があった。
やがて中央にいた男が口を開く。
「一宮椿だな」
「そうやねぇ」
男はしばらく黙っていた。
その沈黙が続くほどコモンの胃は痛くなっていく。今度こそ本当に怪しい集団だった。捕まったばかりなのにまた囲まれている。運が悪いにも程がある。
だが椿は変わらない。まるで世間話でもしているみたいだった。
「何か御用やろか?」
「……ついて来い」
「嫌や言うたら?」
「力ずくになる」
「物騒やねぇ」
屋根の上の影たちも微動だにしない。訓練された集団なのだろう。兵士とは違う。もっと切羽詰まった匂いがした。
椿は少しだけ考える素振りを見せて、それから、ふっと笑った。
「ほな案内してもらおか」
「ツバキさぁん!?」
コモンが叫ぶ。
その反応を見た黒衣の男の目が僅かに細められた。
王都の喧騒から遠ざかるにつれ、人の気配も消えていく。石畳はやがて土の道へ変わり、古びた倉庫街へ辿り着いた。誰も住んでいないはずの建物だった。
男が扉に手を触れて魔力を流し込むと、重い扉が静かに開いた。中から漏れる灯りが闇を切り裂く。椿はその光を見つめながら小さく息を吐いた。
コモンは嫌な予感しかしなかった。いや、もう嫌な予感を通り越していた。確実に何かが始まろうとしている。
その予感だけは正しかった。
新連載!【獄門道中閻魔大王への道】を始めました!
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