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暁の女帝〜狛犬と異世界革命〜  作者: 春と桜
第三章 ヤタガラス帝国編

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飛ばされた先で

どうもはじめまして春と桜です。

初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。


 意識が浮かび上がる。身体が重い。頭の奥がじんじんと痛む。まるで深い水の底から無理やり引き上げられたような感覚だった。椿はゆっくりと目を開く。


「……ん」


 完全な闇だった。


 目を閉じているのかと錯覚するほどの漆黒がどこまでも広がっている。自分の手すら見えない。鼻をつくのは湿った土と黴の臭いだった。空気は冷たく重く、長い年月誰も足を踏み入れていない場所のように感じられる。


 シャラン。

 不意に金属音が響いた。


「……?」


 椿は反射的に身体を起こす。どこか遠く、それでいて妙に耳へ残る音だった。鎖の擦れる音に聞こえる。規則的ではない。誰かが僅かに動くたびに鳴っているような音だった。椿は周囲へ意識を向けながら呼吸を整える。


「月詠」

「……」


 返事はない。


 頭の中は静まり返っていた。いつもなら騒がしいくらいなのに、月詠の気配がない。椿は眉を寄せる。異世界へ来てから初めてだった。月詠だけではない。いつも周囲に集まる精霊達の気配も全く感じない。風も、水も、木々も、何も語り掛けてこない。まるで世界そのものから切り離されたみたいだった。


「……どこやろ、ここ」


 答える者はいない。


 椿はそっと腰へ手を伸ばした。解体用のナイフ。幸いそれだけは残っていた。静かに引き抜く。心許ないが素手よりはずっと良い。


 シャラン。

 また鎖が鳴る。


 今度は少し近く聞こえた。椿はゆっくり立ち上がる。足元を確かめるように一歩踏み出す。何も見えない以上、頼れるのは耳と感覚だけだった。左手で壁を探る。冷たい石の感触が指先へ伝わった。


 壁を伝いながら進む。

一歩ずつ息を殺しながら歩いた。

身体中から汗が滲んでいた。

 

 怖い。

 生まれて初めてそう思った。


 椿のそばには人ならざるもの達がいつもいた。だから本当の意味で一人になったことがない。誰もいない世界など知らなかった。孤独だった。それが思った以上に恐ろしかった。


 シャラン。


 シャラン。


 進むたびに鎖の音が大きくなる。近い。確実に何かがいる。椿はナイフを握り直した。神経を研ぎ澄ませる。いつ飛び掛かられても動けるように。いつでも喉を狙えるように。静かに重心を落とした。


「誰かいるのか」


 唐突に男の声が響いた。


 椿の身体が強張る。声は低く穏やかだった。けれど間違いなく人の言葉だった。


「……どちらさんでしょうか」


 警戒は解かない。


 声の位置を探る。近い。だが何も見えない。闇が全てを飲み込んでいる。


「ああ」

「久方ぶりの人の香りがする」


 どこか懐かしむような声だった。


 敵意は感じない。それでも油断できる相手とも思えない。椿は黙ったまま耳を澄ませる。


 シャラン。

 鎖が鳴った。

 今度ははっきりと近い。


「人の子よ。恐れることはない私は鎖に繋がれている。何もすることはできない」


 まるで証明するように鎖が揺れる。


 確かに近付いてくる気配はない。音の位置も変わらない。本当に繋がれているのかもしれなかった。それでも椿はナイフを下ろさない。相手が人か魔物かすら分からないのだから当然だった。


「信用できずとも良い。私はもうすぐ無に還る。だから少しだけ、話に付き合ってはくれないか」


 その声は不思議だった。諦めているようで穏やかだった。長い長い時間を生きた者の声にも聞こえる。椿は少しだけ考える。出口は分からない。ここがどこかも分からない。なら情報は欲しい。


「……少しだけなら」


 そう言って、その場へ腰を下ろした。もちろんナイフは握ったまま。重心も崩さない。いつでも飛び出せるように。いつでも戦えるように。


 目の前にいるものが人なのか。魔物なのか。それとも全く別の何かなのか。椿にはまだ分からなかった。ただ闇の奥で鳴る鎖の音だけが、どうしようもなく寂しそうに聞こえた。


「人の子よ」

「名はなんという」


 唐突な問いだった。


 椿は少しだけ警戒を強める。名前は呪術や契約に使われることもある。だが今のところ敵意は感じない。鎖の音も一定の位置から動いていなかった。


「一宮椿です」


「私はルシフェル。昔はそう呼ばれていた」


男の声は穏やかで、自分の名を語ることに何の感情も乗せていなかった。


「ツバキか、美しい名だな」


「ふふ、おおきに」


 こんな状況で褒められるとは思わなかった。闇の中なのに不思議と空気だけは柔らかい。姿は見えないのに、相手が微笑んでいるような気がした。敵意も悪意も感じないことが逆に不思議だった。


「なんでこんな場所へ来た自ら来たようには思えん」

「人喰いに飛ばされて仲間とはぐれてしもたんです。気ぃ付いたらここやったんですよ」


 鎖が小さく鳴った。


 まるで息を吐くような音だった。しばらく沈黙が続く。やがてルシフェルが静かに口を開く。その声は少しだけ重かった。


「……すまない」

「なんで謝らはるんです?」

「その人喰いはおそらく私が生み出した存在だ」


 驚きはした。

 だが責める気にはなれなかった。声があまりにも疲れていたからだ。長い長い後悔を抱えた者の声だった。椿は静かに息を吐く。


「別にええですよ。まだ生きてますし」

「優しいな」

「そない大した人間やないですよ」


 ルシフェルが小さく笑った気がした。


 姿は見えない。それなのに表情だけは不思議と想像できる。椿もつられて少し笑った。闇の中で初めて肩の力が抜けた気がした。


 持っていた保存食を少しずつ食べる。出口は見つからない。ルシフェルも知らないらしい。だが水だけは困らなかった。


「右の壁沿いに進め」

「湧き水がある」

「ほんまです?」

「行けば分かる」


「……あった」


「飲めるぞ」

 冷たい水だった。


 透明で美味しい。椿は何度も礼を言った。ルシフェルは困ったように笑うだけだった。


「出口は分からへんの?」

「千年以上ここにいるが分からないのだ」

 想像もできなかった。


 一人で千年だ。発狂していてもおかしくはない。誰とも話せず、何も見えない闇の中で生き続けるなど考えたくもなかった。それなのにルシフェルは正気だった。


 それからも会話は続いた。


 朝も昼も夜も分からない。だからただ話した。京都の話。母の話。コマの話。気付けばスクナの話もしていた。


「そのスクナという男、随分とお前を好いているな」

「ちゃいますよ」

「そうか、本当に?」

「本当です」


 即答だった。


 ルシフェルは珍しく声を上げて笑う。椿は少しだけ眉を寄せた。なんや失礼やなぁと思ったけれどその笑い声を聞くのは嫌いではなかった。

 孤独だったのだと思う。

 お互いに。


「私はな」

「たくさん人を殺した」


 ある日のことだった。

 いつもより少し低い声でルシフェルが話し始めた。


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