コモンとツバキ
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
湖のほとりへ吹く風は、少しだけあたたかくなっていた。
静まり返っていた都も、今はどこか息を吹き返したみたいに音を持ち始めている。
水路を流れる水音。遠くで揺れる鈴の音。
屋根の上を駆け回る妖たちの足音。
私はそんな景色を見つめながら、気づけばぎゅっと拳を握っていた。
ここは、昔エルフたちが暮らしていた都。
私は、故郷を守れなかった。
仲間は減っていった。家族も、仲間も少しずつ失った。
だからもう、帰る場所なんてものは残っていなかった。
「……世界樹様」
声が震えたけれど止まれなかった。
「お願いがあります」
私は深く頭を下げる。
「我々を、この都へ住まわせていただけないでしょうか」
静かだった。
湖面が揺れて、世界樹様の枝葉がさらさら鳴る。返事が来るまでの時間が、ひどく長く感じた。
「もう……帰る場所がないんです」
喉が詰まる。
「子どもたちだけでも構いません。安心して眠れる場所を、どうか……」
自分でも情けない声だと思った。
里長なのに。皆を守らなければいけない立場なのに。私は、必死に居てもいいと言ってもらえる場所を探していた。
しばらく黙っていた世界樹様は、やがて、ふぉっふぉっと優しく笑った。
「構わんよ」
その瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、一気に緩んだ。
「元々、この都はエルフが住んでおった場所じゃ」
「エルフがおらんようになってから、空いた家へ妖たちが住み着いただけのこと。縄張りだの土地争いだの、あやつらはあまり気にせんからのぅ」
「空いてるなら住む。腹減ったら食う。寝たい時寝る。そんだけだ」
カザンが当たり前みたいに言う。
屋根の上では豆狸まで「そうそう!」と頷いていた。
私は、思わず涙が滲んだ。
「ありがとうございますぅ……っ」
「泣くほどかよ」
スクナが呆れたように言ったけれど、その顔は少しだけ優しかった。
その後、世界樹様とコマ様が都へ結界を張ってくださった。
古びた魔法陣が目を覚まし、白銀の光が都全体を包み込んでいく光景は、まるで神話そのものみたいだった。
そして私たちは、湖の外で待っていた仲間たちを迎えに行った。
最後の生き残りとなったエルフ、総勢三百。
疲れ切った顔で、それでも恐る恐る都へ足を踏み入れていく。
対する妖たちは二百ほど。
屋根の上や鳥居の影からこちらを覗き込み、「耳長い!」「綺麗!」とはしゃいでいる。
最初は怖かった。
妖なんて、もっと恐ろしい存在だと思っていたから。
けれど彼らは、普通に果物を持ってきたり、勝手に荷物を運んだり、「腹減ってないか?」と子どもへ団子を渡したりしていた。
「……思ったより普通ですねぇ……」
思わず漏れた私の言葉に、豆狸が頬を膨らませる。
「失礼だな!」
「妖だって腹減るし眠いんだぞ!」
「そこ基準なんや」
ツバキ殿がくすっと笑った。
その笑顔を見た時、不思議と少し安心した。
この人がいるなら、大丈夫かもしれない。
そんな気持ちが、胸の奥で小さく灯った。
やがて、世界樹様の根元へ、エルフと妖たちが集められた。
五百もの命が、静かな湖を背に並んでいる。
崩れた都。眠りから覚めた街。そしてこれから、新しく始まっていく場所。
水面へ映る灯りが、ゆらゆらと揺れていた。
世界樹様は枝を鳴らしながら、ゆっくり口を開く。
「さて」
「誰が、この都をまとめる?」
ざわり、と空気が揺れた。
妖たちは「めんどくせぇ」「カザンでいいだろ」と好き勝手騒ぎ始める。
けれど当のカザン本人は、露骨に嫌そうな顔をした。
「は? 嫌だよ」
「オレ、そういうの柄じゃねぇし」
「絶対めんどくせぇだけだろそれ」
「責任とか向いてねぇ」
言いながら、さっさと後ろへ下がろうとしている。
妖たちから「逃げんな!」「お前しかいねぇだろ!」と野次が飛び、カザンは「うるせぇ!」と怒鳴り返した。
その騒がしさの中で、私は気づけば前へ出ていた。
「……新参者の私が言うのも、おかしいかもしれませんが」
空気が静まる。
自分でも驚くくらい、声ははっきり出ていた。
胸の奥はまだ怖いままだった。けれど、言わなければいけない気がした。
私は、ツバキ殿を見る。
あの人は、初めて会った時からずっと不思議な人間だった。
エルフだからと蔑んだり、憐れんだりしなかった。
ただ当たり前みたいに向き合ってくれた。
「ツバキ殿はエルフの恩人です。それに私たちに言ってくださいました」
湖の風が、静かに吹き抜ける。
「見捨てない、守ると」
「人も、獣人も、妖も、精霊も、獣ですら全部守ると」
「……正直、最初は信じ切れませんでした」
私は、自分の服をぎゅっと握る。
「だって、人間だったからです」
その言葉に、エルフたちが小さく目を伏せた。
妖たちも、静かにこちらを見ている。
「でも」
私は、ゆっくり顔を上げた。
「ツバキ殿は、私たちを命がけで守った。ツバキ殿は、逃げない方です」
「傷ついた者から、目をそらさない方です」
声が少し震える。
「だから私は、この都には、ツバキ殿が必要だと思っています」
静寂が落ちる。
誰も、すぐには喋らなかった。
けれど、その沈黙は冷たくなかった。
ひとりずつが、自分の中で答えを探しているみたいな静けさだった。
その時、カザンがぽりぽりと頭を掻いた。
「……オレも、それでいいと思う」
妖たちが一斉に振り向く。
カザンは少しだけ眉を寄せながら、ぶっきらぼうに続けた。
「そういうやつが上にいたほうが、オレは好きだな」
その言葉に、空気が静かに揺れた。
スクナは小さく息を吐いて、肩を竦める。
「……まあ、俺も異論はねぇよ」
コマはぱっと顔を輝かせた。
「ツバキならだいじょうぶなの!」
世界樹様は、ふぉっふぉっと穏やかに笑う。
「なるほどのぅ」
枝葉が、さらさらと揺れた。
そして、ゆっくりツバキ殿へ視線が向けられる。
五百もの命が、静かに彼女を見ていた。
不安もある。恐れもある。
それでも今、その目の奥には、小さな期待が灯っていた。
皆が、次の言葉を待っていた。
――――…
椿は、集まった皆を静かに見渡した。
湖のほとりへ並ぶエルフたち。
屋根の上から覗き込む妖たち。
不安そうに親の服を握る子ども。
みんな、違う顔をしているようで、同じ目をしていた。
傷ついてきた目や。追い出されることに慣れてしまった目。期待したぶんだけ、裏切られてきた目やった。
その視線を受け止めながら、椿はゆっくり口を開く。
「……うちが人間やから、信じられへん人もおると思う」
静かな声やった。
せやのに、不思議なくらい遠くまで届いた。
「怖い人もおるやろし、憎い人もおるやろ。人間のせいで、大事なもん失うた人も、ここにはぎょうさんおる思う」
誰も喋らへん。
せやけど、その沈黙は否定やなかった。
分かると言われたことに、まだ戸惑ってる沈黙やった。
椿は続ける。
「せやから、うちは今ここで『信じて』とは言わへん」
風が吹く。
長い髪が、やわらかく揺れた。
「今日会うたばっかりやもん。妖のみんなとも、エルフのみんなとも、まだ長い付き合いやない」
「そんな相手に、守るなんて言われても、薄っぺらく聞こえて当たり前や」
コモンが、ぎゅっと拳を握る。
妖たちも、黙ったまま椿を見ていた。
「せやけどな」
椿は、真っ直ぐ皆を見る。
「うちは、口だけで終わるつもりはあらへんよ」
その声には、不思議な熱があった。
絶対に曲げへんいう強さが、静かに滲んでいた。
「うちは、誰にも奪わせへん国を作る」
「弱いからって切り捨てられへん国。居場所ない子ぉが、怯えながら眠らんでええ国」
「泣きたい時に泣けて、笑いたい時に笑えて、ここにおってええんやって胸張れる国を作る」
湖面が、静かに揺れる。
「人も、妖も、獣人も、精霊も……全部や」
「誰かひとりだけ選んで、誰かを見捨てるようなこと、うちは絶対せぇへん」
椿は、少しだけ目を伏せた。
脳裏へ浮かぶのは、幼い獣人の女の子、エルフの里のみんな。街で虐げられてた獣人たち。
助けを求めることすら諦めた顔ばかりやった。
胸の奥が、じくりと痛む。
「うちな、ほんまは怖いんよ」
その言葉に、皆の目が揺れた。
「守る言うたのに守れへんかったらどうしよう、とか。届かへんかったらどうしよう、とか。毎回ちゃんと怖い」
「せやけど」
椿は顔を上げる。
「怖いからやめる理由には、ならへん」
「うちは人間や。せやけど、人間やからこそ、間違うたことには立ち向かう」
「もし、人間がまたみんなを傷つけるなら……うちは、人間にでも喧嘩売る」
その瞬間、誰かが息を呑む音がした。
「認めさせる」
「ここにおる皆が、生きててええんやって」
「誰にも、いらんなんて言わせへん」
椿は、少しだけ困ったように笑う。
「……せやから、今すぐ信じんでもええよ」
「その代わり、見ててほしい」
「明日も、その次の日も。うちがちゃんと守るか、逃げへんか、嘘つかへんか」
「みんなの目ぇで、見届けてほしいんや」
長い沈黙が落ちる。
けれど、それは冷たい沈黙やなかった。
ずっと張り詰めていた糸が、少しずつほどけていく音みたいな静けさやった。
最初に泣いたのは、小さなエルフの子どもやった。
それを見た母親が、堪えていたみたいに顔を覆う。
次に、妖の女が鼻をすすり、コモンがとうとうぼろぼろ涙を零した。
「う、うわぁぁぁ……っ」
「泣きすぎやろ」
スクナが呆れたように言う。
けど、その声も少し震えていた。
カザンは腕を組んだまま、ふっと笑う。
「……ほんと、すげぇな。あんた」
その時やった。
「じゃあ、俺、屋根直す!」
誰かが叫ぶ。
「水路見てくる!」
「子どもたちの寝床が先だろ!」
「食いもん集めなきゃ!」
ひとつの声が、次の声を呼ぶ。
泣いていたはずの人たちが、躍起になるみたいに動き始める。
守られる側やった者たちが、自分からこの場所を守ろうとし始める。
椿は、その光景を見て、小さく息を吐いた。
都は、まだボロボロやった。
せやけど、そこに立つ皆の目だけは、もう昨日までと違っていた。
誰かに居場所を与えられるのを待つんやない。
ここを、自分たちの居場所にする。
その始まりの音が、確かに響いていた。
書き溜めはありますが、暫くは様子を見ながら1日1話から2話を目安に投稿しようと思っています!
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