妖の都
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
「――世が変わる時じゃ」
世界樹の声が、湖の上を低く這う。静かな言葉なのに、都じゅうの空気がきゅっと締まった。
さっきまで揺れていた水面も、嘘みたいに静まり返る。世界樹は湯呑みを置き、ゆっくり椿たちを見回した。
「長く眠っておったものが、ようやく目を覚ます。隠れておったものが、隠れるのをやめる。そういう時じゃよ」
コモンがごくりと喉を鳴らす。
「……つまり、この都だけじゃなく、外の世界も変わるということですか?」
「うむ」
世界樹はふぉっふぉっと笑った。
「眠っておったのは、この都だけではないからのぅ。止まっておったものが、あちこちで動き始める」
スクナが眉を寄せる。
「止まってたものって、何だよ」
「人の心だったり、土地の力だったり、忘れ去られた約束だったりじゃな」
穏やかな声だが、その言葉には妙な重みがあった。
何千年もの時間を見てきた者だけが持つ、深い響きだった。椿は静かに都を見つめる。精霊たちは、彼女の袖や髪の周りをふわふわ漂っていた。
「……ほな、この都は、起こされるために眠ってたん?」
世界樹は少し目を細めた。
「そうじゃ。眠ったまま朽ちるより、目覚めて変わるほうがいいじゃろ」
その時だった。
からん――と、どこか遠くで鈴の音が鳴る。
都の奥。まだ誰も踏み入っていない場所から、微かな気配が流れてきた。
コマがびくっと椿へしがみつく。
「ツバキ、なんか聞こえたの……」
「聞こえたねぇ」
椿は静かに目を細める。
水が引いたばかりの都は、ただ美しいだけではない。
静けさの底に、長い眠りから目を覚ました何かが確かに息づいていた。
世界樹はそんな椿を見て、楽しそうに笑う。
「まずは好きに見て回るとええ。何が眠っとるかは、見んと分からんからの」
「……勝手に歩いていいのか?」
スクナが確認すると、世界樹はあっさり頷いた。
「構わんよ。この都は、もう閉じておらん。お主らが入ってきた時点で、扉は開いた」
コモンがそっと都を見上げる。
「本当に……夢みたいだ」
「夢なら、こんなに足は震えませんよぉ……」
「まだ震えてるのかよ」
スクナが呆れたように返すと、コモンは半泣きで頷いた。
「だって怖いんです! 何が出るか分からないじゃないですか!」
その瞬間。
遠くの屋根の上で、何か黒い影がぴょん、と飛び跳ねた。
「……ん?」
スクナが目を細める。
影は一瞬だけ瓦の上へ立ち、こちらを見た気がした。
狐みたいな面。細長い尻尾。
だが次の瞬間には、ふっと消えてしまう。
コマが目をぱちぱちさせた。
「なんかいたの!」
「……いたな」
「見間違いじゃないですよね!?」
コモンが青ざめる。
世界樹だけが、のんびり茶を啜っていた。
「起きたばかりで、みな浮かれておるんじゃろ」
「みなって何だよ」
「いろいろじゃ」
嫌な予感しかしなかった。
スクナが深くため息を吐く横で、椿はくすりと笑った。
「賑やかになりそうやねぇ」
世界樹は満足そうに枝を揺らした。
「そうでなくては、世が変わる時など面白うないからの」
湖のほとりへ降りる石段を、一行はゆっくり歩き始めた。水が引いたばかりの都は、まだ眠気を引きずっているみたいに静かだった。
瓦屋根からは雫が落ち、石畳の隙間には透明な水が細く流れている。
提灯は消えているのに、不思議と町は暗くなかった。淡い青白い光が、あちこちの路地からぼんやり漏れている。
「……誰もいねぇな」
スクナが周囲を見回す。
「でも、なんか気配はあるの」
コマが椿へぴたりとくっつく。
「見られてる感じするの」
「うちも、そんな気ぃします」
椿がそう答えた瞬間だった。
こん、と。
どこかで木を叩くみたいな音が鳴る。
全員の足が止まる。
「……今の何だ」
スクナが低く呟く。
音はすぐ近くだった。細い路地の奥。古びた茶屋みたいな建物の裏側から聞こえた気がする。
こん、こん。
また鳴る。
コモンが青ざめる。
「や、やっぱり何かいますよぉ……!」
「静かに」
スクナが黒刀へ手を添える。
空気が変わっていた。さっきまでの神秘的な静けさとは違う。何かが、こちらを窺っている。
その時だった。
ぴょこっ。
屋根の上から、小さな影が顔を出した。
「……あ?」
狐の面。小柄な身体。ぼさぼさの黒髪。
子どもみたいな見た目をした何かが、瓦の上へちょこんと座ってこちらを見下ろしている。
コマが目を丸くする。
「いたの!」
影はじーっと椿を見る。次にスクナを見る。最後にコモンを見て、ぷっと吹き出した。
「なんだこいつら」
「めちゃくちゃビビってるじゃん」
「び、ビビってません!!」
コモンが即座に反論した。
「声裏返ってるの!」
コマがけらけら笑う。
狐面の子どもは屋根の上で腹を抱え始めた。
「ははっ、弱っ!昔のエルフとおおちがいじゃーん!」
椿が目を細める。
すると、その子どもはぴたりと笑いを止めた。
「……お前」
面の奥の目が、じっと椿を見る。
「変な匂いするな」
「匂い?」
「森の匂いと、変なの混ざってる」
精霊たちが、ふわりと椿の周りを漂った。
狐面の子どもが目を見開く。
「うわっ、精霊いる!」
「なんだそれ、ずるっ!」
「ずるい言われても困るわぁ」
その時だった。
ぐぅぅぅぅ……。
妙に大きな音が響く。
スクナがゆっくり視線を落とす。
狐面の子どもが真っ赤になって腹を押さえていた。
「…………」
「……腹減ってんのか?」
「ち、違っ……!」
腹がもう一度鳴る。
コマがぱっと顔を輝かせた。
「お腹すいてるの!」
「違うって言ってんだろ!」
「ふふっ、かわいらし」
「かわ……っ!?」
狐面の子どもが耳まで赤くなる。
「お、おれは妖だぞ!!怖くねぇのかよ!」
「今のところ、あんまり怖ないなあ」
「なんだよそれぇ!」
ぷんすか怒る姿は、完全に子どもだった。
スクナが呆れたように息を吐く。
「……で、お前何なんだ」
狐面の子どもはふんっと胸を張る。
「この辺の見回りしてんの!」
「えらいの!」
コマが素直に拍手した。
「えへへ……」
褒められてちょっと照れていた。
その時、遠くの通りから鈴の音が響いた。
ちりん。
空気が変わる。
狐面の子どもの顔色が、一瞬で変わった。
「……やば」
「え?」
次の瞬間だった。
ドォンッ!! と遠くで屋根が吹き飛ぶ。
瓦が空へ舞い、地面が震える。
コモンが悲鳴を上げた。
「ひぃぃっ!?」
通りの奥。黒い影が、ゆっくり立ち上がる。
赤い眼だけが、ぎらりと光っていた。
狐面の子どもが青ざめる。
「うわっ、最悪!」
「寝起き最悪のやつ起きた!!」
スクナが目を細める。
「……おい」
影は、こちらを見ていた。
書き溜めはありますが、暫くは様子を見ながら1日1話から2話を目安に投稿しようと思っています!
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