迫り来る脅威
どうもはじめまして春と桜です。
またまた来ました。嵐の前の静けさということで今回少し長めです。
翌朝。
乾いた木剣の音が朝霧の残る森へ何度も響いていた。朝露に濡れた地面を蹴り、スクナは何度も踏み込む。片腕とは思えない鋭さで木剣を振り抜き、低く潜り込み、そのまま斬り上げる。以前より速い。以前より重い。それでも目の前の壁はまだ高かった。
「焦りが剣に出ている。力は乗っているが、見え見えだ。その程度なら俺には届かん」
戦士長の木剣が流れるように振るわれた。衝撃が走り、スクナの体勢が崩れる。地面を滑りながら距離を取り、荒い息を吐き出した。胸の奥には、ずっと同じ感情が燻り続けている。
「……あの時はできたんだ。紅い焔が出て、尾も戻った。視界も音も全部違った。頭の中に勝手に浮かんだんだよ。第一段階覚醒ってな」
森を吹き抜ける風が葉を揺らした。戦士長は木剣を肩へ担ぎながら静かに考え込む。スクナは木剣を握り直した。あの日の感覚だけが、今も喉の奥へ引っかかったままだった。
「古い獣人の伝承で聞いたことはある。極限状態で眠っていた力が目覚める現象らしいが、俺も実際に見たことはない。だがお前が嘘を言っているようにも見えんな」
「……あれ以来、一回も出ねぇんだよ。あの力があれば、もっと強くなれたはずだ」
戦士長は何も答えず木剣を構える。その姿は揺るがない大樹みたいだった。スクナも低く息を吐き、再び地面を蹴る。朝日が差し込み、二人の影が交差した。
「だったらもう一度掴め。焦って追いかけるな。お前は力ばかり見ている」
木剣がぶつかる。乾いた音が森へ響く。何度も何度も叩き落とされ、それでもスクナは立ち上がる。苛立ちと悔しさが胸を焼いた。
「くそっ……!」
その瞬間だった。胸の奥で何かが爆ぜるような感覚が走る。熱が血管を駆け巡り、視界の端で紅い光が揺らめいた。戦士長の目が僅かに見開かれる。
ぶわり、と焔のような紅い尾が背後へ現れた。
長くは続かなかった。ほんの一瞬だけ揺らめき、霧みたいに消えていく。それでも確かにそこにあった。スクナは息を呑み、自分の背後を振り返る。
「……出た」
静かな声だった。戦士長は小さく口元を上げる。
「完全ではないが、掴みかけているな」
スクナは何も答えなかった。ただ拳を握る。胸の奥には、確かな熱だけが残っていた。あの日の感覚はまだ遠い。それでも確かに近付いている。そんな予感だけはあった。
少し離れた縁側では、椿がその様子を静かに眺めていた。朝の光を受けながら腰を下ろし、膝には月詠を抱えている。隣ではコマが丸くなったまま眠っていた。白い毛並みは朝日に照らされて淡く輝き、穏やかな寝息だけが静かに聞こえてくる。
『スクナ、ガンバレ!!』
ぱぁん、と月詠が元気よく鳴る。
「ふふっ、応援してはるよ。よう聞こえへんやろけど」
「うるせぇ」
以前ならもっと刺々しく返していただろう。けれど今の声には棘より照れの方が多かった。椿は小さく笑い、そのままコマの頭を優しく撫でる。ふわふわの毛並みは変わらない。けれど閉じられた瞳だけは、まだ開く気配がなかった。
「……はよ起きておいでな。皆、待ってはるよ」
返事はない。
けれど最近、この部屋には必ずいる存在があった。コマの頭上を漂う、小さな白金色の光だ。蛍にも似た精霊は昼も夜も離れることなく、まるで眠るコマを見守るように傍へ寄り添っている。
椿がそっと指を伸ばすと、光はふわりと揺れた。そして一度だけコマの額へ触れ、再び宙へ浮かび上がる。その様子はどこか優しく、どこか懐かしかった。
「……あんたも心配してはるん?」
問いかけると、白金色の光が小さく瞬いた。
返事をしたようにも見えた。
椿は少しだけ目を細める。
「ゆっくりでええからねぇ」
朝の風が窓を抜ける。木々が揺れ、鳥の声が遠くで響いた。穏やかな時間だった。だからこそ、その平穏が長く続くような気さえしてしまう。
それから、さらに二週間が過ぎた。
季節は変わらないはずなのに、里の空気は少しずつ柔らかくなっていた。最初は遠巻きに様子を窺っていたエルフたちも、今では椿たちの姿を見れば自然に声を掛けてくる。特に子どもたちは顕著だった。警戒心より好奇心が勝ったらしく、椿の周りにはいつの間にか小さな輪ができている。
「椿さん! また精霊連れてる!」「今日は火の子もいる!」「風の子もいるじゃん!」
朝から元気な声が飛び交う。椿の肩では淡い緑色の光がくるくる回り、袖口では小さな火の精霊が跳ねるように揺れている。指先へ集まった水の精霊は朝日を受けて宝石みたいに輝いていた。見慣れたはずの光景なのに、子どもたちは毎回目を輝かせる。
「うちは何もしとらへんのやけどねぇ。勝手について来はるんよ。皆さんの方が可愛らしいのに、なんでやろねぇ」
椿がそう言うと、風の精霊が黒髪をふわりと撫でた。まるで同意するみたいな仕草だった。子どもたちから歓声が上がる。そんな様子を見ていたマフィが、深いため息を吐いた。
「本当に意味が分かりません。普通、精霊はここまで人へ懐きません。特に火の精霊なんて気難しいことで有名なんです」
「そうなん?」
「そうなんです」
真顔で返した瞬間だった。
ぽふっ。
小さな火花が飛び、マフィの額へ直撃する。
「あつっ!?」
一瞬の静寂のあと、周囲から笑い声が上がった。マフィは額を押さえたまま固まっている。火の精霊は何事もなかったように椿の肩へ戻ってきた。
「ふふっ、嫌われてはるんちゃう?」
「なんでですか!? 私は何もしてません!」
子どもたちが腹を抱えて笑う。その横で月詠が、ぱぁん、と楽しそうに鳴った。
『マフィ、マジメ!!』
「……え?」
マフィがぴたりと止まる。辺りを見回し、不思議そうに首を傾げた。椿の肩がぴくりと震える。月詠は完全に面白がっていた。
「今、誰か喋りました?」
「なんでもあらへんよぉ」
『オモシロイ!!』
椿は堪えきれず肩を震わせる。月詠は最近こういう悪戯を覚えてしまった。気に入った相手へだけ声を聞かせては、反応を見て楽しんでいるのだ。
「絶対何か隠してますよね?」
疑いの視線を向けるマフィと、笑いを堪える椿。そのやり取りに子どもたちまで釣られて笑い始める。訓練場には穏やかな空気が流れていた。
少し離れた場所では、スクナもまた変わり始めていた。戦士長との訓練は毎日続いている。以前なら見えなかった攻撃を躱し、以前なら受けきれなかった衝撃を流せるようになっていた。片腕という不利を補うため磨き続けた感覚は、確実に鋭さを増している。
「今のも避けるのか。最初に来た頃とは別人だな」
若いエルフの一人が呟く。スクナは木剣を肩へ担ぎ、鼻を鳴らした。
「当然だ」
その瞬間だった。
ぼっ。
紅い尾が現れる。
沈黙。
若いエルフたちの視線が一斉に尾へ集まった。スクナも遅れて気付く。尾もぴくりと揺れた。
「……出てるぞ」「また出たな」「今絶対ドヤ顔してただろ」
「してねぇ!!」
反射的に尾を押さえる。すると余計に膨らんだ。訓練場が爆笑に包まれる。
「感情隠せてねぇじゃん!」「分かりやすすぎるだろ!」
「うるせぇ!!」
ぶわっと尾が膨らむ。さらに笑い声が大きくなる。椿もとうとう堪えきれず肩を震わせた。
「ふふっ、かわいらし」
「お前も笑うな!!」
以前なら考えられない光景だった。剣戟の音しか響かなかった訓練場には、今では毎日のように笑い声が混じっている。
そんな日々が続いていたが、その平穏を壊す影は確実に近づいていた。
領主の前へ、黒衣の男が膝をつく。
「報告します」
「言え」
「エルフの里の結界を解除する魔導具ですが、現在輸送中です」
領主の目が細くなる。
「到着は」
「……三日後かと」
やがて領主の口元がゆっくり歪んだ。
「ようやくか」
机の上には、一枚の絵。
白い獣。
「あの獣は必ず手に入れる」
「兵を集めろ」
窓の外では、黒い雨雲がゆっくり空を覆い始めていた。
本日も2話更新です。2話目はいつも通り20時投稿です!
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