幼き獣人
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
体感では、十五分ほど歩いただろうか。森は相変わらず静かすぎた。風は吹いているのに、音だけがどこかで途切れているような、不自然な静けさだった。
椿は足を止め、耳を澄ます。微かに聞こえたのは、幼い子どもの声。掠れていて、今にも消えてしまいそうなほど弱い。それに混じって、血の匂いがした。
「……たす、けて……」
ほんの一瞬だけ、迷いがよぎる。椿は昔から勘が鋭い。関われば、この世界の闇へ触れることになる。そんな予感があった。
「……見過ごすんは、性に合わへんのよ」
「わふっ」
小さく呟き、歩き出す。白い獣も小さく鳴いて、その後を黙ってついてきた。木々を抜けた先。そこにいたのは、幼い獣人の女の子だった。
見た目は四、五歳ほど。ぼろぼろの布を纏った小さな身体は泥と血にまみれ、首や手首には鎖で擦れた赤黒い痕が残っている。耳も尾も怯えたように縮こまり、呼吸は浅い。逃げて、逃げて、ここまで来たのだろう。傷口も酷く膿んでいた。
「……ひどいこと、しはる」
そっと近づいた瞬間、少女の肩がびくりと跳ねた。怯えきった目だった。人間が怖いのだと、すぐに分かる。逃げたい。だが体が言うことを聞かない。
「っ、ぁ……!」
「こ、ないで……っ」
少女は震えながら必死に後ずさろうとする。椿はそこで足を止めた。無理には近づかない。ただ、少女の目線に合わせるように静かにしゃがみ込む。
「……大丈夫うちは、あんたに酷いことはせぇへんよ」
少女は信じられないものを見るみたいに椿を見ていた。その前へ白い獣がゆっくり歩いていく。少女のそばへ寄り添うように伏せ、小さく鳴いた。
「わふっ」
「くぅん……わふっ」
少女の耳がぴくりと揺れる。意味なんて分からない。それでも不思議と安心する響きだった。少女の震えがほんの少しだけ弱まる。
「……ええ子やな」
椿は今度こそ、そっと手を伸ばした。少女の身体が強張る。けれど振り払わない。そのまま壊れものを扱うみたいに抱き上げる。
――熱い。
思わず息を呑むほど、身体が熱を持っていた。細い肩は震え、息をするたび喉が苦しそうに鳴る。軽い。軽すぎる。ちゃんと食べることすら許されてこなかったのだと分かるほどに。
「……たす、けて……」
その小さな指が弱々しく震えていた。胸の奥が静かに冷えていく。椿は小さな頭をそっと撫でた。
「もう大丈夫やから」
少女の呼吸がほんの少しだけ緩む。安心したように身体から力が抜けかけた、その時だった。背後で枝が鳴り、白い獣の耳がぴくりと立つ。
「ぐるる……」
男たちの声がする。茂みをかき分けながら現れたのは5人の男だった。剣を持つ者が一人。斧を背負った男が一人。短弓を持つ者が一人。残る二人は短剣を腰に提げている。
「あぁ、いたいた!」
「あ? ……なんだよ、もう死にそうじゃねぇか」
「クソが。あの野郎が逃がしたせいで、商品一つダメになったじゃねぇか」
男の目に椿は映っていなかった。
獣人の子を抱きかかえる女の姿など、最初から存在しないかのように。
男の視界を覆っているのは、逃げた奴隷と失った金への怒りだけだった。
憐れみなど欠片もない。ただ失われた財産への苛立ちが、その目を曇らせていた。
「まぁ待てよ」
「そっちは大当たりだ」
別の男がにやりと笑う。その視線が少女を抱く椿へ向いた。男たちの目が椿をゆっくり舐めるように見回す。
「……ははッ、なんだありゃ」
「珍しい服だな。異国の女か?」
「顔もいい。ありゃ高く売れるぞ」
その時だった。白い獣が椿の前へ出るように立ち、低く唸る。
「グルルル……!」
男たちの視線が今度はそちらへ向いた。欲に濁った目が細められる。
「待て……白いぞ」
「幻獣か?」
「いや、もっと上かもしれねぇ……!」
「商品一つ失ったと思ったが……」
「結果的にゃ大当たりってわけだ」
下卑た笑い声が重なった。その瞬間、椿の動きが止まる。白い獣が怒るみたいに牙を剥いた。
「ガゥッ……!」
椿は少女を下ろし、ゆっくりと立ち上がった。視線がまっすぐ男たちへ向く。その顔には穏やかな笑みが残っている。
「よう喋らはりますねぇお誘いはありがたいんやけど……」
「お断りさせてもらいますわ」
男の一人が鼻で笑う。剣を肩へ担ぎ、ゆっくり近づいてくる。獲物を前にした獣のような目だった。
「気ぃ強ぇ女だな」
「大人しくしてりゃ優しくしてやるよ」
「そういう趣味、うちにはありませんの」
「なら、力づくでもいい」
男の手が椿へ伸びたその瞬間。男の身体が、ぐらりと傾いた。
「……あ?」
椿は半歩だけ身を引いていた。男の腕を流し、重心を崩す。そのまま地面へ叩き落とした。
ズドンッ!!
肺の空気が一気に吐き出される。男が何をされたか理解する前に、椿はその手から短剣を抜き取っていた。
「がっ……!?」
「……女の人には優しゅうしなさいって、習わへんかったんやろか」
「……は?」
「いきなり手ぇ出したら嫌われますよ」
椿は困ったように微笑む。その笑顔は柔らかい。けれど目だけは少しも笑っていなかった。
空気が変わる。
「やれ!!」
男たちが一斉に動いた。剣が振り下ろされる。速い。だが椿の目は揺れない。
半歩退く。刃が空を切る。そのまま男の懐へ滑り込む。肘を打ち、喉を突き、膝裏を払う。崩れた男の首筋へ短剣が深く沈んだ。
血飛沫。
次が来る。横薙ぎの剣が振られる。椿は身体を沈めて躱した。そのまま足を払う。男が倒れた瞬間、容赦なく股間を踏み抜いた。
「ぎっ……!?」
白い獣が駆ける。死角から回り込もうとしていた男へ飛びかかった。白い影が喉元を裂く。
「わふっ!!」
「ぎゃっ――!?」
男が血を撒きながら崩れ落ちた。
「グルルル……!」
椿は振り返らない。ただ、ほんの少しだけ目を細めた。
「……ええ子やね」
男の顔が引き攣る。
「ば、化け物……!」
「どっちのことやろ」
椿は静かに笑った。だが、その目はまるで笑っていない。男が叫びながら斬りかかる。
椿は躱さずさらに踏み込んだ。
男の手首を掴み捻り上げる。骨が外れる嫌な音が響いた。
「ぁ、がぁぁぁっ!!」
短剣が喉に突き刺さる。
最後の一人が後ずさる。明らかに腰が抜けていた。逃げたいのに逃げられない。
「ま、待て……! もうやらねぇ! ほんとだ!」
椿は静かに近づく。逃げ道を塞ぐように。
「それは、ええことやと思いますけど」
男の喉が鳴る。椿は短剣を静かに構えた。
「弱い子ぉを、物みたいに扱わはるのは見過ごせへんのよ」
「ち、違っ……!」
その目だけが、ぞっとするほど冷たい。森の空気まで凍りついたようだった。
「うち、そういうの嫌いなんです」
距離はもうない。
「ほな、そろそろ終いにしときましょ」
書き溜めはありますが、暫くは様子を見ながら1日1話から2話を目安に投稿しようと思っています!
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