修羅
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
街を出た瞬間、空気が変わった。石畳へ染み付いた乾いた匂いが途切れ、湿った土と草の香りが肺へ流れ込む。椿は一度だけ足を止め、静かに振り返った。高い城壁と整然と並ぶ街並みは遠目には美しい。それでもあの街には、笑い声より鎖の音の方がよく似合っていた。
「……よう出来た街やね」
スクナは何も答えない。ただ前だけを見て歩き続ける。肯定も否定もしない。それが彼なりの答えだった。コマも何かを感じ取ったように鼻を鳴らし、小さく唸る。
森へ入ると景色は一変した。高く伸びた木々が空を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い。風は枝葉を揺らしているのに鳥のさえずりは聞こえず、森そのものが息を潜めているようだった。椿は足を止めず、静かに周囲へ意識を巡らせる。
「グルル……」
「……来はるね」
「分かるのか」
「なんとなく」
風が止まる。
その静寂を切り裂くように矢が飛んだ。椿は半歩だけ身体を流し、矢は頬を掠めることもなく地面へ深々と突き刺さる。土が跳ね、乾いた音が森へ響いた。警告ではない。一射目から命を奪うための矢だった。
木々の陰から人影が現れる。一人、また一人。左右からも姿を見せ、気付けば五人が半円を描くように立っていた。全員が武器を手にし、一定の距離を保ちながら包囲を狭めていく。その足取りには迷いがない。何度も同じ獲物を狩ってきた者たちの動きだった。
「随分と手際よろしおすね」
「仕事なんでな」
「顔は傷つけるなよ。値が落ちる」
その一言で森の空気が冷え切った。
男たちは椿を人として見ていない。金になる商品を眺める目だった。椿は細く息を吐き、静かに目を細める。
「……なるほど」
「逃げ道はない。大人しく来い」
「お断りやわ」
同時に全員が動いた。
スクナは迷わず地面を蹴る。一直線に男へ踏み込み、短剣を振るう。男は咄嗟に飛び退いたが、それだけで包囲に小さな綻びが生まれた。コマも低く身を沈めたまま飛び込み、別の男の腕へ鋭い牙を突き立てる。悲鳴が上がり、男たちは一瞬だけ足並みを乱した。
「囲め!!左右から回れ!」
怒号と共に再び陣形が組み直される。
五人は互いの動きを把握しながら少しずつ距離を詰めてくる。森の地形まで利用した無駄のない動きだった。時間を掛ければ掛けるほど追い詰められるのはこちらだと、スクナもすぐに悟る。舌打ちと同時に一人の腹へ蹴りを叩き込み、そのまま身体を反転させた。
その瞬間木々の奥で弓弦が鳴る。
死角から放たれた矢は一直線にスクナの背中を狙っていた。
「…ッスクナ!」
視界の端で黒髪が揺れた。椿は躊躇なくスクナを突き飛ばし、自ら矢の軌道へ飛び込む。鈍い音と共に矢が脇腹を貫き、鮮血が森の地面へ散った。それでも椿は膝をつかない。脇腹を押さえながら踏み止まり、静かに息を吐いた。
脇腹を押さえた椿の指先から、血がぽたりと地面へ落ちる。赤い雫は枯葉へ染み込み、ゆっくりと広がっていった。それでも椿は顔色ひとつ変えず、静かに立っている。苦痛を押し隠すように小さく息を整え、震える腕で傷口を押さえた。
「ツバキ!」
「……大したことあらへん!!」
スクナは動けなかった。
頭の中が真っ白になる。目の前で起きたことを理解できない。矢は自分へ向かっていた。避けられなかったのは自分だ。それなのに椿は迷わず前へ出た。傷付くと分かっていて、自分を庇った。
……なんでだ。理解ができない。
今まで誰もそんなことはしなかった。利用され、裏切られ、見捨てられる。それが当たり前だった。だから誰かを庇う理由なんて知らない。胸の奥がざわつく。初めて味わう感情だった。
男たちはその隙を見逃さない。
血の匂いを嗅ぎ取った獣のように距離を詰め、包囲はさらに狭まっていく。椿の呼吸は少しずつ浅くなり、それでも弓を離そうとはしない。その姿が、スクナにはひどく危うく見えた。
「追い込め!女を捕らえろ!」
森の木々が壁のように立ちはだかる。退路はほとんど残っていなかった。時間を掛ければ終わる。それは敵も味方も分かっている。椿は小さく息を吐き、静かに周囲を見回した。
「……退くよ」
「まだいける」
「ここで粘る意味あらへん」
迷いのない声だった。
一歩下がる。その足取りは僅かに鈍い。傷は確実に動きを奪い始めている。それでも椿は弱音を吐かなかった。ただ勝てない戦いを見極め、次へ繋げようとしていた。
「コマ」
呼ばれたコマが駆け寄る。その瞬間、再び弓弦が鳴った。放たれた矢は一直線にコマへ迫る。避けるには遅い。鋭い痛みと共に白い毛並みが赤く染まった。
「キャンッ!」
「コマ!」
「わふ……」
深手ではないが、それでも小さな身体は大きくよろめき、片足を浮かせたまま苦しそうに息をしていた。椿も脇腹を押さえて立っている。敵は五人。こちらは三人。そのうち二人が傷を負った。
誰が見ても、追い詰められていた。
…捨てればいい
心の奥で、昔の自分が囁く。
一人なら逃げられる。今まで何度もそうして生き延びてきた。誰も助けない。誰も信じない。それが一番賢いやり方だった。
なのに。
視線は椿から離れなかった。
血を流しながら立つ姿。呼吸は苦しそうなのに、一歩も引こうとしない姿。さっきだって迷わず、自分の前へ飛び出した。
……ふざけんな
胸の奥で何かが音を立てて切れた。
今まで正しいと思っていたものが、一瞬で崩れていく。
「ツバキ」
「なに?」
「黙ってろ」
「は?」
「いいから!!」
スクナは迷わなかった。
コマを咥え上げ、そのまま椿を強引に抱き上げた。突然のことに椿は目を見開き、男たちも思わず足を止めた。その一瞬だけで十分だった。スクナは地面を蹴り、全力で森の奥へ駆け出した。
「絶対に逃がすな!」
怒号が背後から追い掛けてくる。枝を踏み折る音が次々と重なり、森全体が揺れているようだった。スクナは振り返らない。ただ前だけを見る。木の根を飛び越えながらひたすら森の奥へ駆けた。
肺は焼け付くように痛い。脚も悲鳴を上げている。それでも止まるという考えは浮かばなかった。腕の中の重みが少しずつ増していく気がする。それは椿の身体が重くなったのではない。自分の体力が限界へ近付いているだけだった。
それでも離さない。今までなら迷わず捨てていた。だが、今は違う。腕へ込める力だけが、少しずつ強くなっていた。
どれほど走ったのか分からない。夜の森はどこまでも続き、景色は何一つ変わらない。背後の怒号も次第に遠ざかっていく。それでもスクナは速度を落とさなかった。追手が消えたと確信するまで、止まる気はなかった。
「……っ」
椿の身体から力が抜けぐったりと沈み込み、滑り落ちそうになる。完全に意識を失っていた。
スクナはさらに足へ力を込めた。止まれば終わる。今だけは、その考えだけが身体を動かしていた。
やがて空がゆっくりと白み始める。夜明けの光が木々の隙間から差し込み、長く伸びた影を少しずつ薄くしていく。背後へ意識を向けるが、もう足音は聞こえない。
そこで初めて、スクナは足を止めた。その場へ崩れるように膝をつく。
酷使した体が悲鳴を上げ、全身から力が抜けていく。まずコマを静かに下ろし、続いて椿を草の上へ寝かせた。二人とも傷だらけだった。それでも、生きていた。その事実にひどく安堵している自分がいる。椿の胸が小さく上下しているその僅かな動きだけが救いだった。
スクナはその場へ座り込み、しばらく何も言えなかった。心臓は激しく脈打ち、耳の奥では自分の鼓動だけが響いている。何度も人を失ってきた。何度も見捨ててきた。その度に胸は何も痛まなかった。
なのに今は違う。
椿の顔を見るたび、胸の奥が締め付けられる。
怖かった。
失うことが。
その感情を知ってしまった自分が。
「なんでだよ。なんで俺を庇った。俺なんか放っておけばよかっただろ。逃げればよかっただろ」
返事は返ってこない。
椿は静かに眠ったままだ。
コマも傷付いた足を抱えるように丸くなり、小さく寝息を立てている。朝日が少しずつ二人を照らし始める。その光景を見つめながら、スクナは震える手でそっと椿の手を握った。
「……死ぬな、ツバキ」
書き溜めはありますが、暫くは様子を見ながら1日1話から2話を目安に投稿しようと思っています!
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