夜空が溢れる
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
椿は月詠を構え、再び戦場へ視線を戻した。敵の数も、味方の位置も、先ほどまでとは違う意味を持って見えている。目の前の獣人たちを斬り伏せることに意識を向けるより、その身体をこれ以上傷つけずに止める方法を探すほうが重要だった。椿が視線だけで周囲を追えば、少し離れた場所で倒れた獣人が身を起こそうとしている。その身体へ月詠を向けかけたところで、椿は刃を逸らし、代わりに柄で腕を払って距離を取った。
「ルシフェル、みんなに伝えて。あの人らは、できるだけ傷つけんように動きを止めてほしいんよ。倒す必要はあらへん」
『了解した。各所へ伝える』
通信魔法を通じて指示が広がると、戦場の動きが少しずつ変わっていった。仲間たちは敵の手足を狙って転ばせ、魔法を使える者は拘束を優先する。何度倒しても立ち上がる相手を前にすれば、戦い方を変えるのは容易ではない。それでも、椿の意図を理解した者たちはすぐに呼吸を合わせ、倒れた獣人をそのまま囲い込むようにして進路を塞いでいった。世界樹の根が大地の下で大きく軋み、次第に地面のあちこちから細い蔦が顔を出し始める。
「お爺ちゃん、ちょっとお願いしてもええ?」
『ほう。ようやくわしの出番かの』
椿が微笑むと、世界樹の枝が大きく揺れた。頭上を覆うほど広がった枝葉の隙間から、太い蔦が幾本も伸びていく。地面を這った蔦は獣人たちの足へ絡み、そのまま腰、腕へと巻きつきながら身体を地面へ繋ぎ止めた。ひとりを捕らえれば、その近くにいる者へも枝が伸び、戦場の各所で黒い鎧を纏った身体が次々と拘束されていく。蘇った獣人たちはなおも身を捩り、蔦を引き千切ろうとするものの、世界樹はさらに新しい枝を重ね、その動きを押さえ込んだ。
『これでしばらくは動けまい。ツバキよ、あの者たちをどうするつもりじゃ?』
「……分からへん。せやけど、あの人らを動かしてるもんがおるんやったら、まずそこを止めたい」
椿は拘束された獣人たちへ目を向けた。死者の身体は蔦に封じられながらも、ときおり指先を動かしている。その動きには意思が感じられず、ただ何かに引かれるように同じ方向へ向こうとしていた。ルシフェルが魔力を探っている間、椿はその微かな動きを見つめ続ける。やがて、離れた場所で拘束された獣人の身体が同時に震えた。何かを合図するような動きだった。
『ツバキ』
「分かった?」
『まだ発信源までは届かない。だが、確かに外部から魔力が流れ込んでいる。複数の身体を一本の糸で繋いでいるような構造だ』
「その糸を辿れへん?」
『試している』
ルシフェルの声が途切れ、戦場を満たす魔力の気配へ意識が沈んでいく。椿も月詠を構えたまま、遠くの闇へ目を凝らした。炎の向こうには無数の敵がいる。さらにその向こうには、帝都を囲む夜が広がっている。術者の姿はどこにもない。けれど、見えない何かが確かにこの戦場を動かしている。
そのときだった。
『……ツバキ』
ルシフェルの声に、僅かな緊張が混じった。
「どないしたん?」
『コマの魔力が危険域まで落ちている』
椿の顔から微笑みが消えた。帝都の中心へ視線を向ければ、遠くに小さな光が見える。転移阻害結界を支えているコマの魔力だった。これまで帝都へ敵が入り込むことを防ぎ続けてきた結界が、今もかろうじて夜空に薄い膜を作っている。その光が、明らかに弱くなっていた。
「コマ……」
『ツバキ、コマはまだ大丈夫なの! まだ結界、張れるの!』
通信越しに届いた声は、精一杯強がっているのが分かるほど震えていた。
「うん。分かってるよ」
『だから、まだ……』
「コマ」
椿は優しく名前を呼んだ。
「もう十分やよ。コマはずっと帝都を守ってくれてたやろ。うちらがここまで戦えてるんも、コマが結界を張ってくれてたからや」
『……でも……』
「ありがとう。あとは、うちらに任せて」
返事の代わりに、結界が大きく揺らいだ。淡い光が一度、強く瞬きその輝きが細くなっていく。
『ツバキ……ごめんなさい……』
「謝らんでええよ」
『……コマ、もう……』
小さな声が途切れた。
帝都を覆っていた転移阻害結界が、音もなく消えていく。
その瞬間、戦場の空気が変わった。遠くの夜空に、ひとつの光が灯る。
闇の中へ浮かび上がった光は次第に数を増やし、帝都へ向かう転移の魔力が、再び戦場へ流れ込み始めた。
『ツバキ。転移反応、多数』
椿は夜空を見上げた。月詠の刃へ、淡い月光が重なる。
「……来はるんやね」
その声が落ちた直後、最初の転移陣が夜空を裂いた。
最初の転移陣から、黒い鎧を纏った兵士がひとり、夜空から落ちるように現れた。着地した瞬間にはもう剣を抜いており、その足元へ別の転移陣が重なる。ひとつが開けば、またひとつ。その光は瞬く間に帝都の各所へ広がり、さっきまで止まっていた敵の流れが、堰を切ったように押し寄せてきた。
「来るよ! みんな、帝都へ入らせんといて!」
椿の声が通信魔法を駆け抜ける。返事が次々と重なり、セデスの指示が防衛線を整えていく。世界樹の枝が大きく揺れ、転移してきた兵士たちの足元へ太い根が突き出した。何体かが地面へ叩き落とされ、その隙を縫って仲間たちが駆け込んでいく。けれど、敵の数は増え続けていた。転移陣が消えるたび、その場所から少し離れたところで新たな光が生まれ、まるで夜そのものが敵を吐き出しているかのように戦場を黒く染めていく。
「セデス、東側お願いできる? お爺ちゃんの蔦も、そっちへ回してほしいんよ」
『承知しました』
『任せておけい』
世界樹の枝が大きくしなり、東側へ向かって幾本もの蔦が伸びていく。セデスの指揮に合わせて防衛線が組み替えられ、帝都へ侵入しようとする兵士たちの進路が次々と塞がれていった。椿はその様子を確かめながら、月詠を構えて迫ってきた敵を迎え撃つ。斬り結ぶたびに金属音が響き、足元へ倒れた兵士の身体を避けて次の敵へ刃を返す。視界の向こうではカザンも新たに現れた敵へ飛び込み、豪快な笑い声を上げながら戦場を駆けていた。
「ガハハハッ! まだ隠し玉を持ってやがったか! いいぜ、全部まとめてかかってこい!」
カザンの姿が敵の群れへ飲み込まれたかと思えば、次の瞬間には黒い鎧が何体も宙へ舞った。椿はその光景を横目に捉え、ほんの僅かに息を吐く。あの男なら、しばらくは心配はいらない。そう判断して前方へ意識を戻したとき、耳元へルシフェルの声が届いた。
『ツバキ、転移の発生地点に規則性がある』
「規則性?」
『ああ。無作為に見えるが、一定の範囲へ集中している。転移先を指定している者がいるはずだ』
椿の視線が夜空へ向かう。新たな転移陣が開き、その向こうから兵士が現れる。さらに別の場所でも光が弾けた。どの転移陣も帝都の防衛が薄くなりやすい場所を選ぶように生まれている。
「……帝都の弱いところを、ちゃんと見てはるんやね」
『そのようだ』
「ほな、こっちも見せたろか」
椿は月詠を握り直した。転移した兵士がこちらへ向かってくる。月詠を横薙ぎに払うと、その刃が黒い鎧を弾き飛ばし、後方へ続いていた敵の列まで大きく崩した。そこへ仲間の魔法が重なり、地面を走った光が敵の足元を包み込む。世界樹の蔦がさらに伸び、転移陣の周囲を覆うように絡みついた。
ひとつの転移陣が、蔦に飲み込まれて消える。
椿はその光景を見届け、次の場所へ走った。
帝都を守る戦いは、再び激しさを増していた。コマが張っていた結界が消えたことで敵は好きな場所へ現れるようになったものの、こちらもただ押し込まれるだけではない。世界樹が大地そのものを使って進路を塞ぎ、セデスが防衛線を組み替え、ルシフェルが戦場の情報を繋ぎ、カザンが正面から敵を押し返す。その中心を椿が駆け、ひとつひとつの綻びを塞いでいく。
それでも、敵の数は増えていた。
そして、その中には先ほどまで拘束されていた獣人たちと同じ姿をした者も混じっている。
椿の胸の奥に、あの痛みが再び疼いた。
「……ルシフェル」
『分かっている』
「この転移……どこから来てはるんやろ」
『まだ特定できない。ただ、先ほどの死者たちへ流れていた魔力と、転移に使われている魔力には似た性質がある』
椿の目が細くなる。
ならば、この夜を作っている何者かは、まだどこかにいる。
新連載!【メデューサの子孫】を始めました!
よければそちらもご覧ください!
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