紡がれていく想い
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
椿が戦場へ身を滑らせると、向かってきた兵の剣が月詠の刃を打った。甲高い音が夜気を震わせ、弾かれた剣先が僅かに逸れる。
その一瞬に身体を寄せ、柄を返して相手の胸元を打ち、体勢を崩したところへ刃を走らせる。鎧の継ぎ目から赤が滲み、兵士が膝を落とした。
椿は足を止めることなく、その脇を抜けていく。
視界の端で別の仲間が敵に囲まれているのが見えれば、そちらへ進路を変え、振り下ろされた刃を月詠で受け流した勢いのまま相手の腕を絡め取り、横へ流せば、その向こうから仲間の魔法が走り、敵兵をまとめて吹き飛ばしていく。椿は小さく息を吐き、次に崩れかけている場所へ目を向けた。
「左、三人来てはるよ」
声が届いた直後、仲間のひとりが振り返る。椿はその動きを確かめてから、自分の前へ迫った兵へ月詠を向けた。戦況は目まぐるしく変わっている。帝都を守るために戦う者たちの間には、互いの背中を預けることへの迷いがなく、ひとりが敵を引き受ければ、別の誰かがその隙を縫って前へ出る。椿自身もその流れの中に身を置き、必要なところへ刃を運んでいた。遠くから聞こえてくるカザンの笑い声だけが、そんな戦場の緊張とは少し違う色を帯びている。
「ガハハハッ! まだ来るか! 上等だ!」
視線を向ければ、カザンが敵から奪った大剣を片手で振り回していた。振り下ろされた刃を真正面から受け止め、そのまま力任せに押し返して敵の体勢を崩すと、空いた手で別の兵士を掴み上げる。放り投げられた身体が仲間を巻き込み、その隙間へカザンが踏み込んでいく。手にした大剣も長くは保たず、敵の鎧を叩き割ったところで刃が折れた。カザンは残った柄を放り捨て、今度は向かってきた兵の槍を掴むと、穂先をへし折ってそのまま敵の列へ突っ込んだ。
「相変わらず、元気なお人やこと」
椿は思わず微笑んだものの、すぐに視線を戦場へ戻した。カザンのように戦いそのものを楽しめるわけではない。ここへ来るまでに見てきたものも、帝都で待っている仲間たちの顔も、椿の中にはまだ鮮明に残っている。だからこそ、目の前の敵を倒すことより、誰ひとり欠けさせずにこの夜を終えることのほうが大切だった。
月詠を握る手に僅かに力を込め、椿はまた一歩前へ進む。
その足元に、兜が転がった。
戦いの最中に外れたらしく、土の上を二度、三度と回って止まる。椿は何気なく視線を落とし、そして、そのまま動きを止めた。
兜の持ち主が、地面に倒れている。
鎧に隠されていた首筋から、短い毛が覗いていた。
その先にある耳を見た瞬間、椿の瞳が僅かに揺れる。
「……獣人?」
戦場を駆け抜けていた音が、一瞬だけ遠のいたように感じられた。
思わず漏れた声は、戦場の喧騒に紛れて消えた。椿が振り返るより早く、視界の端で倒れていた兵士の指が僅かに動く。先ほど月詠で斬り伏せたはずの身体が、地面へついた腕に力を込め、ゆっくりと起き上がっていた。裂けた鎧の隙間から血が流れ続けているにもかかわらず、その傷口では肉が蠢き、断たれたはずの身体が何かに引き寄せられるように繋がっていく。やがて兵士は何事もなかったように立ち上がり、濁った瞳を椿へ向けると、足元へ落ちていた剣を拾い上げた。
「……なんで……?」
声が零れる。椿の目の前だけではなかった。少し離れた場所でも、首を落とされた兵士が身体を起こし、腹を貫かれた兵士が何事もなかったように歩き出している。失われたはずの腕まで元の形へ戻り、倒された者たちは次々と立ち上がって、再び仲間へ刃を向けていた。何度倒しても終わらない。その異様さに椿の足が僅かに止まり、月詠を構えたまま戦場を見渡す。理解しようとすればするほど、目の前の光景は現実から遠ざかっていくようだった。
「待って……これ、どういうことなん……?」
そこで、椿の視線がひとつの身体に引き寄せられた。砕けた兜の下から覗く獣の耳。崩れた鎧の隙間から覗く毛並み。地面に落ちた尾。ひとりの鎧が壊れるたび、またひとりの兜が外れるたび、隠されていた獣人の姿が露わになっていく。戦場を埋め尽くしていた兵士たちは、人間ではなかった。姿を現した者たちの誰もが、獣の耳や牙、尾を持つ獣人だった。
椿の瞳が揺れる。
東。
朝日が一番最初に昇る場所。
記憶の奥から、あの日の自分の声が鮮明に蘇った。虐げられし者を見捨てへん。居場所が欲しいなら来なはれ。手を伸ばしてくれる人がおらんのやったら、うちが伸ばす。そう言って、東を指し示した。
「……東へ、来いって……うちが言うた……」
自分の言葉が、今になって胸へ返ってくる。椿は目の前で立ち上がる獣人たちを見つめたまま、月詠を握る手に力を込めた。彼らがどこから来たのかも、どんな道を辿ったのかも分からない。あの言葉を聞いて東へ向かった者が、この中にいるのかもしれない。そう考えた途端、胸の奥が締めつけられた。自分はただ、希望の行き先を示したつもりだった。その先にどんな危険が潜んでいるのか、誰が彼らを待ち受けているのか、椿には知る術がなかった。その事実が悔しくて、目の前の獣人たちを見ていることさえ苦しくなる。
「……うち、知らんかった……。この人たちが、どんな目に遭うてきたのか……何も知らんかったんや……」
声が震える。そこには自分を責め立てる響きよりも、知らなかったことへの悔しさがあった。救いたいと願った者たちの中に、こうして命を奪われ、身体を弄ばれ、死してなお戦場へ立たされている者がいる。その可能性を目の前へ突きつけられて、椿は一瞬だけ言葉を失った。戦況を見れば、今も仲間たちが戦っている。自分が立ち止まれば皆の負担が増えることも分かっている。それでも、胸の奥を駆け抜けた衝撃だけは、すぐには消えてくれなかった。
「ルシフェル……」
震えを含んだ声が、通信魔法へ届く。
『ツバキ、聞こえている』
「この人たち……獣人や。しかも、倒しても起き上がってくる。うちが東へ来いって言うた人たちかもしれへん……そう思うたら、なんや胸が……」
そこで声が詰まった。
『ツバキ』
ルシフェルの声に重なるように、もうひとつの声が届く。
『ツバキ』
「……スクナ?」
『俺の声を聞け』
ぶっきらぼうな声だった。けれど、その一言には、戦場のどこにいようと椿を見失わないというような確かな温度があった。
『今は考えなくていい。何があったのか、誰がこいつらをこんな姿にしたのか、それは後でいい。まず息をしろ。ゆっくりでいいから、俺の声だけ聞いてろ』
椿は言われた通り、息を吸う。けれど胸の奥には、まだ獣人たちの姿が焼きついていた。
「……でも、スクナ。もし、この人たちが……」
『ツバキ』
また名前を呼ばれる。
『お前はちゃんと守ってる』
「……え?」
『今まで、お前が守ってきたものを思い出せ』
スクナの声が、耳の奥へ静かに染みていく。
『ヤタガラスも、ここにいる皆も、お前が守ろうとしてきたから今ここにいる。お前が伸ばした手を掴んで、ここまで来た奴らがいる。俺もそうだ』
「……スクナ……」
『俺たちは皆、ツバキに救われた』
その言葉に、椿の瞳が揺れた。
『だから、今さら一人で全部背負おうとするな。お前が誰かを救おうとしたことまで、間違いにするな』
「……うち……」
『ああ。お前は間違ってない』
即座に返ってきた声には、迷いがなかった。
『知らなかったことは、これから知ればいい。分からないことは、俺たちと一緒に探せばいい。今のお前がやることは、目の前にいる奴らを見て、仲間を守ることだ。それでいい』
椿は黙って耳を澄ませる。荒れ狂う戦場の音の中で、スクナの声だけが不思議なほど鮮明に届いていた。
『俺がついてる』
その一言が、胸の奥へ落ちる。
『俺たちがついてる。ツバキが守りたいと思ったものは、俺たちも守る。お前が大切にしてるものなら、俺にとっても大切なものだ』
「……」
『だから安心しろ。お前ひとりで守らなくていい』
スクナは少しだけ間を置いた。
『俺が守る。お前が守りたいもの、その全部を』
胸の奥が、どくんと大きく鳴った。
『ツバキが笑っていられる場所も、帰る場所も、そこにいる奴らも。俺が守る。俺たちが守る。だからお前は、前を向いてろ』
「……スクナ……」
『今は何も考えなくていい。答えを出す必要もない。後悔するのも、怒るのも、全部あとでいい。今は俺の声を聞いて、息をして、ツバキのやることをやれ』
椿は目を閉じた。ひとつ息を吸い、ゆっくりと吐き出す。胸の奥に絡みついていたものが、少しずつほどけていく。自分の中に生まれた痛みを消してくれたわけではない。その痛みごと抱えて進めるように、スクナが手を差し伸べてくれている。
『……ツバキ』
「ん?」
『終わったら、俺のところへ戻ってこい』
思わず、椿の口元が緩んだ。
「……ふふ。なんや、それ」
『そのままの意味だ』
「うん……分かった」
『約束しろ』
「……約束するわ」
『よし』
短い返事なのに、どこか満足そうだった。
『俺は、お前が戻ってくるのを待ってる』
「……うちも、戻る」
椿は目を開いた。
先ほどまで震えていた手で、月詠の柄を握り直す。目の前には、何度倒されても立ち上がる獣人たちがいる。その姿を見つめる椿の瞳には、まだ痛みが残っていた。けれど、その奥にはもう、揺らがない光が宿っている。
この者たちを、こんな姿にした者がいる。
ならば、その者を探す。
そして今度こそ、この手で守る。
椿は月詠を構え、再び戦場へ視線を戻した。
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