不器用な愛の形
どうもはじめまして春と桜です。
あたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
俺はツバキの背後に立ち、集まった仲間たちを静かに見渡していた。
世界樹の蔦に覆われた帝都には、まだ戦いの名残が色濃く残っている。踏み荒らされた地面には土埃が薄く積もり、折れた武器がところどころに転がっていた。頭上では淡い白や紅の花が夜風に揺れ、傷ついた街へ柔らかな光を落としている。その光の中に、カザンやセデス、ルシフェル、コモンの姿があった。皆、疲れている。身体には傷が残り、衣服には血や土が付着している。それでも、ツバキがここへ戻ってきたことで、張り詰めていたものが少しずつ解けていくのを感じた。
俺はツバキの横顔を見る。
さっきまで、コマの前で見せていた表情とは違っていた。あの小さな身体が限界まで結界を張っていたことを知ったとき、ツバキの瞳に浮かんだものを俺は忘れていない。怒りだった。声を荒げることも、誰かを責めることもせず、ただ静かに抱え込んでいた怒り。ツバキがこうして皆の前に立った今も、それは消えていなかった。
「みんな、本当にありがとう。うちが帰ってくるまで、この国を守ってくれてたんやね。怪我した人もぎょうさんおる。しんどい思いをした人も、怖い思いをした人もおるやろ。それでも、この場所を守ってくれたこと、うちはちゃんと知ってるから」
ツバキの言葉が、夜の静けさへゆっくり溶けていく。
誰も口を挟まない。カザンは腕を組んだままツバキを見つめ、セデスは静かに耳を傾けている。コモンも深く頷き、ルシフェルはいつものように表情を崩さず、その言葉を受け止めていた。俺はそんな皆の姿を眺めながら、胸の奥に残っていた緊張が少しずつ薄れていくのを感じていた。ツバキが戻ってきた。それだけで、この場所には帰るべき場所の形が戻ってきたような気がした。
「せやけど、うちはここで終わらせるつもりはあらへんよ。うちらの国を傷つけられて、仲間を傷つけられて、黙って終わるなんて性に合わへん。ここから先は、うちらが動く番や」
ツバキが月詠へ手を添える。
その仕草はほんの僅かなものだったが、俺にはそれで十分だった。あの手が弓を取れば、俺は刀を取る。ツバキが前を向けば、俺も同じ方向を見る。いつからそうなったのか考えようとしても、思い出せる場所はどこにもなかった。気づいたときには、それが俺にとって自然なことになっていた。
ツバキが皆を見渡す。
そして、少しだけ目を細めた。
「それとなぁ、うちの国にはな、有名な言葉があるんよ」
その声に、ほんの少しだけ遊び心が混じった。
重苦しかった空気が、そこでわずかに揺らぐ。俺はツバキを見る。こんな状況でも、皆の顔を見て、その心を前へ向けようとしている。ツバキはいつもそうだった。怒りも悲しみも自分の中に抱えながら、それを誰かの背中を押す力へ変えてしまう。
「やられたらやり返す。倍返しだ」
静かな広場に、その言葉が落ちた。
カザンの口元が上がった。セデスも小さく笑い、コモンは目を細める。ルシフェルの表情にも、わずかな変化が浮かんだ。誰も大声を上げてはいない。それでも、さっきまで漂っていた疲労の重さが少しずつ持ち上がっていくのが分かった。
俺はツバキの横へ並んだ。
白銀の月詠が、花の光を受けて淡く輝いている。その隣で黒刀の柄を握ると、掌へ馴染んだ感触が返ってきた。指先に力を込めるだけで、身体の奥に静かな熱が集まっていく。
俺はツバキを見た。
笑っていた。
さっきまで怒りを抱えていたことなんて忘れたような顔で、皆を見ている。
その顔を見ていると、胸の奥が少しだけ軽くなる。
俺は、ツバキが笑っているのが好きだ。
それが自分に向けられた笑顔なら、もっと嬉しい。
ツバキが誰かを救えば、俺も嬉しい。ツバキが誰かを守ろうとすれば、そのために力を使いたい。ツバキが傷つけば、胸の奥が締めつけられるように苦しくなる。
昔の俺は、自分のことしか考えられなかった。
腹が減れば食べ物を探し、殴られれば耐え、命令されれば従う。それだけで一日が終わった。明日を望むことさえ、贅沢に思えるような日々だった。
俺はツバキを見つめていた。皆へ向けていた言葉が途切れ、静かな夜の中へその余韻だけが残っている。世界樹の蔦を渡った風が花を揺らし、白い花弁がひとひら、肩へ落ちた。ツバキは気づかないまま前を見ている。その横顔を眺めていると、胸の奥に不思議な温かさが広がっていくのを感じた。
そういえば、少し前に豆とツブに言われたことがある。
師匠は愛情深いですね、と。
あのときの俺には、その言葉の意味がよく分からなかった。愛情なんてものは知らない。誰かを想うということも、誰かを大切にするということも、俺には遠い話だった。けれど、今こうして隣に立っていると、あの二人が何を見ていたのか、ほんの少しだけ分かる気がした。ツバキが笑っていれば、自然と嬉しくなる。傷ついていれば胸の奥が締めつけられ、危険が迫れば考えるより先に身体が動く。何かを守ろうとするものなら、自分も守りたいと思うし、大切にしている場所を、自分の手で傷つけさせたくないと思う。ひとつひとつを思い返しているうちに、胸の奥に小さな花が咲いたような感覚があった。冷えた土の中へ春の陽が差し込んだように、じんわりと広がる温もりが、心の深いところまで満たしていく。
これが、愛情なのだろうか。
そう考えると、少しだけ不思議な気持ちになった。
俺にはまだ、その言葉を自分のものとして口にするほどの確かな理解はない。それでも、豆とツブが笑いながら言っていた顔を思い出すと、あの言葉を否定する気にはなれなかった。俺は視線を戻し、白銀の月詠を握るその手を眺める。細い指先に傷がないか、無意識に確かめるように目で追っていた。そんな自分に気づいて、俺は小さく息を吐く。
やっぱり、俺はこの人を大切にしたい。
その気持ちは、以前よりずっとはっきりしていた。
名前を呼ばれたことも、隣に置いてもらえたことも、守るものを与えてもらったことも、全部この胸の中に残っている。ツバキと出会ってから、俺の世界は変わった。あの頃は生きることだけで精一杯だった俺が、今では誰かの明日を願っている。ツバキが笑っている明日を、仲間たちが安心して眠れる夜を、この国で生きる者たちが自分の居場所を失わずにいられる未来を、当たり前のように望んでいる。
それを愛と呼ぶのなら、たぶん、そうなのだろう。
この胸に咲いた小さな花のような温かさだけは、もう知っている。失いたくないと思うものが増えるたび、胸の奥に残るこの感覚も少しずつ大きくなってきた。俺はその温もりを確かめるように刀の柄を握り、隣へ並んだ。
「スクナ?」
「……何でもない」
「そう? ほな、行こか」
「ああ」
ツバキが歩き出す。その横へ俺も続いた。肩が触れそうなほど近い距離を歩きながら、俺は先ほどまでとは少し違う気持ちで見つめていた。守りたいという想いは、ずっと俺の中にあった。今なら、その想いを抱くことがこんなにも温かいものだったのだと分かる。胸の奥に咲いた小さな花をこれからも大切にしていきたいと思った。
俺が守る。椿も椿が大切にしているこの国も。
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