動き出す悪意
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
翌朝、王都は何事もなかったかのように目を覚ました。空は雲ひとつない淡い青に染まり、通りには昨日よりも多くの旗が掲げられている。青と金の布が朝風に翻り、赤い花飾りが石造りの建物を彩っていた。広場へ向かう人々の手には焼き菓子や果物が並び、子どもたちは小さな王冠を被って走り回っている。昨夜、王宮の一部で密かに警備が組み替えられたことなど、街の誰一人として知らない。椿は人混みの中へ紛れ、祭りを楽しむ一人の客を装って歩いていた。隣にはスクナ、少し離れた場所にはルシフェルがいる。三人とも武器を目立たせることはせず、視線だけを静かに動かしていた。
「賑やかやねぇ。昨日の夜まで何も知らんかったら、今日が襲撃の日やなんて誰も思わへんやろなぁ」
椿は露店に並ぶ色鮮やかな菓子へ目を向けた。薄桃色の砂糖菓子、黄色い果実を練り込んだ焼き菓子、青い花びらを飾った小さなタルト。甘い香りが風に乗り、緊張とは無縁の街へ広がっている。スクナはそんな椿の横顔を一瞥すると、わずかに眉を寄せた。祭りの空気へ馴染んでいるように見えても、椿の意識が一瞬たりとも緩んでいないことを知っているからだ。ルシフェルは人混みの向こう、王宮へ続く大通りを見つめていた。王の馬車が通る道にはすでに近衛兵が配置されているが、表から見れば普段の警備と何も変わらない。
「来た」
ルシフェルの短い声が届いた。広場の奥から、青と金の王旗を掲げた一団が姿を現す。歓声が一斉に膨らみ、楽器の音が石畳を震わせた。王の馬車は白い四頭の馬に引かれ、金の装飾を輝かせながらゆっくりと進んでいる。沿道の人々が手を振り、子どもたちが歓声を上げる。その華やかな光景の中へ、椿はほんの僅かな違和感を見つけた。群衆の流れに逆らい、王の馬車へ近付こうとしている男が三人いる。誰も祭りを楽しんでいない。視線が馬車だけを追っている。
男たちは獣人の耳と尾を付けていた。衣服も周囲の亜種族と変わらず、遠目にはただの祭り客にしか見えない。しかし、一人が腰へ手を添えた瞬間、布の下から銀色の柄が覗いた。椿の瞳が細くなる。武器へ刻まれているのは、黒い羽を模した紋章だった。ヤタガラス帝国の紋章を模倣したものだ。
「スクナ」
「分かってる」
返事と同時に、スクナの姿が人波の中へ消えた。椿はその場から動かない。ここで騒ぎを起こせば、犯人たちが逃げる可能性がある。狙いは王を守ることだけではない。ヤタガラス帝国の名を使った証拠を、確実に押さえることだった。
最初の男が動いた。懐から短剣を抜き、王の馬車へ向かって駆け出す。群衆から悲鳴が上がった瞬間、近衛兵が一斉に動いた。しかし男の動きは速い。銀色の刃が太陽の光を弾き、馬車へ届く寸前まで迫る。そこで横から伸びたスクナの腕が男の肩を掴んだ。
「どこへ行く」
男の身体が宙へ浮いた。次の瞬間、石畳へ叩き付けられる。短剣が手から離れ、乾いた音を立てて転がった。その刃には確かに、黒い羽の紋章が刻まれている。だが、男はそれを見るより先に立ち上がろうとした。そこへ別の近衛兵が飛び掛かり、両腕を背中へ回して押さえ込む。ほぼ同時に、二人目と三人目も動いた。
片方は馬車ではなく、沿道にいた王族へ向かった。もう一人は人混みの中へ何かを投げ込もうとする。だが、その腕が伸び切る前に淡い銀光が走った。投げられた小袋が空中で止まり、ルシフェルの魔力に包まれて地面へゆっくり落ちる。袋の中から出てきたのは赤い蝋と、折り畳まれた紙だった。椿はそれを見て、確信する。今回の襲撃は王一人を狙ったものではない。現場へ証拠を残し、ヤタガラス帝国が関与したように見せるところまでが計画なのだ。
「その紙、開けたらあかんよ」
近衛兵が不審そうに足を止める。椿は人混みを抜け、落ちた紙を指差した。ルシフェルが魔力で紙を浮かせ、そのまま椿の前へ運ぶ。赤い蝋には黒い羽の紋章が押されている。昨日見つかった偽の檄文と同じものだった。椿は紙へ触れず、目だけを走らせた。そこには、王国の王を討ち、ヤタガラス帝国へ亡命すれば保護するという内容が書かれている。
「なるほどなぁ」
椿の声は静かだった。けれど、その口元には薄い笑みが浮かんでいる。これで証拠は揃った。襲撃者、偽造武器、偽の檄文。そしてヤタガラス帝国へ罪を着せるための計画。その全てが、王国の近衛兵たちの目の前で押さえられたのだ。昨日までなら、合衆国が何を言っても噂として扱われたかもしれない。だが今日は違う。敵自身が、椿たちの前で尻尾を出した。
「女帝……これは」
「うちらが書いたもんやないよ。けど、誰が書いたんかは、これからゆっくり調べたらええ」
捕らえられた男が地面へ唾を吐いた。顔に浮かんでいた余裕は消え、代わりに焦りが滲んでいる。周囲では近衛兵が次々と仲間を拘束し、祭りの観客たちは何が起きたのか分からぬまま遠巻きに見守っていた。王の馬車は無事に停止し、レオン王自身が降りてくる。王は倒された襲撃者と、椿の手元に浮かぶ檄文を見比べた。
「……最初から、これが目的だったのか」
「そうみたいやねぇ。王様を襲うだけやったら、うちらの紋章まで用意する必要はあらへんもの」
レオン王は紙を受け取ると、ゆっくり目を通した。表情が険しくなる。だが、それ以上に周囲の近衛兵たちの反応が大きかった。彼らは実際にヤタガラス帝国の紋章を刻んだ武器を使う者たちを目撃している。しかも、その場で偽の檄文まで発見された。疑いを向ける余地が残っているとしても、少なくとも今回の襲撃が椿の命令ではないことだけは明白だった。
「王都の者たちへ、今のところ何も知らせる必要はない。祭りは続けろ」
レオン王の命令が響くと、近衛兵たちは素早く動き始めた。倒れた男たちは人目につかない場所へ連行され、押収された武器と檄文は別々に保管される。楽器の音も少しずつ戻り、先ほどまで凍り付いていた広場へ再び人々の声が広がっていく。子どもたちは何も知らず、青い旗を振りながら走っていた。血を流さず、祭りも壊さず、敵の企みだけを潰すことができた。椿はその光景を見て、ようやく肩の力を僅かに抜いた。
「これで、うちの国へ罪を着せる材料は使えへんね」
「まだ黒幕は残っている」
「分かってるよ」
スクナが捕らえられた男たちへ目を向ける。彼らは何も語っていない。だが、今はそれで十分だった。計画が失敗したという事実は、すでに合衆国へ伝わるだろう。しかも、ヤタガラス帝国の名を利用した証拠まで王国側へ残っている。椿は敵の狙いを一つ潰しただけではない。ポンパドゥール王国との信頼を、むしろ以前より強くした。
その時、ルシフェルが拾い上げた武器を眺めていた手を止めた。黒い羽の紋章の下に、ごく小さな傷がある。偽造品を作った者が残したものなのか、それとも別の意味を持つ印なのか。ルシフェルは黙って武器を椿へ差し出した。
「ツバキ。これは合衆国だけの印ではない」
椿は受け取った短剣を裏返した。柄の根元に刻まれていたのは、七つの円を重ねたような小さな刻印だった。昨日、捕らえた工作員の指令書にも記されていたものと同じだ。
椿の笑みが、ゆっくり消えた。
合衆国が指示を出している。
けれど、その命令を実行している者たちは、合衆国の兵だけではない。
そして、その刻印が示す相手を、椿はまだ知らなかった。
新連載!【メデューサの子孫】を始めました!
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