本物の女帝
どうもはじめまして春と桜です。
初めての作品なのであたかかく見守って頂けたらなと思っています。よろしくお願いします。
椿の名を餌に、誰かを殺させていた。
「その獣人さんは、もう処刑されはったん?」
「まだです。私が帰国して報告するまで、刑の執行は停止させています。国王からは、証言に疑いが生じた場合、刑の撤回と再捜査を命じる権限も預かりました」
「ほな、その人は今も生きてはるんやね」
「はい。本人の証言をあなたへ直接確かめるため、ここまで同行させています」
使節が合図すると、門の外で待機していた兵士が一人の青年を連れてきた。両手には鉄の枷が嵌められ、擦り切れた衣の下には鞭で打たれた古い傷が残っている。長い耳は力なく垂れ、青年は周囲の視線を避けるように顔を伏せていた。処刑場へ送られる代わりに真実を確かめる旅へ連れ出されたものの、自分の言葉が信じられる保証など、どこにもなかった。
「顔を上げてくれへん?」
「……あなたが、女帝」
「そうや。先に言うておくけど、うちはあんたに人を殺せなんて命じてへん。せやけど、あんたが嘘を吐いてるとも決めつけへんよ。何があったんか、最初から聞かせてくれる?」
「市場へ使いに出された時、裏通りで檄文を貼っていた男に声を掛けられました。女帝は、奴隷にされた獣人を救おうとしている。主人を眠らせて逃げれば、ヤタガラス帝国が保護してくれると」
「それだけやったん?」
「逃げ延びれば、三年前に別々の国へ売られた家族も捜してくれると言われました。それで、眠り薬だという粉を渡されたんです」
「その粉を使うたんやね」
「はい。主人の酒へ混ぜました。深夜、逃げるために部屋の鍵を取りに戻ると、主人は胸を刺されて死んでいた。背後から突き飛ばされ、倒れたところへ血の付いた短剣を握らされました。直後に兵士たちが踏み込んできたんです」
「男の顔は覚えてる?」
「外套で隠れていました。でも、声は覚えています。俺が怖がるたびに、同じ言葉を繰り返していたから」
「何て言われはったん?」
「心配するな。女帝は必ず救う、と」
青年の証言が終わると、使節の後ろに並んでいた護衛の一人が小さく鼻を鳴らした。出発前日、負傷した兵士の代役として加わった男だった。補充命令書と身分札には王国軍の正式な印があり、道中でも命令へ黙々と従っていたため、使節は書類以上の確認をしていない。男は青年を見下ろし、嘲るように口元を歪めた。
「処刑を免れたいだけの奴隷が、随分と都合のいい話を作ったものだ」
青年の耳が弾かれたように持ち上がった。
「……今の声」
「何だ」
「もう一度、喋ってくれ」
「容疑者が護衛へ命令するな。身分を弁えろ」
「そいつだ!」
青年は枷を鳴らして後ずさり、男を指差した。
「その声だ! 薬を渡した男と同じ声だ! 俺が断ろうとした時にも、身分を弁えろと言った!」
「馬鹿馬鹿しい。声が似ているだけだ」
「違う! 女帝が必ず救うって、何度も言ったのもお前だ!」
「黙れ」
男が青年へ歩み寄ろうとした瞬間、スクナが間へ割って入った。男は足を止めるふりをしながら、右手の親指で人差し指の指輪を回す。宝石の隙間から髪の毛ほど細い針が滑り出したが、腕を伸ばすより早くスクナの鞘が手の甲を打ち据えた。指輪が砕け、黒い液体に濡れた針が石畳へ転がった。
「何をする!」
「それはこっちの台詞だ」
「ただの指輪だ!」
「だったら、この毒針は何だ」
「見知らぬ国へ来る以上、護身の備えは必要だろう」
「鎖に繋がれた証人へ向ける護身具か?」
「向けてなどいない!」
「嘘なの!」
コマが男の周囲を回り、外套の裾へ鼻を寄せた。
「この人、偽物の印と同じ匂いがするの! 甘くて焦げた匂いなの!」
「犬の嗅覚など証拠になるか!」
「ほな、確かめたらええやろ」
椿の声を受け、ルシフェルが男の外套へ手を向けた。魔力の糸が裏地を走り、不自然に厚く縫われた箇所を切り開く。中から落ちたのは、赤い蝋を染み込ませた布片と、細く折り畳まれた油紙だった。セデスが油紙を拾い上げると、数字と紋章を組み合わせた暗号が並んでいる。
「旧バルガム帝国軍の暗号だ。革命後、ジャンクから共有された暗号表と一致している」
「何が書いてある?」
「この男の任務は、証人をヤタガラス帝国内で殺し、女帝が口封じを図ったと報告することだ。護衛へ補充されたのも偶然ではない」
「……何だと?」
「使節団そのものを、この男を運ぶために利用したらしい」
使節の顔から血の気が引いた。青年を同行させると決めた直後、護衛一人の負傷と交代命令が届いている。書類も印章も本物に見えたため、疑う者はいなかった。合衆国は青年を罠へ使うだけでなく、使節自身を陰謀の証人へ仕立てるつもりだったのだ。
「お前は誰だ。補充命令書を、どこで手に入れた!」
「知らんな」
「答えろ!」
「奴隷一人の証言より、印章を信じたのは貴様だろう。そのおかげで簡単にここまで入れた」
「簡単やったと思わはる?」
椿の静かな声に、男の視線が揺れた。
「あんたは偽の国璽を見破られて、消すはずやった人に声を覚えられて、毒針も指令書も見つかった。誰一人傷付けられへんまま、合衆国の企みを自分で証明してくれはったんよ」
「……」
「うちらの国へ入り込めたんやない。証拠を届けに来てくれはっただけや」
男の顔から余裕が消えた。偽物の女帝を作り上げるはずだった筋書きは、本物の椿の前で一つずつ剥がされていく。証人を消そうとした工作員自身が、陰謀を明るみに出す決定的な証拠へ変わっていた。周囲から向けられる視線の中で、男はもはや嘲笑を浮かべることもできなかった。
「こいつをどうする」
「殺したらあかん。カザン、逃がさんよう見張っててもらえる?」
「ガハハッ! 任せろ。指一本動かさせねぇ」
「息くらいはさせたってな」
「加減が難しいな」
「難しくない!」
マメツブ兄弟の声が重なり、張り詰めた空気が僅かに緩んだ。カザンは工作員の襟首を片手で掴み上げると、抵抗する暇も与えず世界樹の根元へ座らせた。逃げ道を塞ぐようにマメツブ兄弟も両脇へ回り込む。使節だけは笑えず、俯いたまま拳を握っていた。
「一宮椿女帝。我が国は、あなたを疑いました。そればかりか、書類と印章だけを信じ、本人の経歴を確認しないまま偽の護衛を加えた。証人の命まで危険へ晒し、弁明のしようもありません」
「うちに謝るんは後でええよ」
椿は枷に繋がれた青年へ視線を移した。
「先に謝らなあかん相手は、ほかにおるんやない?」
使節はしばらく動けなかった。やがて青年の前まで歩み寄ると、地位も周囲の視線も忘れたように膝を折った。主人を殺した奴隷として見下ろしていた相手と、初めて同じ高さで向き合う。青年は戸惑いながらも逃げず、使節の言葉を待った。
「我が国は、お前の証言を最初から偽りだと決めつけた。真犯人を捜さず、処刑しようとした。許してほしいとは言えない。だが、事件を初めから調べ直す機会を与えてほしい」
「……俺は、殺していません」
「ああ。処刑を続ける根拠は崩れた。国王から預かった権限により、刑の執行命令を撤回し、再捜査を命じる。それまでは容疑者ではなく、重要な証人として保護する」
「本当に?」
「今日ここで約束する。枷を外せ」
鉄の枷が外され、石畳へ重い音を立てて落ちた。青年は赤く擦れた手首を抱き、自由になった指を何度も動かした。無実が正式に認められたわけではない。それでも、何を言っても聞き入れられなかった青年の声が、ようやく一つの国を動かした。偽の檄文に奪われかけた命は、椿の前で確かに取り戻された。
「俺は、あの男の言葉を信じました。逃げれば、女帝が家族を捜してくれるって」
「家族とは、いつ離れ離れにならはったん?」
「三年前です。父は鉱山へ、母と妹は別の商人へ売られました。それから行方が分かりません」
「うちが言うた言葉やないからって、知らん顔するつもりはあらへんよ」
「でも……」
「うちの名前を使って、あんたを騙したんやろ。ほな、その嘘をほんまに変えてしまえばええ」
「家族を、捜してくれるんですか?」
「ジャンクさんにも協力してもらう。見つかるとは軽々しく約束できへん。せやけど、捜すことをやめへんとは約束する」
「……ありがとうございます」
青年は声を詰まらせ、深く頭を下げた。椿は感謝を求めることなく、ただ同じ高さで青年の目を見つめた。使節はその姿を前に、合衆国の書状へ描かれた女帝像が崩れていくのを感じていた。帰国後に伝えるべきなのは、国璽が偽物だったという事実だけではない。疑いを向けられた者の命さえ切り捨てなかった、この国の在り方そのものだった。
「セデス、その指令書には続きがあるのか?」
「ある。この男の次の合流先が記されている」
「どこや?」
「ポンパドゥール王国だ。今夜、王都へ入る別働隊と落ち合う予定になっている」
「王国で何をするつもりだ」
「明日の建国祭で、ヤタガラス帝国の印を刻んだ武器を使い、国王の馬車を襲撃する。実行犯は獣人へ変装した合衆国兵だ」
その場の空気が再び鋭く引き締まった。王国の亜種族を扇動するのではなく、最初から工作員が襲撃を起こし、獣人とヤタガラス帝国へ罪を着せる計画だった。国王を殺せば友好国を奪い、失敗しても両国の信頼へ亀裂を入れられる。指令書には、襲撃後に偽の檄文を現場へ残すよう記されていた。
「建国祭は明日の正午だ」
「普通の馬車では間に合わない」
「ルシフェル、昼間でも転移できる?」
「ああ。世界樹に蓄えられた昨夜の月光を借りる。王都の外までなら運べる」
「ツバキ、俺も行く」
「スクナとルシフェル、それからセデスも来て。コマはここで、使節さんと青年を守ってもらえる?」
「コマも行きたいの!」
「ここにも大事な役目があるんよ。カザンたちと一緒に捕まえた人を見張って、二人を守ってほしいんや」
「……分かったの! コマ、絶対に逃がさないの!」
コマは名残惜しそうに耳を伏せながら、捕らえられた工作員の前へ座った。男が僅かに身じろぎすると、白い牙を覗かせて逃亡する気力まで奪っていく。椿は青年へ短く頷き、月詠を手に立ち上がった。一つの命を取り戻したばかりだが、次の罠はすでに動き始めている。
「偽物のうちより先に、本物のうちが着かなあかんねぇ」
月詠が白銀の光を放ち、世界樹の葉が激しく舞い上がった。
「ポンパドゥール王国へ向かう。嘘が血に変わる前に、うちらが止める」
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